ジャニーズへの扉が開いた14歳の決断
1993年、サッカーに夢中だった森田剛にとって、芸能界への道は思いもよらぬものだったかもしれない。彼の母親は息子のどこか人とは違う輝きに気づいていた。郷ひろみのファンでもあった母が、その名にちなんで「剛(ごう)」と名付けた息子を、アイドルの世界へと送り出したのである。
森田本人も「学校や友達にも飽きて刺激が欲しかった」という率直な理由でジャニーズ入所を望んだという。この少年らしい正直さは、後の森田を象徴する個性となる。飾らず、媚びず、自分らしくあること。それは小柄な身体に宿った、誰にも真似できない強烈な個性の萌芽だった。
ジャニーズJr.時代―「剛健コンビ」の黄金期

入所後すぐに、ジャニーズJr.だった三宅健と共に「剛健コンビ」と呼ばれ人気を博した。同世代にkinki kidsもJrとして活動していた。お互い、CDデビュー前なのに、Jr内での人気は「KinKi Kids」と「剛健コンビ」の2強で、森田はJr.時代から別格の輝きを持っていた。
しかし、この時期の森田は、自分の身体的な特徴と向き合わなければならなかった。成長期を迎えても、周囲のメンバーほど身長が伸びない。それは、華やかなステージの裏で、一人の少年が抱える静かな葛藤の始まりだった。
163cmという数字に秘められた物語
「学生の頃から(背の順が小さい方から)1番前とか2番だったから、大っきい人に憧れがありました」と森田は語る。2016年のバラエティ番組での告白だ。同じく身長160cmの濱田岳と共演した際、「身長高かったら人生変わってた?」というカードを引いた森田は、珍しく本音を覗かせた。
V6の中でも最も小柄な163cm。坂本昌行をはじめとする年長組との身長差は歴然としていた。国分太一に「ということは、162cmだね」といじられ、「163cmって言ってるでしょ」とムキになる場面からは、この数字へのこだわりが垣間見える。
だが、森田剛という男は、この「ハンディキャップ」を武器に変えた稀有な存在だ。身長というフィジカルな制約を、圧倒的な存在感と演技力で凌駕してみせた。舞台に立てば、誰よりも大きく見える。それは技術ではなく、内から溢れ出る何かなのだ。
年齢を重ねるごとに増していく色気は、身長という物理的な数値を完全に超越している。
ジャニーズ随一のダンススキル
森田剛を語る上で外せないのが、そのダンススキルだ。ジャニーズの中でも「ダンスが一番うまい」という評価は、業界内外で広く知られている。Coming Centuryのリーダーとして、年少組の振付やパフォーマンスを牽引してきた彼のダンスは、技術の高さだけではない。
小柄な身体から繰り出される動きは、キレとパワーに満ちている。重心の低さを活かした安定感、そこから爆発する瞬発力。身長というハンディを、ダンスにおいては完全にアドバンテージに変えている。
バックダンサー出身のアイドルが多い中、森田のダンスは「魅せる」という点で群を抜いていた。それは後の俳優としての身体表現にも直結していく。舞台上での所作、立ち姿、視線の動き。全てが計算されているようでいて、自然体。この矛盾した魅力こそが、森田剛のダンスと演技の本質だ。
俳優・森田剛の覚醒
V6としての活動と並行して、森田は俳優としての道を着実に歩んでいた。1996年に『シャドウ商会変奇郎』で主演、1997年にはNHK大河ドラマ『毛利元就』で主役の少年期・青年期を演じた。まだ10代後半での大役抜擢は、彼の演技力が早くから認められていた証だ。
しかし、森田剛が真に「俳優」として覚醒したのは、舞台との出会いからだった。、蜷川幸雄演出の作品に次々と出演し、『金閣寺』はニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルでも上演され、国際的な評価を得た。
