PR
スポンサーリンク

多ケ谷亮がれいわ新選組を離党——イスラエル訪問が引き金、山本太郎との関係に何が起きたのか

スポンサーリンク
政治
スポンサーリンク

2026年1月、れいわ新選組の衆院議員・多ケ谷亮氏(57)が離党届を提出し、受理された。表向きの理由はイスラエル訪問をめぐる党内の対立だが、その背景には「密室での一方的決定」「意見聴取なし」「嘘つき呼ばわり」という言葉が飛び交う、想像以上に深い亀裂が隠されていた。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

多ケ谷亮とはどんな政治家か

多ケ谷亮氏は1968年生まれ、東京都新宿区出身の政治家。國學院大學文学部在学中に飲食店を起業し、複数の人気店を展開。その後、飲食コンサルタントや上場企業のアドバイザーとして活動した異色の経歴を持つ。

政界入りは2012年、「国民の生活が第一」(後に日本未来の党)からの出馬が最初だ。その後、れいわ新選組と出会い、2020年に公認内定を受け、2021年の第49回衆院選で千葉11区から出馬。選挙区では森英介氏に敗れたものの、比例南関東ブロックで復活当選を果たした。

れいわ入党後は初代の国会対策委員長を務め、2024年の第50回衆院選でも比例復活で2期目の当選を実現。同年11月には副代表に就任しており、党内での立場は決して軽いものではなかった。山本太郎代表との付き合いは13年に及ぶとも本人が語っており、れいわの草創期を支えた「古参メンバー」の一人と言っていいだろう。

発端——超党派のイスラエル訪問

事件の発端は2026年1月上旬に遡る。多ケ谷氏は超党派議員団の一員として、イスラエル政府の招待によりイスラエルを訪問した。そこで問題となったのが、ベンヤミン・ネタニヤフ首相と面会する写真が公開されたことだ。

れいわ新選組はこれまで一貫して、パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの軍事侵攻を強く批判する立場を取ってきた。「ガザ虐殺を止めろ」という主張は党の重要な旗印のひとつでもある。その党の副代表が、現在進行形でガザ侵攻を指揮するネタニヤフ首相と笑顔で並んだ写真を撮られたことは、支持者・党内の双方に激震をもたらした。

多ケ谷氏は後の記者会見で、「対話を促進するために訪問した」と説明したが、党内にはこの訪問を事前に知らせていなかったことも認めた。また、ネタニヤフ首相に直接質問を投げかける機会もなかったという。

党の反応——処分検討から「非公認」という事実上の除名へ

報道が出た1月10日、れいわ新選組の大石晃子共同代表と高井崇志幹事長はただちに動いた。「党方針にそぐわない行動」として多ケ谷氏への処分を検討すると公表したのである。

1月8日の時点で高井幹事長は記者会見で、処分については柔軟な姿勢を示唆していた。ところが数日後、状況は一変する。選挙対策委員長でもある山本太郎代表の権限により、多ケ谷氏を「次期衆院選で公認しない」という決定が下されたのだ。

多ケ谷氏はこの決定を「事前の意見聴取も行われず、全て密室で決められた」と強く批判した。離党届の文面には次のように記されている。

「この決定は一方的であり、私への事前の意見聴取も行われておらず、全て密室で決められました。これは一般的な常識から著しく乖離しているのみならず、党の規約および規則に定められた手続きも踏まれておりません。このような対応は到底容認できるものではなく、党への信頼は完全に失われました」

つまり多ケ谷氏が問題視したのは、「イスラエルを訪問したこと」そのものよりも、「弁明の機会すら与えられずに政治生命を左右する決定が下された」というプロセスへの不満だった。


山本太郎との確執——「大嘘つき呼ばわり」の衝撃

表向きは「残念ですが仕方ありません」と抑制的だった多ケ谷氏だが、離党届が受理された後の言動に本音が滲み出る。

離党受理の翌日(1月18日)、多ケ谷氏はXに「5年間大変お世話になりました。13年お付き合いをさせていただきました『山本太郎』代表については今でも尊敬しております」と書いた。表面的には穏やかな惜別のメッセージだ。

