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朝倉海の格闘技人生──路上スパーリングから始まった伝説のストーリー

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格闘技
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RIZINやUFCで活躍する朝倉海。現在は日本を代表する総合格闘家として世界の舞台で戦っているが、彼が格闘技の道を歩み始めたきっかけは、18歳の時に兄・未来に突然呼び出された「路上スパーリング」だった。

不良だった兄とは対照的に真面目に学生生活を送っていた海が、なぜ格闘家の道を選んだのか。兄が少年院に入っていた時期のエピソードも交えながら、朝倉海の格闘技人生の原点を紐解いていく。

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真面目な学生時代を送った海と不良だった兄・未来

愛知県豊橋市で育った朝倉海は、小学生時代から兄の未来とともに空手や相撲を習っていた。しかし、兄とは対照的に学生時代は真面目に過ごし、中学校ではバレーボール部、高校では美術部に所属していた。不良に絡まれた際には喧嘩に応じることもあったが、基本的には普通の高校生だったという。

一方、兄の朝倉未来は中学時代から不良として地元で名を馳せていた。先輩に敬語を使わず、喧嘩に明け暮れる日々。高校時代には傷害事件で退学処分となり、その後は暴走族の副総長として活動していた。当時の未来は地元豊橋で「喧嘩最強」として恐れられる存在だった。

兄・未来の少年院時代と海への影響

16歳の時、朝倉未来は無免許運転により少年院に収容され、18歳まで1年4カ月を過ごすことになる。地元の警察からマークされていた未来を捕まえるため、白バイ隊員全国2位の隊員がわざわざ派遣されたというエピソードが残っている。

当初、未来は極道を目指していたため、少年院に入ることは「箔がつく」と前向きに捉えていたという。しかし、少年院での生活は厳しいものだった。私語厳禁、笑ってはいけないというルールがあり、2度笑わされたことで単独室に入れられたこともあった。

そんな未来に大きな変化をもたらしたのは、母親の存在だった。豊橋から1〜2時間かけて毎月面会に来てくれる母親の姿を見て、未来は「大切な人を泣かせていては本当の自由ではない」と気づいた。母親が自分の育て方が悪かったと泣いていたことを知り、価値観が大きく変わったのだ。

また、弟の海も時折面会に訪れていた。兄が少年院に入っている間、海は「朝倉未来の弟」というだけで様々なトラブルに巻き込まれていたという。

地元最強のヤンキーである兄がいなくなったことで、海が標的にされることもあった。真面目だった海にとって、この時期は理不尽な経験が続いた時期だったといえる。

運命を変えた「路上スパーリング」

少年院を出所した未来は、友人から格闘技イベント「THE OUTSIDER」の話を聞き、格闘技の道へ進むことを決意。禅道会豊橋道場に入門し、打撃だけでなく寝技の技術も習得し始めた。

そして、未来は弟・海の格闘技の才能を試すため、ある日突然、海を自宅前の路上に呼び出した。高校3年生だった海は当時、体重40キロ台、身長160センチにも満たない小柄な体格だった。

薄暗い街灯の下、未来は海にグローブを渡すと「これつけろ!」と言い、いきなり殴りかかった。海にとって、グローブをつけてのスパーリングは人生初の経験。構え方すら分からない状態だった。

しかし、海は本能的に未来の攻撃をかわし続けた。未来がオーソドックス構えから放った本気の左フックに対し、海は後に「人生で初めて死を覚悟しました。あっ、これ当たったら殺されるわと思って」と振り返っている。だが、海はギリギリのところで外側にステップしてかわし、さらには反撃に転じたのだ。

未来は弟の動きを見て驚愕した。「当時、僕は路上の喧嘩で圧倒的に一番強かったし、パンチを避けられるやつもいなかった。弟はそれをいきなり避けたので、すごい才能があるのかなと思いました」と当時を振り返っている。

翌日、未来は海を禅道会豊橋道場に連れて行った。道場のメンバーたちは海の身のこなしを見て「神」「本当の天才が来た」と驚いたという。こうして、2012年3月、海が高校の制服を着ていた頃、朝倉兄弟の格闘家としての歩みが始まったのである。

路上スパーリングがもたらした運命の転換

海本人も、この路上スパーリングがなければ格闘技を始めることはなかったと明かしている。「兄貴のパンチを避けられたのは自分でも驚きました。ちょうどそのころ、やりたいことが何もなかったんですよ。喧嘩は嫌いでしたけど、男として強さへの憧れみたいなものはずっと抱いていたので、格闘技をやってみようと思いました」

この路上スパーリングの映像は、朝倉兄弟の原点として今も語り継がれている。薄暗い路上で、グローブをつけた2人が本気で拳を交わす姿は、格闘技ファンに強烈な印象を残している。硬いアスファルトの上で行われたこのスパーリングは、今考えれば非常に危険な行為だったが、海にとってはまさに運命を変える出来事となった。

UFCデビューを前にした2024年11月、海はSNSでこの路上スパーリングの映像を公開し、「18歳の頃に兄貴に突然呼び出されてやったこのスパーリングがきっかけで格闘技を始めて一週間後に世界王者と戦うところまでたどり着いた。夢を持つこと、その夢を叶えるために努力し続けること、支えてくれる人への感謝忘れないことの大切さを今回の試合でみんなに届けるよ」とメッセージを綴っている。

THE OUTSIDERから世界へ

路上スパーリングをきっかけに格闘技を始めた海は、2012年にDEEPでプロデビュー。その後、兄とともに不良たちの甲子園と呼ばれた「THE OUTSIDER」に参戦し、2014年には55-60キロ級初代王者に輝いた。

2017年にはRIZINに参戦し、デビュー戦でTKO勝利を収めると、その後も勝利を重ねていく。2019年には堀口恭司を68秒でKOし、国際的にも注目される存在となった。2020年と2023年にはRIZINバンタム級王者に輝き、日本を代表する格闘家としての地位を確立した。

そして2024年12月、海はついに世界最高峰の舞台・UFCへと進出。デビュー戦でいきなりフライ級タイトルマッチに挑戦するという異例の抜擢を受けた。日本人初、そしてアジア人男性初のUFC王者を目指す挑戦は世界中から注目を集めた。

兄弟の絆が生んだ格闘技への情熱

朝倉兄弟の物語は、単なる格闘家の成功譚ではない。不良だった兄が少年院で価値観を変え、格闘技の道へ。そして、真面目だった弟を路上に呼び出し、その才能を引き出した。兄が少年院にいた時期に理不尽な目に遭った海が、最終的に世界の舞台で戦うまでに成長する。この兄弟の歩みには、家族の絆、困難を乗り越える力、そして夢を追い続ける情熱が詰まっている。

現在、YouTuberとしても活動する朝倉兄弟は、格闘技の魅力を広く伝える活動を続けている。海は「格闘技には夢があるんだと伝えたい。格闘技で成功すればいい暮らしができるということをちゃんと見せていきたい」と語っている。

路上の伝説から始まった朝倉兄弟のストーリーは、今も進化を続けている。あの薄暗い路上でのスパーリングが、世界最高峰の舞台へとつながっていく──それは、夢を持ち続け、努力し続けることの大切さを私たちに教えてくれる物語なのである。

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