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三浦知良が15歳で高校を辞めてブラジルに単身渡航した理由と過酷な下積み時代

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キングカズを作った決断─静岡の高校を捨てた15歳の覚悟

1982年、わずか15歳の三浦知良は静岡学園高校をわずか数ヶ月で退学し、単身ブラジルへと旅立った。日本サッカー界のレジェンドとして今なお現役を続ける彼の原点は、この大胆すぎる決断にある。

当時の日本では、高校サッカーが唯一のエリート養成ルートだった時代。なぜ三浦少年は、誰も歩んだことのない茨の道を選んだのか。

サッカーエリートではなかった少年時代

三浦知良は神奈川県出身で、小学生時代から地元のクラブでサッカーに親しんでいた。しかし彼は決して「天才少年」ではなかった。中学時代も目立った実績はなく、全国大会への出場経験もない。むしろ平凡なサッカー少年の一人に過ぎなかった。

それでも三浦少年の心には、プロサッカー選手になるという夢が燃えていた。当時の日本にはプロリーグが存在せず、実業団チームでサラリーマン選手として働くことが最高峰だった時代。真のプロフェッショナルを目指すなら、海外しか選択肢はなかった。

ブラジル行きを決意させた「本物のサッカー」への憧れ

三浦少年がブラジルを選んだ理由は明確だった。サッカー王国ブラジルこそが、世界最高峰の技術と戦術を学べる場所だったからだ。

彼は兄の影響でペレやジーコといったブラジルの名選手に憧れ、テレビで見るブラジルサッカーの華麗なプレーに魅了されていた。「日本でサッカーを続けても、世界には届かない」──この確信が、15歳の少年に高校退学という極端な決断をさせた。

両親は当然反対した。しかし三浦少年の情熱は揺るがず、最終的に父親が「やってみろ」と背中を押した。こうして1982年2月、三浦知良は単身ブラジル・サンパウロへと降り立った。

想像を絶する過酷さ─ブラジルでの苦難の日々

言葉の壁と孤独との戦い

サンパウロに到着した三浦を待っていたのは、想像を絶する過酷な現実だった。ポルトガル語は一言も話せず、コミュニケーションさえままならない。ホームシックと孤独感に苛まれる毎日が始まった。

ブラジルのサッカー練習は日本とは比較にならないほど厳しかった。技術レベルの高さはもちろん、フィジカルコンタクトの激しさに圧倒された。日本人の細身の体では、ブラジル人選手にまるで歯が立たなかった。

セレクションでの連続不合格

最初に受けたのは名門CAジュベントスのセレクション。しかし結果は不合格。その後も複数のクラブのテストを受けたが、ことごとく落とされ続けた。「日系人の細い体では通用しない」「フィジカルが弱すぎる」──容赦ない評価が突きつけられた。

資金も底をつき始め、帰国も考えた。しかし「ここで諦めたら、一生後悔する」という思いが三浦を支えた。日本人としてのプライドと、夢への執着が彼を踏みとどまらせた。

極貧生活と差別の中で

ようやく契約できたのは、サンパウロ州の弱小クラブだった。給料はわずかで、安アパートでの極貧生活が始まった。食事もまともに取れない日が続いた。

練習場では「ジャポネース(日本人)」と呼ばれ、時には差別的な扱いも受けた。チームメイトからパスが回ってこないことも日常茶飯事だった。それでも三浦は腐らず、誰よりも早く練習場に来て、誰よりも遅くまで居残り練習を続けた。

地を這うような努力の積み重ね

ブラジルでの最初の数年間、三浦は下部リーグのクラブを転々とした。契約解除、移籍、また契約解除の繰り返し。何度も心が折れそうになった。

しかし彼は決して諦めなかった。フィジカルの弱さを補うため、ウエイトトレーニングに励んだ。言葉の壁を克服するため、必死にポルトガル語を学んだ。ブラジル人選手の技術を盗むため、練習を観察し続けた。

食事も質素で栄養不足に陥ることもあったが、それでも練習の質を落とすことはなかった。「プロになる」という目標だけが、彼を支え続けた。

転機となったサントスFCへの移籍

1986年、19歳になった三浦にようやく転機が訪れた。ペレが在籍した名門サントスFCへの移籍が決まったのだ。ここで三浦は本格的にプロとしてのキャリアをスタートさせる。

サントスでの経験は彼を大きく成長させた。世界的な名門クラブの練習環境、高いレベルの試合、そして何より「プロとは何か」を学んだ。技術だけでなく、メンタリティ、プロ意識、すべてがブラジルで鍛えられた。

ブラジルが作った「キングカズ」というレジェンド

三浦知良がブラジルで過ごした約7年間は、まさに地獄のような日々だった。しかしこの経験こそが、後の日本サッカー界を牽引するレジェンドを作り上げた。

1990年、23歳で日本に帰国した三浦は、すぐに読売クラブ(後のヴェルディ川崎)でエースとして活躍。Jリーグ開幕後は初代MVPに輝き、「キングカズ」として日本サッカー界のアイコンとなった。

彼のプレースタイル、プロ意識、そして何より「諦めない心」は、すべてブラジルでの苦難が育てたものだ。15歳で高校を辞めてブラジルに渡るという無謀とも思える決断が、日本サッカー史上最大のレジェンドを生み出した。

今も現役を続ける理由

2025年現在も現役を続ける三浦知良。その原動力は、ブラジルで培った「サッカーへの純粋な愛」と「挑戦し続ける姿勢」にある。

「あの時ブラジルに行かなければ、今の自分はない」──三浦は後にこう語っている。15歳の少年が下した決断は、日本サッカー界に計り知れない影響を与え続けている。

高校を辞めてブラジルに渡った三浦知良の物語は、夢を追うことの厳しさと、それを貫くことの尊さを私たちに教えてくれる。挫折と孤独に満ちた7年間が、一人の少年を真のプロフェッショナルへと変えたのだ。

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