はじめに
RIZINのリング上で圧倒的な柔術技術を武器に、次々と対戦相手を極めていく格闘家がいる。クレベル・コイケ。14歳で来日し、ボンサイ柔術で柔術とMMAを学んだ彼は、現在「柔術界の鬼神」「RIZINの鬼神」として恐れられる存在となった。
しかし、その栄光の裏には、異国の地で生き抜くための壮絶な戦いと、自らを見失いかけた暗黒時代があった。
クレベル・コイケがなぜ日本に来たのか、格闘技との運命的な出会い、そして破門の危機に直面した過去について、詳しく掘り下げていく。
日系ブラジル人としての葛藤 – なぜ日本へ来たのか
クレベル・コイケ・エルベストは1989年10月16日、ブラジルのサンパウロ州サンパウロで生まれた。彼のルーツは複雑で、日本人とブラジル人の血が混じり合っている。日本人の祖父がブラジルで柔道をやっていた縁から、サンパウロで7歳から柔道を始めた。
そんなクレベルの人生が大きく変わったのは14歳の時だった。両親とともに出稼ぎのために日本に移住することになったのだ。当時のブラジルは経済的に厳しい状況にあり、多くの日系ブラジル人が日本での就労を選択していた。クレベルの家族もまた、より良い生活を求めて太平洋を渡る決断をした。
しかし、日本での生活は想像以上に過酷だった。中学校で在日ブラジル人たちがいじめられている姿を見て学校には行かなくなり、工場の仕事、養鶏場やゴミ回収のアルバイトをして生計を立てていた。言葉の壁、文化の違い、そして偏見。クレベルは二重のアイデンティティの狭間で苦しんでいた。
ポーランドでKSWフェザー級チャンピオンとして活躍していたころ、母国ではブラジル人とは見なされず、17年間住んでいる日本では日本人とは見なされていなかったと後に語っている。日本では「ガイジン」として偏見の目に晒されてきた一方で、ブラジルにいたころは「Japa(日本人)」と呼ばれており、どちらの国でも「よそ者」として扱われる経験が、彼の闘争心の源泉となった。
格闘技との出会い – ボンサイ柔術という運命
日本での生活に希望を見出せずにいたクレベルにとって、ボンサイ柔術との出会いは人生の転機となった。ブラジルで始めた柔道の経験があったクレベルは、日本で柔術と総合格闘技に触れることになる。
ボンサイ柔術は、マルコス・ヨシオ・ソウザが主宰する道場で、日系ブラジル人を中心としたコミュニティが形成されていた。同じルーツを持つ仲間たちとの出会いは、孤独だったクレベルにとって心の拠り所となった。特に、後にRIZINライト級王者となるホベルト・サトシ・ソウザとの兄弟のような絆は、彼の人生を支える大きな柱となる。
柔術と総合格闘技の技術を習得していく中で、クレベルは自分の居場所を見つけていった。マットの上では、国籍も言葉も関係ない。技術と闘志だけが物を言う世界。それがクレベルにとって、初めて対等に戦える場所だったのだ。
暗黒時代 – 素行の悪さとジム破門の危機
しかし、クレベルの人生には更なる試練が待ち受けていた。2008年の秋にリーマンショックによる不況の影響で両親たちはブラジルへ帰ることとなる。家族という支えを失ったクレベルは、精神的に大きく揺らいだ。
これにより精神的に荒み、ナイトクラブでセキュリティとして働いていた際にはストリートファイトに明け暮れ、数多くのもめ事を起こしていたのだ。若きクレベルは、自暴自棄になり、格闘技で身につけた技術を街のケンカで使うようになってしまった。ナイトクラブのセキュリティという仕事柄、トラブルは日常茶飯事だった。しかし、クレベルはそのトラブルをエスカレートさせ、問題を次々と起こしていった。
この状況を重く見たマルコス・ヨシオ・ソウザ師範は、重大な決断を下そうとしていた。これを問題視したマルコス・ヨシオ・ソウザによってボンサイ柔術を破門されそうになるのである。道場の名誉を守るため、そして武道の精神を守るため、ヨシオ師範はクレベルを道場から追放することを検討した。
格闘技の世界では、技術だけでなく人格や品性も重要視される。特に武道の精神を重んじる日本の道場においては、素行の悪さは許容できない問題だった。クレベルは、唯一の居場所を失う瀬戸際に立たされていた。
救いの手 – サトシの涙と再生
破門寸前のクレベルを救ったのは、兄弟同然の絆で結ばれたホベルト・サトシ・ソウザだった。ホベルト・サトシ・ソウザが涙を流して「自分が一緒にいるからチャンスをあげてほしい」とヨシオを説得し、道場に留まらせた。
サトシの必死の説得は、ヨシオ師範の心を動かした。そして何より、クレベル自身の心に深く刻まれた。兄弟のように慕ってくれる仲間が涙を流してまで自分を信じてくれたこと。その事実が、クレベルの人生を変える原動力となった。
この出来事を境に、クレベルは生まれ変わった。ソウザ兄弟らとアパートで共同生活をしながら共にボンサイ柔術で技を磨き上げ、数々の柔術大会で入賞していくのである。街でケンカに明け暮れていた若者は、マットの上で技術を競う真の格闘家へと成長していった。
プロ格闘家への道 – DEEP、KSW、そしてRIZINへ
2008年9月28日にDEEPで総合格闘家としてプロデビューしたクレベルは、着実にキャリアを積み上げていく。日本での活動を経て、海外の舞台へと挑戦の場を広げた。
ポーランドの格闘技団体KSWでは、フェザー級王者の座を獲得。海外で成功を収めたクレベルの目には、かつて自分を受け入れてくれた日本のリング、特にRIZINへの出場という夢が映っていた。
MMAを知っている人はみんな、自分が海外のチャンピオンだったのを知っているから、自分と戦うことを恐れていた。RIZINを見ているだけの日本人の観客は自分が誰なのかわからないし、日本のファイターは自分がタフすぎるし人気が足りないと言ったからRIZINは外国人とのマッチメイクをしたと、RIZIN参戦までの困難を振り返っている。
しかし、2020年の大晦日、ついにその夢が実現する。RIZIN.26でRIZINに初出場し、カイル・アグォンと対戦。1Rに右のオーバーハンドフックでダウンを奪った後、ダースチョークで一本勝ちを収めた。
その後の快進撃は目覚ましいものだった。5戦全勝で迎えた2022年10月、牛久絢太郎を2Rに三角絞めで極め第3代RIZINフェザー級王者に輝き、全て一本でRIZIN6戦全勝を挙げた。かつて破門寸前だった問題児は、「柔術界の鬼神」から「RIZINの鬼神」へと昇華したのである。
おわりに
14歳で日本に渡り、言葉も通じず、偏見に晒され、学校にも行けなかった少年。家族が去った後、ストリートファイトに明け暮れ、道場からの破門寸前まで追い込まれた問題児。しかし、仲間の涙と信頼が彼を救い、マットの上で真の居場所を見つけた。
クレベル・コイケの物語は、単なる格闘家のサクセスストーリーではない。それは、二つの国のどちらにも属せないというアイデンティティの葛藤、自暴自棄になりながらも再生を遂げた人間ドラマ、そして何よりも「仲間」の力がいかに人を変えるかを示す感動的な物語なのだ。
今、RIZINのリング上で三角絞めを極めるクレベル・コイケの姿を見る時、我々はその技術の美しさだけでなく、そこに至るまでの険しい道のりにも思いを馳せるべきだろう。「RIZINの鬼神」の背後には、涙と汗と友情に満ちた、真の格闘家への道が存在しているのだから。



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