静岡県三島市内の山中に8歳の男児を置き去りにしたとして、静岡県警三島署は母親(28)と交際相手の男(28)を保護責任者遺棄の疑いで逮捕した。男は「しつけのためだった」と供述しているが、山中に幼い子供を独り残すことが「しつけ」である道理はない。
この事件は、日本社会が繰り返し直面してきた、ある根深い問題を改めて浮き彫りにした――シングルマザーの交際相手による子供への虐待という悲劇だ。
「しつけ」という言葉の免罪符
「しつけのため」という言葉は、子供への虐待事件において驚くほど頻繁に登場する。
2016年に北海道の山林で大和くん(当時7歳)が置き去りにされた事件でも、父親は「しつけだった」と主張した。あの事件は幸いにも男児が無事に発見されたが、その後も類似事件は後を絶たない。「しつけ」という言葉は、暴力や危険行為を正当化するための免罪符として機能してしまっている現実がある。
しかし冷静に考えれば明らかだ。山中に子供を独り置き去りにすることで、子供が学べることなど何もない。そこにあるのは恐怖と孤独、そして生命の危機だけだ。真のしつけとは、言葉と愛情をもって行動の意味を教えることである。暴力や恐怖を使った「しつけ」は、児童虐待に他ならない。
シングルマザーの交際相手による虐待――なぜ繰り返されるのか
日本の児童虐待事件の統計を見ると、ひとつの重要なパターンが見えてくる。虐待の加害者として「母親の交際相手(内縁の夫を含む)」が占める割合は、実父や実母と比較しても決して低くない。むしろ、死亡事例など深刻なケースにおいては、この関係性が目立って多く登場する。
なぜシングルマザーの交際相手による虐待が起きやすいのか。専門家の間ではいくつかの要因が指摘されている。
血縁のなさと心理的距離 実親であれば、子供に対して無意識のうちに働く保護本能がある。しかし血のつながりのない他人の子供に対しては、その本能が働きにくいとされる。子供が泣き止まなかったり、言うことを聞かなかったりするとき、実親なら何とか踏みとどまれる場面でも、交際相手はコントロールを失いやすい。
母親の孤立と依存 シングルマザーは経済的・精神的に追い詰められているケースが多い。そのため交際相手に依存しやすく、「子供のことは任せている」「彼が怒るのは子供が悪いから」と自分に言い聞かせてしまうことがある。今回の事件でも、母親は共犯として逮捕されている。子供を守るべき立場の母親が、なぜ交際相手の行為を止められなかったのか。その背景には、孤立と依存という構造的な問題が潜んでいる。
「子連れ女性」への偏見と社会的プレッシャー 子供がいる女性は「もらってもらえるだけありがたい」という歪んだ価値観が、特に地方ではいまだに根強い。そのプレッシャーが、交際相手を無意識にせよ優位な立場に置き、母親が子供を守る判断を鈍らせることがある。
ネットの反応――怒りの先にある問いかけ
この種の事件がニュースになると、SNSや掲示板には激しい怒りと批判のコメントが溢れる。今回も例外ではなかった。
「なぜ母親が止めなかったのか」「母親も同罪」「子供がかわいそうすぎる」――こうした声は、子供への純粋な同情と加害者への怒りから来るものであり、その感情は理解できる。同時に、「また同じパターンだ」「いつまで繰り返すんだ」という、事件の構造そのものへの絶望めいたコメントも目立つ。
一方でネット上の批判が「シングルマザー全体」や「子連れ再婚全体」への偏見へと転化してしまうことも少なくない。これは問題だ。シングルマザーの多くは、子供を守りながら懸命に生きている。一部の悲惨な事件を根拠に、シングルマザーという状況そのものを否定するような論調は、当事者をさらに孤立させ、追い詰めるだけだ。
社会が本当に議論すべきなのは、「なぜシングルマザーが孤立しやすいのか」「なぜ危険な交際相手に依存せざるを得ない状況が生まれるのか」という構造的な問いである。
子供を守るために社会ができること
こうした事件を防ぐために、日本社会には何が必要だろうか。
まず、早期の介入と支援体制の強化が不可欠だ。学校や保育園が子供の異変に気づいたとき、迅速に児童相談所や警察と連携できる仕組みを整えることが求められる。今回の被害男児も、事前に何らかのサインを発していなかったか、検証が必要だ。
次に、シングルマザーへの経済的・精神的支援の充実だ。シングルマザーが交際相手に過度に依存せず、自立した選択ができる環境を整えることが、子供を守ることに直結する。ひとり親家庭への支援制度は存在するが、まだ十分とは言えない。
そして、「しつけ」と「虐待」の違いについての社会的な教育も重要だ。今回のように「しつけのためだった」という言い訳が通用し得るのは、その境界線についての社会的認識がまだ曖昧だからとも言える。体罰や恐怖を使った「しつけ」は虐待であるという認識を、学校教育や地域コミュニティの中で継続的に伝えていく必要がある。
「しつけ」という言葉に騙されないために
山中に8歳の子供を独り置き去りにして、何が育まれるというのか。答えは明白だ。育まれるのは学びでも反省でもなく、深い傷と、大人への不信感だけだ。
「しつけのためだった」という言葉は、今後も繰り返し使われ続けるだろう。しかし私たちはもう、その言葉に騙されてはならない。子供を傷つける行為は、どんな名目であれ虐待だ。
今回逮捕された男と母親には、厳正な司法の判断が下されることを願う。それと同時に、この事件を「特殊な出来事」として消費するのではなく、日本社会の構造的な問題として受け止め、次の被害者を生まない社会づくりへとつなげていくことが、私たち一人ひとりに求められている。


コメント