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三浦知良フランスW杯落選の真実|予選での不調と岡田監督の決断、ニヨンの屈辱を振り返る

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90年代
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1998年フランスワールドカップ。日本サッカー界にとって悲願の初出場となった大舞台で、誰もが驚く出来事が起きた。日本サッカーの顔として君臨し続けたキングカズこと三浦知良が、本大会直前にメンバーから外されたのだ。「外れるのはカズ、三浦カズ」という岡田武史監督の言葉は、日本中に衝撃を与え、今なお語り継がれる伝説となっている。

なぜカズがW杯メンバーから外されたのか、予選での彼のコンディション不良、そして落選に至る背景と岡田監督の決断について詳しく解説する。

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予選での輝かしいスタート

フランスW杯アジア予選は、カズにとって最高のスタートを切った。1997年6月22日、1次予選のマカオ戦で6得点を記録し、釜本邦茂に並ぶ日本代表1試合最多得点記録を樹立。この快挙は、カズが依然としてエースストライカーであることを証明するものだった。

さらに最終予選初戦の9月7日、ウズベキスタン戦では4得点を挙げて大勝に導く。1次予選から最終予選序盤まで、カズは圧倒的な得点力でチームを牽引していた。W杯本大会への出場、そして本人にとって悲願のW杯の舞台に立つことは、もはや確実に見えた。

運命を変えた韓国戦での負傷

しかし、転機は突然訪れた。1997年9月28日、ホームで行われた韓国戦で、カズは韓国代表の崔英一からラフプレーを受け、尾てい骨を骨折する重傷を負った。この負傷が、カズのその後の運命を大きく変えることになる。

怪我を抱えながらも試合に出場し続けたカズだったが、以前のようなキレのあるプレーは影を潜め、最終予選では得点を挙げられなくなった。動きは重く、かつての俊敏性は失われ、チーム全体も韓国戦での逆転負けを皮切りに勝てない試合が続いた。この状況下で、加茂周監督が解任され、コーチだった岡田武史が監督に就任するという緊急事態にまで発展する。

ジョホールバルの歓喜と交代劇

1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで行われたイランとのアジア第3代表決定戦。日本代表はW杯初出場を賭けた大一番に臨んだ。カズは中山雅史とともに2トップを組んでスタメン出場したが、コンディションは万全ではなかった。

試合前のミーティングで岡田監督は「FKは中田もしくは名波が蹴る」と指示していたにもかかわらず、カズはこれを無視してボールを奪い、フリーキックを蹴った。この行為に岡田監督は「少し感情的になってしまった」と後に語っている。

後半18分、カズと中山は城彰二と呂比須ワグナーに交代させられた。この時、交代ボードには「11番」が先に表示され、カズは自分を指差して「オレ?」と岡田監督に確認を求めた。このジェスチャーはマスコミによって「まさか俺を交代させるのか?」というアピールだと誤解され、大きく報じられることになった。

日本はその後、延長の末に3-2でイランを下し、悲願のW杯初出場を決めた。しかし、この「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた試合は、カズの代表における地位が揺らいだ試合でもあった。

1998年、回復しないコンディション

W杯イヤーとなった1998年を迎えても、カズのコンディションは回復しなかった。3月の中国戦では2トップの一角として先発したものの、身体の動きは重く、後半12分という早い時間に交代させられた。派手なアクションを仕掛ける中国選手に対応できず、かつての輝きは見られなかった。

この時期、カズは30歳を超え、怪我の影響だけでなく、体のキレそのものが失われつつあった。前年からクラブでの成績も振るわず、1997年シーズンは14試合4得点、1998年シーズンも28試合5得点と凡庸な数字に終わっている。FWの序列では、城彰二、中山雅史、呂比須ワグナーらに後れを取り、若手の小野伸二も台頭してきた。

スイス合宿とニヨンの屈辱

W杯開催国フランスに向けて旅立った日本代表は、スイスで事前合宿を行った。25名が招集されたこの合宿で、最終的に22名のメンバーに絞り込まれることになっていた。

カズはスイスのニヨンで行われた練習試合でハットトリックを決め、最後の希望を見せた。しかし、岡田監督は「最後の最後まで悩んだ」と語りながらも、カズを本大会メンバーから外す決断を下した。

