15歳の運命的な出会い〜サティでのスカウト秘話〜
鳥取県米子市で生まれ育った松本若菜。彼女の人生を大きく変える出会いは、15歳の高校1年生のときに訪れました。
放課後、友人たちと地元の米子駅前サティ(現イオン米子駅前店)のフードコートで遊んでいたときのこと。たまたま仕事で訪れていた女優の奈美悦子が、そこにいたのです。芸能人の存在に気づいた松本は「探しに行こう」と友人と盛り上がり、奈美悦子を探し当てて「握手してください」と声をかけました。
そのときの松本の可愛らしさに、奈美悦子は驚きを隠せませんでした。「なんて可愛い子なの!」「あなた芸能界に興味ない?」と、その場で思わずスカウト。特別に目立つ装いをしていたわけではなく、自然体の姿だったにもかかわらず、奈美悦子の心を惹きつけるほどの魅力が松本にはあったのです。
しかし、当時の松本は芸能界の知識もあまりなく、東京で仕事をすることが全く想像できませんでした。最初は「やります!」と二つ返事だったものの、だんだんと怖じ気づき、結局この時はスカウトの誘いを断ってしまいます。この出会いが、彼女にとって人生の分岐点となることを、この時はまだ知る由もありませんでした。
厳格な父に育てられた少女時代
松本若菜の家庭環境は、決して甘やかされたものではありませんでした。大工を営む父・弘次さんは、まさに「家長」「当主」という言葉がふさわしい、非常に厳格な人物でした。
門限は午後7時。この厳しいルールのため、松本は学校帰りにアルバイトすることができず、土日や夏休みなど限られた時間でしか働けませんでした。口数が少なく職人気質の父は、三姉妹の末っ子として育った松本に対しても一切の甘えを許しませんでした。
そんな厳しい環境で育った松本は、やんちゃで元気いっぱいの少女でした。「お姉ちゃんたちを追いかけて、走っては転んでいっぱいアザを作って、肌も日を浴びて焼けまくっていました」と本人が語るように、太陽を気にせず自然の中で遊び回る活発な子供だったのです。一方で人見知りで内弁慶な一面もあり、厳格な父の教育方針が彼女の礼儀正しさや謙虚な人柄を形成していったことは間違いありません。
父の教育は、娘の将来を思ってのことでした。実は父は、松本が将来結婚する相手に大工の仕事を継がせたいと考えていたのです。だからこそ、芸能界という不安定な世界に娘が飛び込むことを、最後まで反対し続けたのでした。
地元就職からの決断〜夢を諦めきれなかった22歳〜
高校卒業後、松本若菜は芸能界への道ではなく、地元での就職を選びました。鳥取県立淀江産業技術高校の食物調理科を卒業し、調理師免許を取得していた彼女は、地元の化粧品会社に就職。美容部員として、また美容院の受付としても勤務していました。
規則正しい生活、安定した収入、そして地元での平穏な日々。表面的には何の問題もない生活に見えました。しかし、松本の心の中には、次第に大きな葛藤が生まれていったのです。
「シフト通りの生活が一生続くのかと思ったら、このまま人生が終わってしまうのかもしれないという恐怖のほうが大きくなってしまった」
美容部員として働く中で、松本は自分の存在価値について深く考えるようになりました。「この仕事は私じゃなくてもできるんじゃないか?」という思いが日に日に強くなり、心の奥底にあった「女優」という夢が、どんどん大きく膨らんでいったのです。
そして22歳の時、松本は人生を変える決断をします。7年前に出会った奈美悦子の言葉を思い出し、一度は断ったオフィスウォーカーに自ら電話をかけたのです。姉たちからの後押しもありました。「挑戦するなら、22歳が最後のチャンスかもしれない」。彼女はそう自分に言い聞かせ、上京を決意しました。
しかし、父は最後まで反対でした。事務所との契約書に親の署名捺印が必要な場面でも、「戻るなら今だぞ」と繰り返し説得を試みました。その厳しい言葉の裏には、娘を思う深い愛情があったことは、松本自身も後に理解することになります。
苦難の日々と遅咲きのブレイク
2006年3月9日、22歳の松本若菜は鳥取から東京へと旅立ちました。新宿のルミネtheよしもと近くのうなぎ屋でアルバイトをしながら、演技のレッスンに通う日々が始まります。
運命的だったのは、初めて受けたオーディションで見事合格したこと。2007年、特撮ドラマ「仮面ライダー電王」で女優デビューを果たします。しかし、そこからの道のりは決して平坦ではありませんでした。
うなぎ屋、寿司屋、沖縄料理屋、カフェ、そば屋……。松本は30代前半まで、実に約10年間もアルバイトを続けながら、オーディションを受け続けました。あるカフェでは厨房の料理長まで務め、バイトリーダーとして正社員の誘いを受けたこともあったといいます。高校時代に取得した調理師免許が、ここで大いに役立ったのです。
「4〜5年前まで『一応、女優です』と言っていました」と後に語るほど、女優としての自信を持てない時期が長く続きました。オーディションに落ち続け、腐っていた時期もあったといいます。32歳の時には、母親に「芸能界を辞めようと思う」と相談したこともありました。
しかし、2017年公開の映画「愚行録」での演技が評価され、ヨコハマ映画祭助演女優賞を受賞。これが彼女の転機となります。そして2022年、38歳の時に出演したドラマ「やんごとなき一族」での怪演が大きな話題を呼び、ついに遅咲きのブレイクを果たしたのです。
家族の絆と現在の活躍
かつて厳しく反対していた父・弘次さんも、今では娘の成功を心から応援しています。2022年の「情熱大陸」出演時には、3年ぶりに里帰りした松本に対し、普段は口数が少ない父が「芸能界で成功してほしい」という想いを、ゆっくりと語り始めました。デビューしてからもずっと「戻るなら今だぞ」と言い続けてくれた父の言葉は、厳しさの中にある深い愛情の表れだったのです。
母親の座右の銘「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、松本が今も大切にしている言葉です。どれだけ成功しても謙虚であり続けることの大切さを、母は娘に教え続けました。
現在、松本若菜は実力派女優として確固たる地位を築いています。「西園寺さんは家事をしない」「わたしの宝物」など主演作も続々と増え、ドラマ、映画、CM、バラエティと幅広く活躍。その上品で落ち着いた雰囲気と知的な美しさ、そして深みのある演技力は、多くの視聴者を魅了し続けています。
15歳でのサティでの運命的な出会い、厳格な父の教育、地元就職を経ての決断、そして長い苦難の日々——。すべての経験が、今の松本若菜という女優を作り上げたのです。40代を迎えた今も、彼女の挑戦は続いています。


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