「寡黙のダークホース」が体現する真の格闘家魂
ブレイキングダウンのオーディションで朝倉未来CEOから「関谷さん」と呼ばれると、即座に立ち上がり「できますよ」と即答する姿が話題を呼んだ関谷勇次郎選手。その一言は瞬く間にSNSで拡散され、いかつい見た目とのギャップで多くのファンを獲得しました。しかし、この裏には壮絶な不良時代と100戦以上の格闘技経験、そして実業家としての成功という、誰も知らない物語が隠されています。
関谷勇次郎選手の不良時代からTHE OUTSIDER(アウトサイダー)での実績、そしてブレイキングダウンの登竜門としての役割まで、その全てを徹底解説します。
関谷勇次郎のプロフィール
本名:関谷 勇次郎(せきや ゆうじろう)
通称:寡黙のダークホース、闘いの中毒者
生年月日:1983年11月10日
年齢:42歳(2026年1月現在)
出身地:神奈川県横浜市
身長:163cm
体重:60kg前後
階級:フェザー級〜バンタム級
壮絶な不良時代:浜松喧嘩最強への道
横浜での幼少期と特殊な家庭環境
関谷勇次郎選手の格闘家としてのルーツは、特殊な家庭環境にありました。幼少期から兄とグローブをつけて毎日泣くまでスパーリングをさせられ、誕生日プレゼントはなんとナイフだったという驚きの育てられ方をしています。
保育園時代には早くも軒先のアイスを万引きして捕まり、小学生になると車上荒らしや恐喝を繰り返す札付きのワルに成長。この時期に一緒につるんでいたのが、後にアウトサイダーで活躍する高垣勇二選手でした。幼馴染として共に育った二人は、後にブレイキングダウンでも同世代として活躍することになります。
浜松での暴走族総長時代
中学時代に横浜から静岡県浜松市に引っ越した関谷選手は、そこでも大暴れ。当時最強と恐れられていた暴走族の総長にまで上り詰めました。その喧嘩の強さから「浜松喧嘩最強」の異名を持つまでになり、地元では誰もが恐れる存在となっていきます。
しかし、喧嘩だけでは物足りなさを感じた関谷選手は20代で格闘技の世界へ。子供の頃に習っていた空手の経験も活かしながら、本格的なトレーニングをスタートさせました。
THE OUTSIDER(アウトサイダー)時代の実績と伝説
地下格闘技で磨かれた100戦以上の経験
関谷勇次郎選手の最大の特徴は、圧倒的な実戦経験です。THE OUTSIDERを中心に、DEEPなどの地下格闘技やアマチュア大会を含めて100戦以上をこなしてきました。関西・関東・中部を中心に活動し、1日に8試合をこなすこともあったといいます。
アウトサイダー時代の公式戦績は6戦2勝4敗ですが、これは彼の真の実力を表す数字ではありません。当時のアウトサイダーには、現在ブレイキングダウンでも活躍する吉永啓之輔選手(元65-70kg級王者)、樋口武大選手(60-65kg級第2代・第4代王者)など錚々たるメンバーが揃っており、その中での戦いは過酷なものでした。
SKKB初代フェザー級王者への輝き
関谷選手のキャリアハイライトの一つが、2015年10月11日に開催された『粋喧(すいけん)』での快挙です。キックボクシング部門SKKBのフェザー級王者決定戦で、なんと1ラウンド14秒という衝撃のハイキックKOで初代チャンピオンに輝きました。
この一撃は関谷選手のキック技術の高さを証明するものであり、その後のブレイキングダウンでも左ミドルキックを主軸とした戦闘スタイルの原点となっています。
樋口武大との因縁と特徴的な腕の弱点
約13年前、関谷選手は樋口武大選手とMMAルールで対戦しました。関谷選手がパウンドで樋口選手の頭を2回殴った際、樋口選手は記憶が飛んでしまいます。しかし、記憶がないまま本能で腕を極めて勝利を収めた樋口選手。それ以来、関谷選手の腕は外れやすくなってしまったという逸話が残っています。
この経験から「MMAはできない」と公言し、以降はキックボクシングやブレイキングダウンのルールに特化した戦い方を磨いていきます。
クラブのセキュリティから実業家へ:多彩な顔を持つ男
REAL OUTLAW STYLE 3POUND:セキュリティ事業の展開
格闘家としての顔だけでなく、関谷選手は実業家としても成功を収めています。代表を務めるREAL OUTLAW STYLE 3POUNDは、イベントセキュリティを請け負う警備会社的な側面を持っており、過去にはクラブやイベント会場での警備を担当してきました。
格闘技で培った威圧感と実戦経験を活かし、トラブルに的確に対処する姿勢は、業界内でも高く評価されています。実際、ブレイキングダウン18のオーディションでは、野嶋琉生選手がクラブで第三者に絡まれた際に関谷選手に助けられたというエピソードも明らかになっており、その存在感の大きさが窺えます。
浜松での多角的事業展開
関谷選手が手がける事業は多岐にわたります。
