深刻化する介護離職の実態
家族の介護を理由に、キャリアを諦めざるを得ない人々が後を絶たない。総務省の調査によると、2022年の1年間で介護や看護を理由に仕事を辞めた人は約10万6,000人に達した。この数字は、毎年ほぼ10万人規模の労働力が介護を理由に失われていることを示している。
注目すべきは、介護離職者の約8割が女性であり、年代別では50代が最も多いという点だ。まさに働き盛りの世代が、家族の介護のために職場を去っている。この現象は本人のキャリア形成や世帯収入に打撃を与えるだけでなく、企業にとっても貴重な人材の損失となり、日本全体の労働力確保における深刻な課題となっている。
「2025年問題」が加速させる介護ニーズ
介護離職問題の背景には、いわゆる「2025年問題」がある。団塊の世代約800万人が75歳以上の後期高齢者となることで、介護ニーズが急激に高まると予測されている。2030年には、家族介護者のうち約4割にあたる約318万人がビジネスケアラー(働きながら介護する人)になる見込みで、介護と仕事の両立は今後さらに切実な問題となる。
実際、介護をしながら働く人は約365万人に上るとされ、40代から50代の正規労働者が7割を占めている。この世代は企業で重要なポジションに就いていることも多く、彼らの離職は企業経営にも大きな影響を及ぼす。
なぜ介護離職は起きるのか——制度と現場のギャップ
では、なぜ介護離職は防げないのか。厚生労働省の調査では、介護離職者の約6割以上が「勤務先に介護休業制度等の両立支援制度が整備されていなかった」と回答している。また、制度があっても「利用しにくい雰囲気があった」という声も多い。
さらに驚くべきは、介護休業制度を利用したことがある離職者は25.4%と3割にも満たないという事実だ。多くの人が両立支援制度の存在を知らないまま、あるいは利用できないまま離職している現状がある。
介護保険サービスについても同様で、「サービスの存在や利用方法がわからなかった」という理由で離職に至るケースも少なくない。情報不足と職場環境が、介護離職を加速させている大きな要因となっている。
国が打ち出す介護離職対策
こうした状況を受け、政府は2015年から「介護離職ゼロ」を目標に掲げ、さまざまな施策を展開してきた。特に2025年4月から段階的に施行された育児・介護休業法の改正は、介護離職防止に向けた重要な一歩となっている。
2025年改正育児・介護休業法の主なポイント
1. 介護に直面した労働者への個別周知・意向確認の義務化
労働者が家族の介護に直面した旨を申し出た時、両立支援制度等について個別の周知と意向確認を行うことが事業主に義務付けられた。これにより、制度を知らないまま離職するケースを減らすことが期待されている。
2. 早期の情報提供と雇用環境の整備
労働者等への両立支援制度に関する早期の情報提供や、研修、相談窓口設置などの雇用環境整備が事業主に義務化された。介護に直面する前から準備できる体制づくりが進められている。
3. テレワークの推進
家族を介護する労働者に関し事業主が講ずる措置の内容にテレワークが追加され、柔軟な働き方の選択肢が広がった。
4. 介護休暇の対象拡大
引き続き雇用された期間が6か月未満の労働者を除外する仕組みが撤廃され、より多くの労働者が介護休暇を取得できるようになった。
介護サービスの拡充と地域包括ケアシステム
制度面の整備だけでなく、政府は「介護離職ゼロ」に向けた具体策として、介護の受け皿を拡大し、仕事と介護の両立が可能な働き方の普及を進めている。
特に重要なのが「地域包括ケアシステム」の構築だ。これは、高齢者が住み慣れた地域で医療、介護、予防、住まい、生活支援を包括的に受けられる仕組みで、在宅ケアの強化により施設への入所待ちを減らし、介護と仕事の両立をしやすくすることを目指している。
企業に求められる取り組み
法改正により企業の責任も明確になったが、単に制度を整えるだけでは不十分だ。実際に利用しやすい職場文化の醸成が重要となる。
先進的な企業では、若手社員を含む全社員に対する介護研修を実施し、将来に備える取り組みを始めている。親の年齢や家族構成から介護の可能性を診断し、経済面や時間面での負担を可視化することで、不必要な介護離職を防ぐ効果が期待されている。
また、介護経験を持つ従業員の事例共有や、介護と両立しながら活躍する社員のロールモデル提示なども、職場の理解を深める上で有効だ。
経済への影響——介護離職がもたらす損失
2030年には介護に関連する経済損失が約9.1兆円となる見込みで、その大部分は仕事と介護の両立困難による労働生産性の損失が占めている。介護離職は個人の問題にとどまらず、日本経済全体に深刻な影響を及ぼす社会問題なのだ。
経済産業省の試算では、介護離職に伴う経済全体の付加価値損失は1年あたり約6,500億円とされており、貴重な人材と経験が失われることによる影響は計り知れない。
私たちができること——離職を選ぶ前に
介護離職を防ぐには、まず「仕事を辞めずに両立する選択肢がある」ことを知ることが重要だ。
離職前に相談すべき窓口
職場の相談窓口 上司や人事担当者に現状を相談し、利用できる制度を確認しよう。介護休業や介護休暇、短時間勤務、所定外労働の免除など、法律で定められた支援制度が整備されている。
地域包括支援センター 親の居住地にある地域包括支援センターでは、介護保険サービスの相談やケアマネジャーの紹介を受けられる。専門家のアドバイスを受けることで、仕事を続けながら介護する方法が見つかることも多い。
介護離職の「落とし穴」
実は、介護のために離職すると、かえって負担が増すケースが多い。厚生労働省の調査によると、介護離職後に「経済面」「精神面」「体力面」のすべてで、離職前よりも負担が増したと回答する人が多数を占めている。
24時間家族と向き合うことで、かえって介護疲れや精神的な負担が増大し、孤立感も強まる。収入が途絶えることで経済的な不安も加わり、悪循環に陥りやすい。また、50代での離職は再就職が極めて困難で、将来の年金にも影響する。
介護と仕事を両立できる社会へ
介護離職ゼロの実現には、国、企業、そして私たち一人ひとりの意識改革が必要だ。
政府による制度整備は着実に進んでいる。2025年の法改正により、企業は従業員への情報提供と環境整備が義務化され、テレワークなど柔軟な働き方の選択肢も広がった。介護保険サービスの拡充や地域包括ケアシステムの構築も進められている。
しかし、制度があっても「使いにくい」「知らなかった」では意味がない。企業は制度を整えるだけでなく、利用しやすい職場文化を醸成し、従業員が安心して相談できる環境をつくる必要がある。
そして何より重要なのは、私たち自身が介護保険制度や職場の両立支援制度について正しく理解し、必要な時に適切な支援を求めることだ。「仕事を辞めるしかない」と思い込む前に、まず相談する。その一歩が、自分自身と家族の未来を守ることにつながる。
年間10万人という数字は、単なる統計ではない。一人ひとりの人生の選択であり、それぞれの家族の物語だ。誰もが介護に直面する可能性がある時代だからこそ、支え合い、働き続けられる社会の実現が求められている。介護と仕事の両立は、もはや個人の努力だけでは解決できない。社会全体で取り組むべき課題として、今こそ行動する時だ。


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