中山雅史と言えば、ワールドカップで日本人初ゴールを決めたストライカーとして知られる存在ですが、実は大学時代、まったく違うポジションでプレーしていたことをご存知でしょうか。
さらに、国民的女優・長澤まさみの芸能界デビューにも深く関わっていたという、知られざるエピソードについても紹介します。
生粋のストライカーではなかった?筑波大学時代の驚きの事実
中山雅史といえば、ゴールへ飛び込む姿が印象的なセンターフォワード。しかし彼のキャリアは、実は守備の要であるセンターバックから始まっていました。
井原正巳とのセンターバックコンビ
1986年、中山は筑波大学体育専門学群に入学し蹴球部に入部します。そこで衝撃的な事実が待っていました。同期として入部したのは、後に「アジアの壁」と呼ばれることになる日本代表の名センターバック・井原正巳だったのです。
中山と井原はセンターバックのコンビを組んでおり、ユース代表でも守備陣の中心として活躍していました。高校時代にエースストライカーとして活躍していた中山が、大学では守備的なポジションを務めていたというのは、まさに意外な展開です。
レギュラー争いと挫折
チーム内の練習試合では最初は中山が選ばれたものの、その後は井原がずっとレギュラーとして選ばれ続けたといいます。中山自身も当時を振り返り、井原とのライバル心をむき出しにしていたことを明かしています。
世界的な守備の名手となる井原正巳との競争に敗れ、センターバックとしての道が閉ざされかけていた中山。しかしこの挫折が、彼を伝説のストライカーへと導くことになります。
運命を変えた先輩の一言
ストライカーへの転身のきっかけは、チームにフォワードが不在になったことでした。当時2年先輩だった長谷川健太(現ガンバ大阪監督)から「お前がやれ」という厳命を受け、中山は再びフォワードに戻ることになります。
中山は「プレーができるならどこのポジションでもよかった」と語っており、この貪欲さこそが彼を日本代表のエースストライカーへと成長させる原動力となったのです。高校時代は静岡県選抜でもディフェンダーを経験するなど、本来のポジションへのこだわりはあまりなかったといいます。
筑波大学での経験は、後の中山のプレースタイルにも大きな影響を与えました。守備の視点を理解していたからこそ、相手ディフェンスの裏をつく動きやポジショニングに優れたストライカーになれたのかもしれません。
長澤まさみとの知られざる絆

中山雅史のもうひとつの意外なエピソードが、国民的女優・長澤まさみとの関係です。実は中山が、長澤まさみの芸能界入りのきっかけを作った重要人物だったのです。
ジュビロ磐田を通じた運命的な出会い
長澤まさみの父親である長澤和明氏は、元サッカー日本代表選手であり、中山が所属していたヤマハ発動機サッカー部(後のジュビロ磐田)の初代監督を務めていました。この縁で、中山と妻の生田智子は長澤家と家族ぐるみの付き合いをするようになります。
長澤家に遊びに行った際、中山夫妻は幼い長澤まさみと出会いました。当時小学生だった長澤まさみは、まだ芸能界とは無縁の普通の子供でした。
「将来結婚しようね」の約束
テレビ番組で長澤まさみ自身が明かしたところによると、小学生のころ中山から将来結婚しようとプロポーズされたといいます。子供心に本気でその約束を信じていた長澤まさみでしたが、その後中山は女優の生田智子と結婚。
長澤まさみは「大人ってうそつき」と思ったと、当時の寂しさを振り返っています。
この微笑ましいエピソードは、のちに長澤まさみがテレビ番組で何度も語っており、中山本人も「もったいないことをしたな」と苦笑いしながら認めています。
芸能界デビューへの導き
長澤まさみの芸能界入りに、中山夫妻が大きな役割を果たしました。生田智子は長澤和明氏の妻と親交を深め、長澤まさみが芸能界に興味を持っていることを知ります。
東宝芸能に所属していた生田智子は、自身の事務所が開催する東宝シンデレラオーディションの情報を長澤家に教えたのです。これが、長澤まさみが第5回東宝シンデレラオーディションに応募するきっかけとなりました。
2000年、当時12歳の長澤まさみは35,153人の応募者の中からグランプリに選ばれ、史上最年少で芸能界デビューを果たします。その後『世界の中心で、愛をさけぶ』で大ブレイクし、今や日本を代表するトップ女優として活躍しています。
長澤まさみ本人も、中山雅史について「ゴンさんが夢を見させてくれたから、自分も芸能界に入ったのかなって思う。導いてくれた人」と感謝の言葉を述べています。
二つの物語が教えてくれること
挫折こそが転機になる
中山雅史のストーリーが教えてくれるのは、挫折や失敗が必ずしも終わりではないということです。井原正巳とのポジション争いに敗れたことが、結果的に日本代表のエースストライカーとしての道を開きました。
筑波大学でのセンターバック経験は無駄ではなく、守備側の思考を理解することでより優れた攻撃選手になるための糧となったのです。「プレーができるならどこのポジションでもよい」という柔軟な姿勢が、彼を偉大な選手へと導きました。
人と人とのつながりが未来を変える
長澤まさみのエピソードは、人とのつながりの大切さを教えてくれます。サッカーを通じて生まれた中山と長澤家との縁が、一人の少女の人生を大きく変えることになったのです。
もし中山が生田智子と結婚していなければ、もし長澤家との交流がなければ、今の長澤まさみは存在しなかったかもしれません。何気ない日常のつながりが、思いもよらない形で大きな結果をもたらすことがあるのです。
中山雅史の意外な一面
中山雅史の大学時代のセンターバック経験と、長澤まさみの芸能界デビューへの貢献。これらのエピソードは、「炎のストライカー」として知られる彼の意外な一面を教えてくれます。
ゴールへ向かって全力で走り続けた中山雅史。彼のサッカー人生は、決して順風満帆ではありませんでした。しかし、どんな状況でも前を向いて挑戦し続ける姿勢が、日本サッカー史に残る名ストライカーを生み出したのです。
そして今、日本を代表する女優として活躍する長澤まさみ。彼女の輝く姿の背景には、中山夫妻との温かい交流があったことを忘れてはいけません。



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