トップアイドル同士が禁断の恋に落ちた瞬間
1980年代後半、芸能界を震撼させる熱愛が始まった。トシちゃんの愛称で絶大な人気を誇った田原俊彦と、清純派アイドルとして芸能界を席巻していた中山美穂。この二人の交際は、当時のアイドル界における最大級のビッグカップル誕生として、メディアと世間の注目を一身に集めることになる。
二人の出会いは1987年、バラエティ番組「オールスターハワイ大旅行団」での共演だった。中森明菜、近藤真彦、小泉今日子といった当時のトップアイドルたちが集結したこの番組で、田原は「リレー寝起き」という企画で中山の部屋に突撃取材を敢行。18歳の中山は、実は以前から田原の大ファンだったといい、この番組共演をきっかけに二人は急接近していった。
生放送で送られていた「恋人への合図」
交際が始まると、中山美穂はファンにも気づかないような形で田原へのメッセージを送っていたという。「ザ・ベストテン」などの生放送の歌番組で、歌の途中に何気ない仕草で田原に「合図」を送っていたという目撃情報が、当時のファンの間で話題となった。
今見返してもドキドキするような、二人だけの秘密のサインだったのかもしれない。
1989年、週刊誌がスクープした「半同棲」の実態
1989年1月、写真週刊誌「FOCUS」が二人の熱愛を決定的にスクープした。「ミポリン&トシちゃんの”半同棲”――スキャンダルか”純愛”か?」という見出しで、当時27歳の田原俊彦の愛車ポルシェの助手席に18歳の中山美穂が乗り込み、マンションに入っていく姿が報じられたのだ。
以降も二人がマンションを出入りする姿が度々スクープされ、実質的な半同棲状態にあることが明らかになっていった。中山本人も当時ラジオで「恋してまーす。私は思ったことはパッとやっちゃうタイプ。明日でも結婚するかも」と大胆に発言していたという。
当時のマネージャーは後に、交際自体には反対ではなかったと振り返っている。ただし条件があった。「派手に振る舞えば週刊誌に書かれてしまいますが、上手にやってくれさえすればよかった」。テレビ局での生放送後には、雑誌社のバイクが3台、車が2台も追いかけてくるという過熱ぶりだったという。
結婚秒読みと噂された1991年のハワイ旅行
そして1991年1月、二人の関係が最高潮に達したことを示す出来事が起きる。プライベートでのハワイ旅行が報じられたのだ。
カウアイ島でゴルフを楽しむ二人の姿、飛行機では隣の席に座っていたこと、そしてホノルル空港に時間差で現れた二人の姿が連日ワイドショーで放送された。
報道番組のテロップには「結婚秒読み?田原♥美穂」と表示され、世間は二人のゴールインを確信していた。
このハワイ旅行で、田原は中山に指輪をプレゼントしたという。3月生まれの中山のために選ばれたアクアマリンの指輪。中山はその後の撮影でも左手薬指にその指輪をはめている姿が目撃されており、婚約指輪ではないかとささやかれた。
事務所という「越えられない壁」
だが、二人の恋路には大きな障害があった。それは所属事務所の力関係だった。
中山美穂が所属していたのは、「業界のドン」と称される周防郁雄氏が社長を務めるバーニングプロダクション傘下のビッグアップル。一方、田原俊彦はジャニーズ事務所所属。売り出し中の若手タレントの度重なるスキャンダルに、中山の事務所は困惑していた。特にハワイ旅行後、事務所社長は激怒したという。
問題はこの後の田原の対応だった。事務所の激怒に対して田原はヒステリーを起こしてしまい、成田空港でマスコミが殺到した際には、中山を気遣うことなく先にスタスタと歩いて行ってしまったという。残された中山は、たまたま飛行機に乗り合わせていた大物プロデューサー・石井ふく子や森光子らにかばってもらう形となった。
この出来事が、中山の心を冷めさせる決定的な瞬間だったとされている。
田原俊彦が語る「何度も迎えに行った日々」
2023年、田原俊彦は自身のYouTubeチャンネルで当時を振り返った。「本当に可愛かったです。本当にいい子でした。何度となく迎えに行って、何度となく写真に撮られて」と、感慨深げに当時の思い出を語っている。
交際期間は1987年から1991年の約4年間。トップアイドル同士という立場、厳しい事務所の管理体制、そして容赦ないマスコミの追跡。そうした状況の中で、二人は必死に愛を育もうとしていたのだ。
編集部の「暗闘」が物語る当時の空気
当時の週刊誌編集部では、この熱愛報道をめぐって担当記者たちの間で激しいせめぎ合いがあったという。ジャニーズ事務所担当記者は「田原のダメージが最小限で済むタイトル」を主張し、バーニングプロダクション担当編集者は「中山の所属事務所社長に怒鳴られないタイトル」を譲らない。締め切りギリギリの深夜まで、両者の「暗闘」は続いたという証言が残っている。
それだけ、この二人の熱愛は両事務所にとってデリケートな問題だったのだ。
そして破局へ ― アイドルという宿命
ハワイ旅行後、二人の関係は次第に冷えていった。1991年当時、中山美穂はアイドル絶頂期にあり、一方で田原俊彦の人気には陰りが見え始めていた。芸能界という厳しい世界で、二人の立場の違いは日に日に大きくなっていった。
結局、二人は破局。「彼女は結婚を望んでいたと思いますよ」と当時のマネージャーは語っている。だが、事務所の壁、マスコミのプレッシャー、そして人気の浮き沈みという現実が、純粋な恋愛を許さなかった。
時代を象徴する熱愛だった
田原俊彦と中山美穂の熱愛は、1980年代末から1990年代初頭という時代を象徴するスキャンダルだった。トップアイドルの恋愛が「死活問題」とされ、事務所が厳しく管理し、週刊誌が執拗に追いかける。そんな時代の空気の中で、二人は精一杯、恋をしようとしていたのだ。
あの指輪は今、どこにあるのだろうか。ハワイの思い出は、二人の心にどのように刻まれているのだろうか。
時を経て、二人はそれぞれの道を歩んでいった。だが、あの熱愛は確かに存在し、多くの人々の記憶に今も鮮やかに残り続けている。それは、アイドルという夢を生きた二人の、偽りのない青春の記録でもあった。


コメント