1杯180円の衝撃 ― 90年代に現れた「びっくり価格」のインパクト
1997年11月、大阪市福島区に「びっくりラーメン一番」の1号店が開業しました。知人のスナックを改装したこの小さな店舗から、「びっくりラーメン」の価格革命が始まったのです。
当時の看板商品は1杯189円(税抜180円)のラーメン。90年代後半といえば、一般的なラーメン店では500円から600円が相場だった時代。
ラーメン1杯の原価はわずか45円前後という徹底したコスト管理により、この「びっくり価格」は実現されました。
インパクトは絶大でした。「本当にラーメンなのか?」「食べられる味なのか?」という疑問から、確認のために一度は訪れる人が続出。謎の深夜価格(+100円)も話題を呼び、街中で「びっくりラーメン」の看板を見かけるたび、人々は驚きと好奇心を抱いたものです。
急成長と全国展開 ― わずか8年半で200店舗の拡大戦略
創業からわずか8年半で全国194店舗(2006年4月中旬時点)にまで拡大し、中国の青島にも進出。売上高58億円、フランチャイズチェーンとして全国約200店にまで成長しました。
成功の秘訣は、自動調理器の導入にありました。ラーメンを茹でる機械、餃子を焼く機械など、徹底的な自動化によりコスト削減と品質の均一化を実現。人件費を抑えながらも、24時間営業という利便性を武器に、不況時代の「不況型ビジネス」として大成功を収めたのです。
創業者の加藤博一社長は、67歳で始めたこの事業で大きな成果を上げたベテラン起業家でした。「自家製麺で利益は十分取れている」と意気揚々と語り、拡大路線を突き進んでいたといいます。
安さの裏にあった致命的な弱点
しかし、価格の衝撃が薄れるにつれ、消費者の評価は厳しさを増していきました。
「安さに慣れるにつれ、味そのものに対する評価に厳しい声が上がるようになります」。実際に店舗を訪れた人々の声は率直でした。
「スープは昔ながらのあっさり醤油味だが、如何せん味が薄い。何でダシをとっているのか分からないくらい」という評価。野菜だけでダシを取っていたとされますが、コクや旨味に欠け、深みのない味わいだったのです。
チャーシューライス(略してチャーライ)というチャーハンメニューについては「味も匂いも食えたものじゃない」「一口食べてやめた」など散々な評価で、油っ気が先にたって、食べなれたチャーハンとは別物だったといいます。
「味うっすいスープとハムみたいなチャーシューのラーメンやったなあ」という声や、「カップラーメンを食うなら180円ラーメンのほうがいい」という声も。比較対象がインスタント麺では、本格的な味とは程遠かったことが窺えます。
麺だけは自家製麺でコシがあり評価する声もありましたが、スープに力がないため、おろしにんにくやこしょうを大量に入れて味を補う必要がありました。
リピーター獲得の失敗
価格インパクトで初回来店は獲得できても、味への不満からリピーターは育ちませんでした。
「低単価商品の命である客数の確保は傍から見ても多いとは言えず、満席などありえない様子」という状況に。
初回の好奇心で訪れた客は、二度目の来店をためらったのです。
「ラーメン単品注文の客には必ず他にもいかがですか?と店員が聞いてくるのがイヤだった。180円のみの儲からない注文をする乞食じゃねーだろうなと脅されてる感」という声も。
低単価ゆえの接客圧力が、顧客体験をさらに悪化させていました。
外食産業において、リピート率は生命線です。どれだけ安くても、「また食べたい」と思わせる味でなければ、持続的な経営は困難。びっくりラーメンは、この根本的な課題を克服できませんでした。
迷走する価格戦略と業態転換の失敗
2006年頃から、閉店する店舗や24時間営業を取りやめる店舗が目立ち始めました。経営は急速に悪化し、2007年7月には「不採算店を閉鎖しながら380円ラーメン店への転換を進めている」という報道がなされます。
180円という「びっくり価格」こそがブランドの核だったにもかかわらず、値上げに踏み切ったのです。料金を380円へと転換したことで「びっくり」感が減ってしまい、差別化要因を自ら放棄する結果となりました。
2007年8月30日、大阪地方裁判所に民事再生法の適用を申請。負債額は約32億円。創業からわずか10年で、経営破綻に至ったのです。
吉野家による救済と最終的な撤退
民事再生法申請後、吉野家ディー・アンド・シーに事業譲渡。譲渡価格は約8億円で、この時点で約200店の店舗が存在していました。
吉野家ホールディングス傘下で再建を図りますが、「譲渡後、およそ200店あった店舗を58店に減らし、業態を「びっくりラーメン」のほか、「麺屋五条弁慶」「中華そば一番」などに分けました。
また原材料の高騰を理由に、びっくりラーメンは180円から250円に、麺屋五条弁慶はラーメン1杯400円と全体的に値上げしましたが、この値上げがよくなかった」のです。
吉野家ホールディングスの安部修仁社長は2008年10月17日の日本経済新聞の取材に対して、「屋号や価格などを全面見直ししたのが失敗であり、2010年2月期に黒字化の見通しが立たなければ売却や清算を考える」と表明。
そして2009年2月期の営業損益は約8億円の赤字。2009年8月31日、吉野家ホールディングスはラーメン事業から撤退し、買い手が現れない店舗は閉鎖されました。
こうして「びっくりラーメン一番」は完全閉店となり、大阪発祥の180円ラーメンは歴史の中に消えていったのです。
びっくりラーメン閉店が残した教訓
びっくりラーメンの失敗から学べることは明確です。
価格だけでは持続的な経営はできないという原則です。初回来店のインパクトは作れても、味が伴わなければリピーターは生まれません。外食産業において、顧客が求めるのは「価格と味のバランス」であり、どちらか一方だけでは不十分なのです。
また、「びっくりラーメン」の180円は1997年という不況のどん底時代に、価格の安さを売りにする「不況型ビジネス」として大成功を収めましたが、時代の空気が変わった10年後には合わなくなりました。ビジネスモデルは時代と共に変化する市場環境に適応できなければ、いくら一時的に成功しても長続きしないのです。
対照的に、同じ格安ラーメンチェーンでも、290円の幸楽苑は主力商品を520円の醤油ラーメンに生まれ変わらせ、郊外への店舗展開で生き残りました。価格戦略の柔軟性と味への投資が、明暗を分けたといえるでしょう。
「びっくり」だけでは生き残れない現実
大阪発祥の「びっくりラーメン一番」は、90年代後半に1杯180円という衝撃的な価格で、わずか8年半で全国200店舗という急成長を遂げ、誰もが一度は耳にした有名チェーン店となりました。
しかし、価格の安さというインパクトだけでは、長期的な顧客満足は得られませんでした。味の評価は厳しく、リピーターの獲得に失敗。2007年の経営破綻、吉野家傘下での再建の失敗を経て、2009年に完全閉店という結末を迎えました。
「びっくりラーメン」は、外食ビジネスにおける普遍的な真理を示しています。顧客は一度「びっくり」しても、二度目は「美味しさ」を求めるのです。
価格と品質のバランス、そして時代の変化への適応力。これらを欠いたビジネスモデルは、どれほど話題になっても持続できないという教訓を、180円ラーメンは残した。


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