しかし、その後に投稿したメッセージは一転して激しいトーンを帯びる。多ケ谷氏は山本太郎代表と大石晃子共同代表に対して公開書簡とも言える投稿を行い、こう記した。

「また、イスラエルの件では、貴方は昨夜の全体会議で私を大嘘つき呼ばわりをしたと伺っていますが、真実は一つです。いずれ全てが明らかになるでしょう」

「大嘘つき呼ばわり」——この一言は関係者に衝撃を与えた。13年来の盟友だったはずの山本太郎が、党の全体会議で自分を嘘つきと断じたという告発は、単なる政策上の対立ではなく、人間関係としての断絶を示すものだった。

さらに多ケ谷氏は、大石晃子共同代表に対しても「橋下徹さんに絡んで名声をあげた事に味を占めて、玉木さんに絡み名声をあげようとするのはおやめになられては?」と批判。「あなた方から部品のように切り捨てられた職員や候補者が多数私に救いを求めて来ています」とも訴えた。


山本太郎の沈黙と「人が集まれば揉め事はある」発言

この騒動が進む中、山本太郎代表は長らく表舞台に姿を見せなかった。支持者の間では「山本太郎ロス」と呼ばれる状況が生まれ、「代表なのに多ケ谷騒動にノーコメントなのか」という批判も上がった。

ようやく1月18日、大石晃子共同代表が主宰する政治スクールにゲストとして登場した山本代表は、騒動に初めて言及した。しかし、その言葉は簡潔だった。

「人が集まれば何かしらモメごとは起こりがちですが、例に漏れずれいわでも普通にあるってことです。すべての場面に私は出ていきません」

支持者に寄り添うような丁寧な説明はなかった。代表としての責任の所在を問う声に対しても、共同代表と幹事長に委ねるという姿勢を変えなかった。この「距離の置き方」が、多ケ谷氏との関係の実態を象徴しているとも言える。

なお、山本氏はこの直後の1月21日に健康上の理由で参院議員を辞職し、事実上の活動休止に入ることになる。

離党後の多ケ谷氏——中道改革連合へ、しかし落選

れいわを離党した多ケ谷氏は、立憲民主党と公明党の衆院議員が結成した新党「中道改革連合」に加わり、2026年2月8日投開票の第51回衆院選に千葉11区から出馬した。しかし、小選挙区で3度目も自民・森英介氏に敗北。比例復活もならず落選という結果に終わった。

れいわ新選組自体も同選挙で惨敗し、公示前の8議席から1議席に激減する歴史的な敗北を喫した。

この離党が示すもの——れいわの「一強構造」への問い

今回の一件が投げかけた問いは、多ケ谷氏個人の問題を超えている。

時事通信は「山本1強、曲がり角——れいわ伸び悩み、党内に不満」という見出しで報道した。れいわは「山本太郎という強烈なカリスマ」に支えられた党でもある一方、そのカリスマへの権力集中が党内の多様性や民主的な手続きを犠牲にしているのではないか、という疑問が今回の騒動で浮き彫りになった。

多ケ谷氏自身が「除名に等しい決定が密室で行われた」「部品のように切り捨てられた」と訴えた言葉は、特定の主義主張のある政党において個人の議員活動の自由がどこまで認められるべきか、という普遍的な問題とも重なる。

13年の交流を経て「今でも尊敬しています」と言いながらも「大嘘つき呼ばわりをした」と告発する——この複雑な感情の混在こそが、この離党劇の本質を映し出している。

時系列出来事
2026年1月上旬多ケ谷氏、超党派でイスラエル訪問・ネタニヤフ首相と面会
1月10日れいわが「党方針にそぐわない」として処分検討を公表
1月16日多ケ谷氏がXで離党届提出を宣言。「党への信頼は完全に失われた」
1月18日党が離党届を受理。多ケ谷氏は「山本代表を今でも尊敬」と投稿
1月19日衆院が会派離脱・無所属移行を発表
1月21日山本太郎が健康理由で参院議員辞職・活動休止へ
2月8日第51回衆院選。多ケ谷氏(中道改革連合)落選。れいわも1議席に激減

イスラエル訪問という「一つの行動」が引き金を引いた。しかしその弾が込められたのは、長い時間をかけて積み上がってきた党内の緊張と、「密室」で決断される政治の構造そのものだったのかもしれない。

スポンサーリンク
政治
スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
mh1980をフォローする
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました