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【KGB伝説】第2代DREAMフェザー級王者・高谷裕之の不良時代

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喧嘩番長から世界王者へ

千葉県習志野市出身の高谷裕之は、少年時代から喧嘩に明け暮れ、地元・千葉のみならず関東の不良たちにもその名を轟かせた生粋の不良だった。そんな高谷が、後に総合格闘技の世界で第2代DREAMフェザー級王座を獲得し、トップファイターとして活躍することになるとは、誰が想像しただろうか。

彼の人生を語る上で欠かせないのが、1990年代初めから半ばにかけて東京都と千葉県を中心に活動していた伝説的チーマーグループ「KGB(キング・オブ・ギャング・ボーイズ)」での経験である。高谷裕之のKGB時代、そして彼と同じKGBのメンバーだった田中雄士、内藤裕らとのエピソードを紐解いていく。

KGBとは何だったのか

KGBは、亀有の高校に通っていた東京都江戸川区、葛飾区、千葉県松戸の不良少年グループが、千葉県津田沼(習志野市)、柏市の不良グループと合流し共闘体制を敷いたことがきっかけで結成された。

KGBは武闘派の集団として知られ、当時の不良少年らに恐れられる存在で、全盛期には関連グループも含めると1000人以上もの構成員がいたという。KGBが把握しているメンバーは300人、周辺部隊も含めれば1000人という大所帯だったのだ。

この巨大な組織の中で、高谷裕之は幹部として活動し、その名を轟かせていた。

「ワンパンの高谷」という異名

高谷は紹介VTRではいつもKGB時代の異名「ワンパンの高谷」と紹介されていた。この異名が示すとおり、高谷の最大の武器は一発で相手を沈める強烈なパンチだった。

実際、高谷は類い希な打撃センスと体の隅々にまで染み込んだ不良スピリットを持っていた。この不良時代に培われた喧嘩のセンスが、後にリングでの圧倒的な打撃力として開花することになる。

高谷は23歳の時に「とりあえずエネルギーを発散させないとマズい」と思ったことが切っ掛けで総合格闘技を始めた。荒れ狂うエネルギーを、合法的にリングで発散する道を選んだのだ。

田中雄士との関係:KGB2代目リーダーと幹部の絆

田中雄士は、構成員300人、周辺を含めれば最大1000人にも達したと言われる伝説のチーム・KGBを束ねた2代目リーダーだった。田中は中学時代はバスケットボール部の部長を務め、高校時代に兄の影響で夜遊びをするようになり、関東のギャングKGBに属したという経歴の持ち主だ。

高谷と田中は、このKGBという組織で固い絆を結んだ。田中雄士は高谷裕之について「DREAMの世界チャンピオンですからね、高谷はまちがいなく強いんでしょうね」と明確に評価し、「世界チャンピオンになったことは本当にうれしい。仲間として誇らしく思います」と語っている。

田中は小学校から空手を学び、中学で黒帯を締めていたが、それでも「喧嘩の強さは意識していなかった」「KGBの中に自分より強い人間は何人もいたはず。一番だとは思っていませんでした」と謙虚に語る。

この発言からも、KGBという組織がいかに個性的で実力のある人間たちの集まりだったかが窺える。田中は現在、キックボクシングのジム「レンジャージム」のオーナー兼会長として活躍し、格闘技界との繋がりを保ち続けている。

内藤裕との絆:「人刺しゆたか」と高谷の関係

内藤裕は、このチーマーグループ・KGBの幹部で、初代から3代目まで在籍していた。チーマー時代、喧嘩になると全く躊躇することなく人を刺しまくるため、「人刺ゆたか」と呼ばれて恐れられていた。

しかし、危ない奴というイメージがある内藤裕だが、身内に対しては非常に優しく、面倒見も良い人物らしく、後輩からはとても慕われているという一面も持っていた。

内藤裕は「尊敬する格闘家」として「オレのダチでKGBの高谷裕之」と答え、好きな格闘家としてもやはり高谷の名前を挙げている。この発言から、内藤が高谷に対して深い尊敬と信頼を寄せていることが分かる。

内藤裕と田中雄士は同じ日に別々の場所で事件を起こし、逮捕、収監された。新聞にも報道されたという過去もあり、KGBメンバーたちはまさに命を懸けた仲間だったのだ。

高谷の人間性:力を使わない男

興味深いことに、高谷は圧倒的な力を持ちながら、それを安易に使う人間ではなかった。昔のクラスメイトの話で、揉め事があった時に高谷と話をすると「タバコ行こうぜ」と誘われて、「俺は(喧嘩をしている)両方と友達だからどちらの味方もできないけど、ごめんな」と話したというエピソードがあり、「(高谷は)自分の力を知っていてもそれを友人関係で使ったりは絶対になかった」という証言がある。

高谷が警察に捕まった時は父親が呼ばれて警察と父が話しており、その時に高谷は「俺ってすげえ悪い奴だな」とつくづく思ったという。自分の行動を客観的に見つめ、反省する心を持っていたのだ。

格闘技界での成功:KGBの名を全国に

高谷裕之は、総合格闘家としてかなりの実績を残しており、修斗の2003年ライト級新人王、2010年に第2代DREAMフェザー級王座を獲得し、通算成績は25勝15敗2分だった。この高谷裕之の総合格闘技での活躍によって、チーマーグループ・KGBの名前も全国的に知られるようになった。

2009年はDREAMフェザー級GPにエントリーし、キム・ジョンウォン、前田吉朗、所英男を相手にすべてKO勝ちし準優勝。2010年大晦日にはビビアーノ・フェルナンデスとの再戦に勝利し第2代DREAMフェザー級王座に戴冠。2011年7月には宮田和幸を下し、同王座初防衛に成功した。

現在:経営者として

現在、高谷裕之は、EXILEの所属する芸能事務所「LDH」傘下のトレーニングジム運営会社「LDH martial arts」の代表取締役CEOを務めている。不良少年からトップファイター、そして経営者へと転身を遂げた高谷の人生は、まさにドラマそのものである。

私生活では2009年11月22日にモデルの三浦麻穂と結婚し、2人は三浦麻穂が17歳、高谷裕之が19歳の頃に交際をはじめ、当時から同棲していたという。13年の交際を経て結婚しており、波乱の人生の中で支え合う伴侶を得たのだ。

絆と成長の物語

高谷裕之のKGB時代は、不良のエピソードではない。KGB時代の「ワンパンの高谷」という異名は、不良時代の呼び名からリングでの勝ち名乗りへと変わった。

高谷裕之の格闘技人生は、過去を乗り越え、新しい道を切り開くことの素晴らしさを教えてくれた。

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