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銭湯が激減している現状をシラベテミタ!

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社会
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かつて日本の町のあちこちで見かけることができた銭湯。多くの人々の生活に欠かせない存在でした。子供の頃、親と銭湯に行き、風呂上りにラムネを飲んだ経験がある人は多いのではないでしょうか。

しかし、時代の変化とともに銭湯の数は劇的に減少し、今では貴重な存在となっている。

昭和から令和にかけての銭湯の数の変化、料金の推移、そして激減の背景についてシラベテミタ!

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銭湯数の推移:栄華から衰退への道のり

昭和時代のピーク

銭湯の全盛期は昭和40年代でした。厚生労働省の統計によると、1968年(昭和43年)に銭湯数は18,000軒近くに達し、これが歴史的なピークとなりました。この時代、まだ多くの家庭に内風呂がなく、銭湯は地域住民にとって不可欠な生活インフラでした。

昭和45年当時、公衆浴場業界の87%を一般公衆浴場(いわゆる銭湯)が占めており、まさに銭湯全盛の時代だったことがうかがえます。この頃の銭湯は単なる入浴施設以上の意味を持ち、地域コミュニティの中心的役割を果たしていました。近所の人々が集い、情報交換の場として、また子どもたちの社交場として機能していたのです。

平成時代:急速な減少の始まり

平成に入ると、銭湯数の減少は加速します。厚生労働省の「衛生行政報告例」によると、平成19年度末には一般公衆浴場の数は6,005施設まで減少しています。これは昭和のピーク時と比較すると、約70%減少しています。

平成26年度には、かつて公衆浴場業界の大部分を占めていた一般公衆浴場の割合は16.4%まで低下し、業界構造の根本的な変化を物語っています。この時代、家庭用風呂の普及が本格化し、銭湯の社会的必要性が大きく変化したのです。

令和時代:さらなる厳しい現実

令和の時代に入ると、銭湯の減少はより深刻になりました。東京商工リサーチのデータによると、2022年の銭湯数は1,865軒となり、ピーク時の1968年から実に16,134軒も減少(89.6%減)したことが明らかになっています。

現在の銭湯数は、昭和のピーク時のわずか10%程度にすぎません。これは単なる数の変化ではなく、日本の生活様式と文化の根本的な変容を表しています。

料金の変遷:時代を映す価格推移

昭和時代の料金

銭湯の料金は、その時代の経済状況と生活水準を如実に反映しています。東京都の入浴料金の推移を見ると、昭和23年(1948年)3月時点では、大人の入浴料金はわずか6円でした。

昭和30年代から40年代にかけて、料金は段階的に上昇していきます。昭和40年(1965年)6月には28円、昭和45年(1970年)5月には38円となりました。この時期の料金上昇は、戦後復興と高度経済成長期の物価上昇を反映したものでした。

昭和40年代後半から50年代にかけて、オイルショックの影響もあり料金の上昇ペースが加速します。昭和48年(1973年)には55円、昭和49年(1974年)には75円へと急上昇し、昭和50年(1975年)についに100円の大台に乗りました。

平成時代の料金調整

平成に入ると、料金の上昇は比較的緩やかになりました。しかし、経営を維持するための値上げは継続的に行われ、平成期を通じて段階的に料金が引き上げられていきます。この時期の料金設定は、減少する利用者数と上昇する運営コストの間で微妙なバランスを保とうとする経営者たちの苦労を物語っています。

令和時代の現在料金

令和の現在、東京都の銭湯料金は大人(12歳以上)480円、中人(6歳以上12歳未満)180円、小人(6歳未満)80円となっています。昭和23年の6円から考えると、約80倍の上昇となっています。

しかし、この料金上昇を他の物価上昇と比較すると、必ずしも高いとは言えません。むしろ、公共性を重視した料金設定が維持されており、自治体による料金統制の影響が見て取れます。

銭湯激減の要因

最大の要因:家庭用風呂の普及

銭湯激減の最も大きな要因は、家庭用風呂の急速な普及です。昭和40年代から50年代にかけて、住宅建設における浴室設置が標準となり、銭湯への依存度が急激に低下しました。

高度経済成長期における住宅政策の変化、特に公団住宅やマンションの建設ラッシュが、この変化を加速させました。内風呂があることが当たり前となった時代において、銭湯は必需品から嗜好品へと性格を変えていったのです。

経営コストの増大

燃料費と水道料金の高騰は、銭湯経営に深刻な打撃を与えました。特に石油危機以降、エネルギーコストの上昇は経営を圧迫し続けています。また、建物の老朽化に伴う修繕費用、設備更新費用も大きな負担となっています。

人件費の上昇、各種税金や保険料の負担増加も重なり、小規模経営が多い銭湯にとって経営環境は極めて厳しいものとなりました。

社会構造の変化

核家族化の進行、地域コミュニティの希薄化も銭湯衰退の一因です。かつて銭湯が担っていた社交場としての機能は、他の施設やメディアに取って代わられました。

また、ライフスタイルの多様化により、決まった時間に銭湯に通うという生活パターンも変化しました。24時間いつでも自宅で入浴できる便利さには、銭湯では対抗できませんでした。

後継者不足と高齢化

多くの銭湯が家族経営の小規模事業であることから、経営者の高齢化と後継者不足が深刻な問題となっています。重労働である銭湯経営を次世代に継がせることの困難さ、将来性への不安などが廃業を加速させています。

土地利用の変化

都市部において、銭湯の土地は住宅やマンション建設のための貴重な資産となりました。経営が困難な中で、土地売却による一時金獲得の誘惑は大きく、多くの銭湯が転業や廃業を選択する要因となっています。

生き残り戦略と新たな試み

厳しい環境の中で、一部の銭湯は生き残りをかけた様々な取り組みを行っています。サウナ設備の充実、天然温泉の導入、洗濯設備の併設、さらにはクアハウス風の大改造など、従来の銭湯の枠を超えた工夫が見られます。

また、若い世代の「銭湯ブーム」や外国人観光客の日本文化体験需要なども、新たな可能性を示しています。デザイン性の高い銭湯や、地域の文化拠点として機能する銭湯も登場しており、伝統的な銭湯文化を現代に適合させる試みが続けられています。

まとめ

一般家庭に内風呂が普及したことが、銭湯が激減した最大の原因ではなるが、昭和を生きた人間からすると寂しい気持ちになる。

銭湯の歴史は、日本の戦後復興から現代に至る社会変化の縮図であり、同時に伝統的な生活文化が現代にどう適応していくかを考える上で重要です。

今後も変化し続ける社会の中で、銭湯がどのような形で生き残っていくのか課題です。

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