アイドルから「俳優」への変貌。それは森田にとって必然だったのかもしれない。歌って踊るだけでは満たされない何かが、彼の中にはあった。
役を生きること、他者になりきること。そこに森田は自分の居場所を見出した。
映画『ヒメアノ〜ル』(2016年)での怪演は、多くの映画ファンに衝撃を与えた。可愛らしいタイトルとは裏腹に、森田が演じたのは狂気を孕んだ殺人者。その演技は、「アイドル」という枠を完全に破壊するものだった。端正な顔立ちから滲み出る狂気、静かな佇まいに潜む暴力性。森田剛という役者の振り幅の広さを、世間は思い知ることになった。
『月下の棋士』『喰いタン』シリーズ、『ハロー張りネズミ』など、ドラマでも存在感を発揮し続けた。共演者からの信頼も厚く、その演技力は「本物」として認められていった。
宮沢りえとの出会い
2016年10月、森田剛と宮沢りえの交際が報じられた。5歳の年齢差、そして宮沢の連れ子という状況。世間は驚きと共に、この組み合わせに注目した。
2018年3月16日、大安のこの日、二人は正式に結婚を発表した。連名のコメントには「これからは家族としてお互いを支え合い、刺激し合いながら、豊かに、大切に時を重ねていきたい」という言葉が綴られていた。
興味深いのは、森田が改姓し宮澤姓となっている点だ。これは単なる手続き上の選択ではなく、家族としての覚悟を示すものだったのかもしれない。宮沢の連れ子を含めた「家族」を築くという決意。そこには、かつてのチャラ男イメージからは想像もつかない、成熟した男の姿があった。
結婚後も二人は変わらず仲睦まじい。宮沢の48歳の誕生日には、原宿の路上を身を寄せ合うように歩く姿が目撃されている。結婚から数年が経っても変わらぬ夫婦愛は、多くのファンの心を温かくした。
二人に共通するのは、「表現者」としてのプライド。宮沢りえは言わずと知れた実力派女優。森田もまた、アイドルという枠を超えた表現者を目指してきた。
宮沢は森田との時間について「贅沢だなと思います」と語っている。お互いを高め合い、刺激し合う関係。それは結婚前の彼らが掲げた理想そのものだった。
V6解散とジャニーズ退所
2021年11月、V6は解散した。26年間の歴史に幕を下ろすと同時に、森田は唯一ジャニーズ事務所を退所した。他のメンバーが事務所に残る選択をする中、森田だけが違う道を選んだ。
この決断は、森田剛という人間を象徴している。群れない、媚びない、自分の信じる道を行く。それは時に孤独な選択かもしれない。V6メンバーにも知られたくないからと頻繁に携帯番号やメールアドレスを変えるといった人払いをするため、慕ってくれる後輩もジャニーズ内の友人もほとんどいないと言われるほど、彼は一匹狼だった。
退所後も俳優の仕事は途切れることがない。「(出演作品は)選ばせてもらっている」と語る森田には、思う存分に役者業に邁進している姿がある。アイドル活動から解放された今、彼は真に自由な表現者として羽ばたいている。
森田剛という生き方―身長163cmの巨人
振り返れば、森田剛の人生は常に「ハンディキャップ」との戦いだった。小柄な身体、アイドルという枠、世間の先入観。しかし彼は、その全てを力に変えてきた。
身長163cmという数字は、もはや森田を語る上で重要ではない。舞台に立てば、スクリーンに映れば、彼は誰よりも大きく、強く、美しい。それは外見ではなく、内から発せられる何か。
宮沢りえとの結婚、ジャニーズ退所、そして表現者としての更なる進化。森田剛の物語は、まだ終わらない。むしろ、これからが本当の意味での「森田剛」の時代なのかもしれない。
14歳でジャニーズの扉を叩いた少年は、今や46歳。かつて抱いた身長へのコンプレックスも、今では彼を形作る大切な要素の一つだ。等身大の自分を受け入れ、それを力に変える。そんな生き方を体現する森田剛は、多くの人にとって勇気を与える存在であり続けるだろう。
身長163cmの巨人。それが森田剛という男の真実だ。


コメント