世紀の婚約から衝撃の破局まで
1992年10月27日、芸能界と相撲界を揺るがす「世紀の婚約」が発表されました。当時19歳の国民的美少女・宮沢りえと、20歳の関脇・貴花田(現・貴乃花)が電撃婚約したのです。ピンクのお揃いの着物で手を繋ぎながら会見に臨んだ二人の姿は、日本中を熱狂させました。
しかし、幸せの絶頂は長く続きませんでした。婚約からわずか2カ月後の1993年1月27日、二人は婚約解消を発表したのです。この突然の破局劇の裏には、複雑な事情が絡み合っていました。
破局の鍵を握った「りえママ」の存在
婚約破棄の最大の要因とされたのが、宮沢りえの母・宮沢光子さん、通称「りえママ」の存在でした。りえママはシングルマザーとして娘を育て上げ、敏腕マネージャーとして娘をトップスターへと導いた人物です。
りえママが反対した理由
りえママは、宮沢りえを女優として大成させたいと考えていたため、相撲部屋の女将さんになることに強く反対していました。角界には「結婚するなら仕事を辞めろ」という慣習があり、女優としての輝かしいキャリアを諦めなければならなかったのです。
また、りえママと貴乃花の母・藤田紀子さんとの間にも軋轢があったと報じられています。二人の強烈な母親の対立も、若い二人の関係を引き裂く要因となりました。
美川憲一が明かした真相
2014年、美川憲一がテレビ番組で衝撃的な告白をしました。りえママから「りえが女将さんなんてありえない。説得してほしい」と頼まれ、宮沢りえに電話をかけて「母ひとり子ひとりで、お母さんが凄い犠牲になってきている。もう一回考え直して」と説得したというのです。電話の向こうで泣いていたという宮沢りえの姿が、当時の苦悩を物語っています。
スピード婚約の舞台裏
二人の交際は、実は婚約発表のわずか2カ月前に始まったばかりでした。1992年9月に交際が始まり、10月に入ってから貴乃花が電話で「結婚しよう」とプロポーズしたといいます。
問題は準備不足でした。結婚後の生活設計は何も話し合われておらず、結婚後の宮沢りえの仕事についても最後まで協議されていませんでした。相撲界も芸能界も、自分だけでは決められない世界です。若い二人は、周囲の期待と圧力の狭間で苦しむことになります。
貴乃花の「愛情がなくなった」発言の真意
破局会見で貴乃花は「僕の愛情がなくなった」と語り、世間から批判を浴びました。しかし、貴乃花は後に「あの時はそう言うしかありませんでした。お互いが自分の進むべき道にレールを戻すためには」と明かしています。
実は貴乃花は、宮沢りえを守るためにあえて自分が悪者になったのです。りえママの存在には触れず、すべての責任を自分が引き受けることで、宮沢りえへの誠意を示そうとしたのでした。
婚約破棄後の宮沢りえ―拒食症と自殺未遂
婚約破棄後、宮沢りえを待っていたのは過酷な試練でした。
1994年9月 京都での自殺未遂騒動
1994年9月、京都のホテルで自殺未遂騒動が報じられました。当時、歌舞伎役者の故・中村勘三郎さんとの不倫疑惑も取り沙汰されており、ホテルの従業員が部屋に踏み込むと、鮮血で真っ赤に染まった床と、腕にタオルを巻いて横たわる宮沢りえの姿があったと伝えられています。
拒食症による激やせ
その後、宮沢りえは深刻な拒食症に陥りました。麻布十番の高級中華料理店で目撃した芸能記者は、横からのシルエットが「薄い」と思うほど細かったと証言しています。また、表参道の高級寿司店では、板前が親指大の握りを出したという目撃談もありました。
1995年10月のゴルフイベントでは激やせした姿が注目を集め、1996年1月には報道が加熱し、ロサンゼルスへの移住を決意します。女優生命の危機とさえ言われた時期でした。
母娘の複雑な絆
宮沢りえの拒食症の背景には、りえママとの複雑な関係がありました。一卵性母娘とも呼ばれ、いつも行動を共にしていた二人でしたが、娘が貴乃花に心を向けると関係が悪化していったといいます。
愛する人と大切な母親、どちらかを選ばなければならなかった宮沢りえ。母親を選んだ後に訪れた心の空洞は、深刻な摂食障害という形で表れたのです。
奇跡の復活と現在の幸せ
苦しい時期を乗り越えた宮沢りえは、2002年公開の映画『たそがれ清兵衛』で高い評価を獲得し、演技派女優としての地位を確立します。和服は体型を隠せるため、復帰作として選ばれたと言われています。
2009年にはハワイ在住の実業家と結婚し出産しましたが離婚。そして2018年、元V6の森田剛さんと再婚し、現在は公私ともに充実した日々を送っています。
二人のその後と現在
一方の貴乃花も、婚約破棄後に河野景子さんと結婚し、横綱として相撲界の頂点に立ちました。しかし、弟子の暴力事件をきっかけに相撲界を去り、現在はタレント活動を続けています。
2019年のインタビューで貴乃花は、宮沢りえの再婚を祝福し「良かったです。ずっと気になっていたので」と優しい笑顔で語ったと報じられています。30年以上の時を経て、二人はそれぞれの道で幸せを見つけたのです。
若すぎた恋の教訓
宮沢りえと貴乃花の婚約破棄騒動は、芸能界と相撲界という異なる世界の壁、親の過度な干渉、そして若さゆえの準備不足が重なった悲劇でした。しかし同時に、この経験が二人を人間的に成長させ、現在の幸せへと導いたとも言えるでしょう。
「りえママ」宮沢光子さんは2011年に65歳で他界しました。娘の幸せを願うあまりの行動が、かえって娘を苦しめる結果となった複雑な母娘関係は、現代の「毒親」問題を考える上でも示唆に富むエピソードと言えます。
波乱万丈の人生を経験した宮沢りえが、今は演技派女優として輝き続けていること。それは、どんな困難も乗り越えられるという希望のメッセージなのかもしれません。




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