1998年6月2日、運命の日。落選する3選手は監督室に呼ばれた。市川大祐、北澤豪、そしてカズ。岡田監督から告げられた言葉は、カズの記憶に深く刻まれている。

「3試合を想定した時に使う場面がない。ポジション的に」

カズは最近のテレビ番組出演で、当時を振り返ってこう語った。「正直、外れるとは思っていなかった」「岡田さんが本心かどうかはわからないけど」と。その言葉には、今なお消えない無念さが滲んでいた。

岡田監督の決断とその理由

岡田監督がカズを外した理由は、戦術的な判断だった。W杯本大会では、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカという強豪国との対戦が予想されていた。特にアルゼンチンの猛攻をしのぎ、カウンターで一瞬の隙を突くという戦略を描いた岡田監督にとって、スピードは不可欠な要素だった。

当時招集されていた攻撃陣5名、城彰二、中山雅史、呂比須ワグナー、岡野雅行、そしてカズの中で、最もスピードに恵まれていなかったのがカズだった。若手の小野伸二を抜擢し、スピードと機動力を重視したメンバー構成にする。これが岡田監督の出した結論だった。

岡田監督は後に「カズを切る時、やっぱり辛かったですよ」と語りながらも、「私だって、みんなにいい人だと言われたり、好かれたいです。でも、私は22人しかワールドカップに連れていけないし、11人しかピッチに出せないんです」と、指揮官としての決断に一切の後悔はないと述べている。

金髪での帰国と伝説の会見

落選が決まったカズは、ミラノでの滞在を経て、金髪に染めた姿で帰国した。成田国際空港で行われた会見で、彼は多くのマスコミに囲まれながら、こう語った。

「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」

この言葉は、カズの無念さと、同時にサッカー選手としての矜持を示すものだった。落選した北澤豪とともにミラノに立ち寄り、最高級ホテルの部屋に2人で宿泊したというエピソードも残っている。後日、その宿泊費を日本サッカー協会に請求し、協会が支払ったという逸話も語り継がれている。

カズは北澤に「俺たちがやってきたことは間違いない。大事なのはこの後だ」とだけ話し、ネガティブなことは一切言わなかったという。プロフェッショナルとしての姿勢を最後まで貫いたのだ。

本大会の結果と議論

カズを外した日本代表は、フランスW杯本大会で3戦全敗、わずか1得点という結果に終わった。アルゼンチン戦では0-1、クロアチア戦では0-1、ジャマイカ戦では1-2と、いずれも僅差ながら勝利をつかむことができなかった。

この惨敗により、「カズを起用していれば」という声が長く聞かれることになった。岡田監督の采配や判断は激しい議論を呼び、日本サッカー界に大きな爪痕を残した。しかし同時に、この経験が日本代表の糧となり、2002年の自国開催W杯でのベスト16進出につながったとも言える。

カズの現在の想い

最近のテレビ番組で、57歳になったカズは改めて当時を振り返り、「ワールドカップは自分が目指していたもので、もちろん悔しい。でも、サッカーというのはこういうことがある」と冷静に受け止めつつも、「悔しさは今でも消えない部分がある。自分がもっと努力をしてたらと正直、思いますよ」と本音を吐露した。

この挫折がエネルギーとなり、カズは今なお現役を続けている。2000年にはトルシエ監督に再招集され、2012年にはフットサルW杯に出場し、初めて「ワールドカップ」の舞台を踏んだ。そして2026年現在も、プロ40年目のシーズンを戦い続けている。

W杯落選が教えてくれたもの

三浦知良のフランスW杯落選は、日本サッカー史に残る大きな出来事だった。韓国戦での骨折、回復しないコンディション、監督交代という混乱、ジョホールバルでの交代劇、そして最終的な落選。すべてが重なり合い、カズは悲願のW杯出場を逃した。

しかし、この経験はカズという選手の真価を示すものでもあった。挫折を糧に走り続け、今なお現役であり続ける姿勢。「日本代表としての誇り、魂」を胸に、サッカー人生を全うする姿。それは多くの人々に勇気と感動を与え続けている。

岡田監督の決断は正しかったのか。その答えは誰にもわからない。ただ確かなのは、この出来事が日本サッカーに大きな教訓を残し、そしてカズという伝説のプレイヤーの物語に、最も印象的な1ページを刻んだということだ。

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