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元SPEED今井絵理子、歌姫から国会議員へ――沖縄アクターズスクールから政界進出までの軌跡

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エンタメ
麻生派会合 今井絵理子
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1990年代、日本の音楽シーンを席巻した少女グループSPEED。そのメインボーカルとして活躍した今井絵理子は、現在参議院議員として新たな道を歩んでいる。

彼女が沖縄の小さなスクールから歌手デビューし、結婚・離婚を経て政治家となるまでの波瀾万丈な人生を追う。

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沖縄アクターズスクール入所――祖母が支えた少女の夢

今井絵理子は小学校2年生の時に沖縄アクターズスクールへ入所した。

母親は当初通うことに反対していたが、祖母が年金から月謝を支払ってくれた。少女の才能を信じた祖母の支援が、のちのスターを生み出す原点となった。

沖縄アクターズスクールは、安室奈美恵やMAXを輩出した芸能養成所として知られる。今井はこのスクールで歌とダンスの基礎を学び、地元ののど自慢大会で何度も入賞するなど、早くから才能を発揮していた。1989年には、琉球放送のカラオケ大会にスクール入学前の今井が出場しており、すでにその頃から歌への情熱を持っていたことがうかがえる。

興味深いのは、今井はSPEEDメンバーの中で養成所に入ったのが一番遅かった。1歳年下の島袋寛子は3歳から養成所に通っており、年下でも先輩という関係だった。

こうした環境が、今井を成長させる刺激となったに違いない。

SPEEDメンバー選出――4人の化学反応が起こった瞬間

SPEEDの前身は「BRAND-NEW KIDS」という8人組ユニットだった。1995年春、6人の中から選ばれた4人が沖縄アクターズスクールの応接室に呼ばれ、デビューの誘いを受けた。

メンバー選出の過程には興味深い戦略があった。当初は歌唱力のあるハイトーンボイスの島袋寛子と、曲の低音を支える今井絵理子の2人でのデビュー予定だった。しかし、ビジュアル面の完成度が高い上原多香子と、ダンスに定評のあった最年長の新垣仁絵が加わり、4人体制が完成した。

今井が選ばれた理由は、その独特な低音ボイスにあった。島袋のハイトーンと今井の低音が織りなすハーモニーは、SPEEDサウンドの核となる要素だった。それぞれが1学年ずつ異なる年齢構成も、グループに多様性をもたらした。

1996年8月5日、デビュー当時のメンバー全員が小・中学生で平均年齢は13.5歳という若さで「Body & Soul」でメジャーデビュー。当時小学6年生だった今井にとって、まさに夢が現実となった瞬間だった。

栄光と解散――中学生アイドルの多忙な日々

SPEEDは瞬く間に社会現象となった。デビュー曲から次々とヒット曲を生み出し、中学生とは思えないパフォーマンスで日本中を魅了した。しかし、その成功の裏には過酷なスケジュールがあった。

SPEEDのデビューに合わせ、今井は東京の品川区立日野中学校に転校している。仕事と学業の両立は想像を絶する大変さだったに違いない。高校は芸能活動を認めている八雲学園に進学したが、厳しい校則に悩み、登校拒否になったこともあったという。

そして2000年3月31日、SPEEDは解散を迎える。活動期間は3年8ヶ月という短さだったが、その間にシングル11枚、アルバム6枚をリリースし、トータルセールスは約3,000万枚にのぼった。

結婚と母としての決断――聴覚障害の息子との向き合い

2004年5月、今井はロックバンド175RのボーカルSHOGOと結婚を発表し、当時妊娠5か月だった。できちゃった婚として話題になったこの結婚は、彼女の人生を大きく変えることになる。

同年10月、長男・礼夢くんが誕生。しかし、息子は高度感音性難聴という生まれながら耳の聞こえない障害を持っていた。音楽をやっている両親のもとに、耳が聞こえない子どもが生まれたという事実に、今井は深く苦しんだという。

しかし2007年9月、結婚からわずか3年で今井はSHOGOとの離婚を発表した。離婚理由はSHOGOが家庭に入ってほしかったのに対し、今井は仕事に復帰したことや、子育てをめぐる意見の食い違いだったとされる。長男の親権は今井が持つことになり、シングルマザーとしての生活が始まった。

2008年、今井は「24時間テレビ」で息子の感音性難聴を公表した。この決断は賛否両論を呼んだが、同じ境遇の親たちに「一人じゃないよ」と伝えたいという思いからだった。

その後、今井は手話を学び、聴覚障害者支援の活動に力を入れていく。

政界進出――歌手から国会議員への転身

2016年1月、今井は聴覚障害者教育福祉協会のイベントに参加し、会長の山東昭子から参院選への立候補を打診された。まさかの展開に今井自身も驚いたというが、息子に「歌手と政治家、どちらがいいと思うか」と相談したところ、「手話をもっと広めてほしい」と言われたという。

同年7月の第24回参議院議員通常選挙で、今井は比例区から立候補し、31万9359票を獲得して初当選を果たした。元SPEEDメンバーの国会議員誕生は、大きな話題となった。

政治家として、今井は聴覚障害者支援に力を入れている。2020年には、参院本会議で史上初となる手話を用いての質疑を行った。インターネット中継に字幕や手話通訳がなかったことへの問題提起でもあった。

2019年には内閣府大臣政務官に任命され、2022年の参院選でも再選を果たしている。歌手として活躍した経験、シングルマザーとしての経験、そして聴覚障害の子を持つ母としての経験――すべてが今井の政治活動の原動力となっている。

今井絵理子という生き方――挫折を力に変えて

12歳でデビューし、国民的アイドルとなった今井絵理子。しかしその人生は順風満帆ではなかった。結婚、出産、離婚、そして息子の障害という困難に直面しながらも、彼女は常に前を向いて歩み続けてきた。

沖縄の小さなスクールで夢を追いかけた少女は、今や国会の議場に立っている。その姿は、困難に直面しても諦めない強さと、自分の経験を社会のために活かそうとする意志を体現している。

元SPEEDの今井絵理子から、参議院議員の今井絵理子へ。彼女の人生はまさに、夢を追い続ける勇気と、挫折を乗り越える強さの物語である。聴覚障害者支援をはじめとする様々な政策に取り組む今井の姿は、かつて「Body & Soul」を歌い踊った少女の延長線上にある。音楽で人々に希望を届けた彼女は、今度は政治の力で社会を変えようとしているのだ。

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