二人の出会いは「2012年・北海道」——同期入団という運命
大谷翔平と水原一平。このふたりの出会いを語るとき、「運命」という言葉を使いたくなる。
大谷翔平選手と水原一平さんは、2012年に大谷翔平選手がドラフト1位で日本ハムに入団したことがきっかけで出会った。水原さんも、同じ2012年から日本ハムファイターズ所属の通訳として働いていた。職種は違えど、同期入団だった。
ただし厳密に言うと、大谷の入団は2012年ながら実際に水原と本格的に関わり始めたのは2013年からとする見方もある。ヤンキースで岡島秀樹選手の専属通訳だった水原さんが岡島さんの退団と共にヤンキースから日本ハムの球団通訳となったのが2012年のこと。大谷翔平選手が入団したのは2013年で、ここで運命的な出会いをしたともいえる。
いずれにせよ、北海道・日本ハムのグラウンドという場所が、後に「世界一の野球選手とその右腕」となるふたりを引き合わせた舞台だった。
水原一平とはどんな人物か?その経歴
水原一平という人物を語るうえで、まず経歴を押さえておく必要がある。
6歳まで北海道苫小牧市で過ごし、1991年に和食料理人の父・英政がロサンゼルスで板前を始めたことを機にアメリカへ移住。ロサンゼルス郊外の高校に通い、高校ではサッカー部とバスケットボール部に所属していた。
メジャーリーグへの興味を持ったきっかけは、幼少期にロサンゼルスで目の当たりにした野茂英雄の活躍だった。日米をまたにかけた少年時代の経験が、後の「バイリンガル通訳」という道を自然に開いていく。
2010年からボストン・レッドソックスに所属していた岡島秀樹さんの専属通訳に就任したが、2012年に帰国。日ハムの球団通訳に就任した。
岡島とのヤンキース行きが「フィジカルチェック問題」によって白紙となったことは、水原にとって挫折だったかもしれない。しかし、その挫折こそが彼を日本ハムへ向かわせ、大谷との出会いを生んだ。歴史の皮肉であり、縁の不思議でもある。
なぜ大谷翔平は水原一平を「選んだ」のか?
2017年のオフ、大谷翔平はロサンゼルス・エンゼルスへのメジャー挑戦を決意した。この歴史的な移籍に際し、大谷が「専属通訳」として指名したのが、5年間を共にした水原一平だった。
単なる球団通訳が専属通訳に格上げされたのには、明確な理由がある。
まず、5年間の信頼の蓄積だ。水原氏は13年に外国人選手の通訳として北海道日本ハムファイターズに所属し、その後、大谷が日本ハム入りし、以来5年間、チームを共にした。 たかが5年、されど5年。若手時代の多感な時期を横で見守り、支え続けた存在への信頼は、他の通訳では代えの利かないものになっていた。
次に、通訳を超えたサポート力だ。日本ハム時代、選手たちに「連絡があったらすぐ駆けつける」と約束し、選手の家族にまで配慮を行っていた水原。外国人選手の厚い信頼を得るとともに、日本人選手からも「一平ちゃん」という愛称で親しまれていた。 Coki通訳の枠を超えた「人としての気配り」は、チーム全体から愛された。
そして、圧倒的な通訳スキル。大谷翔平のドジャース入団会見において、水原一平さんはメモも取らずにスラスラと的確に英語に変換する姿が衝撃を与えた。専門家からは「俯瞰力、まとめ力、聞く力、集中力、瞬発力」の5つが完璧だと分析された。
大谷本人は日本ハムを去る際に、こんな言葉を残している。
「お世話になったのはやっぱり一平さん。通訳として1年間一緒にやってきましたし、グラウンドのレベルで、同じフィールドの上でやってきたので、私生活も含めて本当にお世話になりました」
「グラウンドのレベルで、同じフィールドで」——この言葉が全てを物語る。大谷にとって水原は「頼む相手」ではなく、「共に戦う仲間」だったのだ。
仕事の実態——通訳以外にも及ぶ多岐にわたる役割
水原一平の仕事は「通訳」という肩書きをはるかに超えていた。
水原氏は米メディアの質疑応答をはじめ、監督やコーチとの意思疎通、チームメートとの会話、さらに練習のパートナーとして投打のフォームの動画撮影やルーティンのチェックなど、縁の下の力持ちで幅広くサポートを続けた。ダッグアウトでは大谷の隣が水原氏の指定席。球場では常に行動を共にしていた。
監督のジョー・マドンは、水原の存在をこう評した。「こういう状況ではイッペイが非常に重要なんだ。訳す時に、ニュアンスも伝えてくれる。だから私は、ショウヘイが(状態を)どう感じているか正確につかめていると思う」
“ニュアンスまで伝える”——これは単に言語を変換するだけでなく、大谷の心理状態、感情、コンディションを監督に正確に橋渡しする、ほとんどエージェントのような役割だ。
また、2021年のMLBホームランダービーでは大谷の捕手を務め、2023年WBCでは日本代表チームの通訳も兼任。ラーズ・ヌートバーの招聘の際にも、栗山英樹監督の連絡役を担った。 Coki
野球選手の日常を360度サポートする「専属マネージャー」に限りなく近い存在だったと言えるだろう。
気になる年収——億単位という説の根拠
水原一平の年収は長らく「謎」とされていたが、一般に流通している推計がある。
大谷翔平さんはエージェント・CAAの助言で年俸の1〜2%を水原氏に支払っていたとされる。USAトゥデーが発表した2023年の大谷翔平の年俸は約42億円。ということは、約4200万円〜8400万円を水原に支払っていた計算になる。
さらに球団からの給与も別途支給されていたとみられており、総収入は数千万円規模に達していたと推測される。日本の大手企業の部長クラスを軽く超え、プロ野球選手に匹敵する収入を得ていたことになる。
それだけの報酬を得ながら、最終的に数十億円規模のギャンブル借金を重ねた事実は、依存症という病の深刻さを改めて浮き彫りにする。
二人の関係性が物語るもの——信頼とは何か
水原一平は語ったことがある。「第一には、野球に集中してもらえるような環境を整える。まずはそこですね。普段はゲームとかも一緒にしますし、友達感覚じゃないですけど、(関係を)言葉にするのは難しいですね」
「言葉にするのは難しい」——この一言が、ふたりの関係の本質を表している。上司と部下でも、友人でも、家族でもない。言語を超えた場所で成立していた、特別な信頼関係。
だからこそ、2024年3月の解雇劇は世界中に衝撃を与えた。12年にわたって積み上げた信頼が、違法賭博と巨額詐欺によって一夜にして崩壊した。大谷翔平選手と水原一平氏の関係は、互いに尊敬し、思い合うとてもいい関係だった——それだけに裏切りの深さが際立つ。
2012年、北海道の球場で出会ったふたりの「同期」は、こんな結末を誰も想像していなかった。



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