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袴田事件:無罪を確信しながら死刑判決を書いた裁判官の苦悩と転落

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良心と組織の狭間で引き裂かれた若き裁判官

2024年9月、58年にわたる法廷闘争の末、袴田巌氏の無罪が確定した袴田事件。この日本の司法史に深い傷跡を残した冤罪事件には、あまり知られていない裁判官の物語が隠されている。

1968年9月11日、静岡地裁で一家4人殺害事件の死刑判決が言い渡された。この判決文を書いたのは、当時わずか30歳の若き裁判官・熊本典道氏だった。しかし彼は、自らが書いた判決文を心の底から信じていなかった。

3人の裁判官による評議—2対1の多数決が運命を決めた

裁判は合議制で行われ、3人の裁判官が評議を重ねた。熊本氏は3人の裁判官のうち唯一無罪を主張したが、裁判長を含む他の2人の裁判官の反対により、袴田巌氏に死刑を言い渡すこととなった。

熊本氏は東京地裁時代、人権派裁判官として知られていた。検察からの勾留請求の却下率が通常1パーセントに満たないところ、3割の勾留請求を却下していたという異例の実績を持つ人物だった。

そんな彼が袴田事件に向き合ったとき、証拠の不自然さに強い疑念を抱いた。事件から1年以上経って味噌タンクから発見された5点の衣類は、血痕が鮮やかな赤色を保っており、サイズも袴田氏には小さすぎた。取り調べの過酷さも記録に残っていた。

しかし、2人の先輩裁判官に押し切られ、最終的には多数決で負けて、心にもない死刑判決文を書くことになったのである。

判決半年後の退官—良心の呵責が人生を狂わせた

死刑判決を下したことを悔やんで半年後に弁護士へ転身を決意し、1969年には判事補を退官した熊本氏。しかし、裁判官を辞めただけでは、彼の苦悩は消えなかった。

弁護士として新たな人生を歩み始めたものの、「俺は無実の人を殺した。逮捕しろ」と夜中に警察で暴れるなど酒の上でのトラブルが絶えなかったという。罪悪感が彼を酒に溺れさせ、家族関係も崩壊していった。

一時期は大手保険会社の顧問弁護士として年収1億円を超える成功を収めたが、それもつかの間だった。アルコール使用障害、鬱病、肝硬変で幻覚や幻聴に悩まされるようになり、やがて法律事務所を畳み、家族とも離散した。2度の結婚も失敗に終わり、転落の人生を歩んでいった。

事件から40年—沈黙を破った告白

2007年、事件から約40年が経過したとき、消息不明とされていた熊本氏が突然公の場に姿を現した。衆議院議員会館で行われた「死刑廃止を推進する議員連盟」の院内集会に参加し、元担当判事として袴田巌の無実を訴えたのである。

裁判所法には「評議の秘密」が規定されており、裁判官が評議の内容を明かすことは原則として禁じられている。しかし熊本氏は、この重大な守秘義務を破ってまで真実を語った。「私は無罪を主張したが2対1で有罪に決まった」と。

この告白は大きな反響を呼んだ。テレビや新聞は大きく取り上げ、海外のメディアからも勇気ある発言、良心的な判事だと、その行動を賞賛する報道が相次いだ。

自分が起案した判決を覆すために再審開始を求めるという異例の行動として、最高裁に陳述書を提出。東京拘置所を訪れて袴田氏との面会を申し込むなど、支援活動を続けた。

美談では終わらない複雑な真実

しかし、熊本氏自身は自らの行動を単純な美談とは考えていなかった。「この話を決して美談にしてはいけない」と著者に念を押すようになったという。

支援者の一人は、熊本氏について「袴田さんに死刑判決を下した負い目を常に感じていたのでしょう。何かをしなければという思いと、何もできない現実。そのギャップが明らかに熊本さんの心の重荷になっていた」と語っている。

2018年1月、熊本が入院中の病院において、地裁の法廷以来約50年ぶりに袴田巌と対面した。病床に横たわる熊本氏は、ようやく実現した面会で袴田氏に謝罪の言葉を伝えたという。

そして2020年11月11日、福岡市の病院で死去。83歳だった。亡くなる直前、袴田氏の姉・秀子氏が見舞いに訪れると、意識が朦朧としながらも反応を示し、何かを言おうとしきりに口を動かしていたという。最期まで、この事件のことを気にかけていたのかもしれない。

日本の司法制度が問いかけるもの

袴田事件は、証拠の捏造が行われ、無実の人間が47年以上も拘束され続けた冤罪事件である。そしてこの事件は、裁判官という立場にありながら、組織の論理に押し切られ、自らの良心に反する判決を書かざるを得なかった一人の人間の悲劇でもあった。

合議制度における多数決という仕組み、若手裁判官が先輩裁判官の意見に逆らいにくい組織文化、そして一度下された判決を覆すことの困難さ。熊本氏の人生は、日本の司法制度が抱える構造的な問題を浮き彫りにしている。

2024年、袴田氏の無罪が確定したことで、この長い闘いはひとつの区切りを迎えた。しかし熊本氏が生前に訴えていたように、この物語を美談として消費してはならない。

無実の人間を死刑囚として47年以上拘束し続けた司法の過ちと、その判決に関わりながらも声を上げることができなかった裁判官の苦悩。そして、遅すぎた告白とそれでも消えることのなかった良心の呵責。この事件が私たちに突きつけているのは、正義とは何か、司法制度はどうあるべきか、という根源的な問いである。

袴田事件の教訓を風化させず、二度と同じような冤罪を生まないために、私たちは司法制度の改革と、個人の良心が組織の論理に押しつぶされない仕組みづくりを考え続けなければならない。

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