あの実力で、なぜ世界に届かなかったのか
インターハイ2連覇。プロ転向後も日本王者、東洋太平洋王者と頂点を極め、WBA世界ミドル級タイトルマッチにまで辿り着いた男がいる。
元プロボクサー、保住直孝(ほずみ なおたか)。
同門の先輩で元世界王者・大橋秀行(現大橋ジム会長)に「最初見た時、天才かと思いましたよ」と言わしめた逸材だ。それほどの才能を持ちながら、なぜ世界チャンピオンになれなかったのか。「過小評価されている」という声がある一方、「あれが限界だった」という見方もある。答えは、単純ではない。
保住直孝とは何者か
保住直孝は1974年生まれ、神奈川県横須賀市出身。横浜高校在学中の1991年・1992年、インターハイライトヘビー級2連覇を達成した。 アマチュア時代は17戦全勝・14KOという驚異的な戦績を誇り、卒業後はヨネクラボクシングジムに入門してプロへの道を歩み始める。
プロ通算戦績は39戦30勝(23KO)7敗2分。KO率は約60%に達し、ガチガチのインファイタースタイルで相手を削り倒す戦い方は、ファンから絶大な支持を受けた。1999年に日本ミドル級王座を獲得し、2001年には東洋太平洋OPBFミドル級王座も手中に収めた。 国内・東洋レベルでは紛れもないトップ選手であり、「弱かったから世界に届かなかった」という評価は明確に間違っている。
問題は、その先にあった。
なぜ世界戦に届かなかったのか【3つの核心】
結論を先に言う。保住直孝が世界王座を逃した理由は、大きく3つある。
① ジャブと手数という”世界基準”の壁 ② 強豪との対戦タイミングのズレ ③ リング外の問題が招いたキャリアの断絶
以下、順を追って深掘りしていく。
決定的だった「あの敗戦」——2002年10月、両国国技館
保住のキャリアにおける最大の分岐点は、2002年10月10日に行われたWBA世界ミドル級タイトルマッチだ。
相手は王者ウィリアム・ジョッピー(米)。ジョッピーは竹原慎二からベルトを奪い、ロベルト・デュランを3回TKOで退けるなど、5度の防衛に成功したWBA世界王者。本場アメリカ産の本物のミドル級チャンピオンだった。
試合は両国国技館で行われ、保住は序盤から果敢に前に出た。しかし結果は10回TKO負け。速いジャブと連打のジョッピーに対し、保住はガードを上げて右ストレート・左フックのボディ打ちで対抗したが、ジャブが少なく動きの速いジョッピーに振りの大きいパンチが当たらず、10ラウンドに右でグラついたところを連打を浴びてレフェリーストップ。
この試合が示した差こそが、保住が世界に届かなかった「本当の理由」の核心だった。
世界王者との”決定的な差”
保住はKO率の高いインファイターだった。それは強みであり、同時に弱点でもあった。
世界のミドル級王者たちに共通するのは、ジャブの精度と手数の多さだ。ジョッピーはその典型で、ジャブと手数の多さで挑戦者を上回った。保住のような前進型のファイターは、ジャブで距離をコントロールされ、踏み込む前に削られてしまう。インファイターが世界の舞台で戦うには、ジャブを交わしながら距離を詰める技術が不可欠だが、そこに明確な差があった。
また、保住はガチガチのインファイターでKO率が8割超えという爽快なファイターという当時の評価が示す通り、豪快さとエンターテインメント性は持っていた。だが世界レベルでは、その豪快さを引き出す前に試合を組み立てられてしまう。「強い」だけでは届かない。それが世界ミドル級の現実だった。
不運か、それとも実力か
ここで議論が分かれる。
「環境が違えば王者になれた説」を唱える側はこう言う。竹原慎二とは対戦が実現しなかった。もし実現していれば——あるいは世界戦のタイミングがもう少し早ければ、という仮定は完全には否定できない。ランカー時代、保住はOPBF王者だった竹原慎二への挑発を繰り返したが、対戦は実現しなかった。当時の竹原は世界戦へのステップを着実に踏んでいたのに対し、保住は舞台裏のすれ違いで機会を失った面もある。
一方で「あれが限界だった説」もある。ジョッピーとの試合内容を見れば明らかなように、技術的なギャップは歴然としていた。仮に竹原に勝っていたとしても、ジョッピーやバーナード・ホプキンスら本物の世界王者との差を埋めるには、スタイルそのものを変える必要があったかもしれない。
答えは、おそらくその両方の間にある。
現役後の転落と「もし世界王者だったら」
保住のキャリアは、リング内だけでは語れない。
2008年2月に公務執行妨害事件を起こし、有罪判決を受けてJBCからライセンス無期限停止処分を受け、事実上引退となった。その後も逮捕が続き、6度目の逮捕時には同門の先輩・大橋秀行会長らへの脅迫メール送付が問題となった。
「もし世界チャンピオンになっていたら」——この問いに対する答えは誰にもわからない。しかし、世界王座という実績は選手のその後の人生に大きな土台を与えることがある。引退後のキャリア、社会的な居場所、精神的な支柱。それらをすべて失った男のその後を見ると、リング外での”敗北”がいかに深刻だったかが伝わってくる。
まとめ——”わずかな差”が人生を分けた
保住直孝は弱かったから負けたのではない。
インターハイ2連覇、日本王者、東洋太平洋王者、世界挑戦。これだけのキャリアを積み上げた選手が「弱い」はずがない。彼が世界に届かなかった理由は、ジャブの精度、距離の支配力、試合全体の組み立てという”ほんのわずかな差”だった。そしてリング外の問題がその差を埋める時間を奪った。
才能があっても、世界王者になれない。ボクシングというスポーツが持つ残酷な真実を、保住直孝という男の物語はくっきりと映し出している。だからこそ、この話は重い。

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