浜松STRIKEs GYMキックボクシング:2011年にオープンしたキックボクシングジムの代表として、フィットネスから本格的な競技指導まで幅広く展開。関谷選手自身もパーソナルトレーナーとして直接指導を行っています。
からあげやカリッジュ浜北店:唐揚げコンテストで金賞を受賞した全国チェーン店のオーナーとして飲食業にも進出。
蘭〇Group:浜松で有楽店、cherie店、brave店の3店舗を展開するキャバクラグループにも関与。
タピオカ店『MOGU MOGU HOUSE』:浜松ではここにしか売っていないパック型のタピオカドリンクで話題を集めています。
過去にはアパレルブランド「3POUND(スリーパウンド)」も展開し、BIG RONのPV出演時には自身のブランドを着用するなど、マルチな活動を見せています。
ブレイキングダウンでの戦い:登竜門としての矜持
「できますよ」が生まれた瞬間
関谷選手がブレイキングダウンで一躍有名になったのは、登竜門の席に座り、朝倉未来CEOから「関谷さん」と声をかけられた瞬間でした。即座に立ち上がり「できますよ」と即答する姿は、戦いへの飢えと格闘家としての矜持を体現するものでした。
朝倉未来CEOからは「闘いの中毒者」と認定され、その後も振られた全ての依頼に「できますよ」と即答。この姿勢がYouTubeの視聴者から称賛を受け、一躍時の人となりました。
登竜門番人としての役割
ブレイキングダウンにおいて、関谷選手は重要な「登竜門」の役割を担っています。本戦出場を目指す参加者のスパーリング相手を務め、その実力を見極める番人として機能。
42歳という年齢でありながら、若手選手を技術と経験で圧倒する姿は、多くのファンに感動を与えています。
特に印象的だったのは、ナイトメア・タタリと名乗り口から毒霧を噴射するパフォーマンスを披露した男性に対し、臆することなく強烈なハイキックで倒した場面。そして秋元優志選手との対戦では「実力を出せていない」と高く評価しつつも、「俺の屍を越えてゆけ」とBDの未来を託すような言葉を残し、42歳のベテランが20歳の若手を技術と経験で完封しました。
主な戦績とエピソード
ブレイキングダウン8:かまる選手との対戦で、20cmの身長差(関谷163cm vs かまる183cm)を乗り越えて戦いました。かまる選手は幼馴染の高垣勇二選手に勝利しており、リベンジの意味合いも強い一戦でした。
ブレイキングダウン10:サカキマキオ選手との対戦では、「7秒で殺してやる」と挑発されるも、延長戦の末に判定勝利。引退をかけた戦いを制しました。
ブレイキングダウン11.5:黒石高大選手を倒した新世代ファイターの安藤叶華選手と対戦。体重差を物ともせず、THE OUTSIDERレジェンドの実力を見せつけて判定勝利。
ブレイキングダウン17:因縁の相手である黒石高大選手との対戦で延長判定勝利。アウトサイダー時代からの因縁に決着をつけました。
ブレイキングダウン18:野嶋琉生選手との対戦では、クラブで助けてあげた相手から喧嘩を売られるという筋の通らない展開に溝口COOも激怒。42歳のベテランが20歳の若手を技術で圧倒し、延長判定勝利を収めました。
関谷勇次郎の戦闘スタイル:計算された技術
ヒットアンドアウェイの完成形
身長163cmと小柄な体格の関谷選手は、パワーではなく技術で勝負します。得意とするのは左ミドルキックを主軸としたヒットアンドアウェイスタイル。距離を巧みに管理し、相手の攻撃をかわしながらカウンターで仕留める戦い方は、まさに経験値の賜物です。
ブレイキングダウン8のオーディションでは「左ミドルキックだけで勝とうと思った」と語るほど、自身のキック技術に絶対的な自信を持っています。
試合巧者としての冷静さ
42歳という年齢でありながら、体の動きは衰えを感じさせません。むしろ、若手のがむしゃらな攻めを冷静にいなし、隙を見てカウンターを決める姿は、まさに試合巧者。延長戦に持ち込まれても焦らず、自分のペースで試合を進める落ち着きは、100戦以上の経験があってこその強みです。
格闘技界の生き字引が示す本物の強さ
関谷勇次郎選手は、不良時代の浜松喧嘩最強から始まり、THE OUTSIDERで100戦以上を経験し、クラブのセキュリティや実業家としても成功を収めた異色の格闘家です。そして現在は、ブレイキングダウンの登竜門として若手を育てる重要な役割を担っています。
「できますよ」という即答に込められているのは、単なる自信ではなく、数え切れない戦いを生き抜いてきた者だけが持つ覚悟。
42歳になっても現役で戦い続け、若手と闘う姿は、まさにブレイキングダウンの番人。それが関谷勇次郎という男の生き様なのです。



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