中学生の下駄箱掃除が運命の分岐点に
映画『カーネーション』や『殯の森』などで知られる演技派女優・尾野真千子さん。その華やかなキャリアのスタートは、14歳の時に地元中学校で靴箱の掃除をしている姿が映画監督河瀨直美の目にとまったという、まさに運命的な出会いから始まりました。
1996年春、当時中学3年生だった尾野さんは、奈良県の地元中学校で何気なく下駄箱の掃除をしていました。その時、映画『萌の朱雀』のロケハンで中学校を訪れていた河瀨直美監督が、掃除をする少女の姿に目を留めたのです。この偶然の出会いが、後に日本を代表する女優への第一歩となりました。
しかし、スカウトされたからといって、すぐに芸能界入りができたわけではありませんでした。父親からは強く反対されたそうです。それでも尾野さんの強い意志が勝り、両親から「高校に入って、高校生活をちゃんと送って卒業したらやっていいよ」という条件付きで許可を得ました。
興味深いのは、スカウトをされるまでは芸能界の仕事に全く興味がなかったという点です。普通の中学生として卓球部に所属し、4姉妹の末っ子として過ごしていた尾野さんにとって、女優という職業は全く想定外の道だったのです。
地道な下積み時代を経て大女優へ
高校卒業後、約束通り上京した尾野さんですが、最初からスムーズなキャリアだったわけではありません。なかなか活躍できない時期が続き、両親からは「芽が出ない」「いつ帰って来るんだ?」と言われ続けていたといいます。
しかし、その苦労が後の演技に深みを与えることになりました。2011年のNHK連続テレビ小説『カーネーション』でヒロインを務め、ついに国民的女優としての地位を確立します。30歳での朝ドラヒロイン抜擢に、尾野さん自身も感涙したと報じられています。
その後も『Mother』『最高の離婚』『そして父になる』など、数々の話題作に出演。「一度彼女と仕事をともにすると『またご一緒したい』と思ってしまう」と業界関係者が語るほど、共演者やスタッフからの評価も高い女優となりました。
20年のキャリアで訪れた転機と沖縄移住の決断
順風満帆に見えたキャリアでしたが、芸能生活20年の節目に、尾野さんは大きな転機を迎えます。写真を見ると目が釣り上がり「狐みたいになってる」と顔にストレスが出てしまうほど、心身ともに疲弊していたといいます。
「テレビに出続けないとみんなに忘れられてしまう」という焦りや、様々なプレッシャーから「私何してんだろうな」と自問自答する日々。そんな時、沖縄出身の事務所社長から「沖縄で思うものを撮る」という提案を受けました。
自然豊かな環境の中で心の平穏を取り戻すことを求めて沖縄を訪れた尾野さんは、そこで運命の再会を果たします。十数年前にドラマ撮影で知り合っていた現在の夫・上間宏明さんとの再会です。上間さんは沖縄で実業家として活躍する一方、自然環境の保護にも取り組む人物でした。
そして2021年、尾野さんは再婚を機に沖縄県今帰仁村への移住を決断します。「『今帰る仁(ひと)』って書くんですよ。何かいろんなことがもう自分の中で、20年の時に重なって、どんどんそれが自分の中でちゃんと1本の木になっていたような気がして。『私、帰る所ここなのかも』って思って」と、移住の理由を語っています。
「昭和居酒屋 北山食堂」の女将として新たな挑戦
沖縄移住後、尾野さんは夫が経営に関わっていた「昭和居酒屋 北山食堂」の女将として、新たな挑戦を始めました。那覇空港から車で約1時間半、美ら海水族館から車で5分という今帰仁村に位置するこの居酒屋は、今では尾野さん目当ての観光客も訪れる人気店となっています。
店内は昭和レトロな雰囲気で統一され、松田聖子や中森明菜といった昭和歌謡曲が流れる中、沖縄の家庭料理を楽しめる空間になっています。特にユニークなのが、各テーブルに設置された蛇口から泡盛が注げる飲み放題プラン。1時間600円という破格の料金設定も話題を呼んでいます。
仕込みから配膳までを自ら手がける尾野さんの女将ぶりについて、店を訪れた客からは「フレンドリーでとても良い人」「顔まで覚えてくれていた」という声が上がっています。常連客とお酒を飲んだり、写真撮影に気軽に応じたりする姿は、スクリーンで見せる演技とはまた違った、素顔の尾野真千子を感じさせます。
メニューはゴーヤチャンプルーやフーチャンプルーといった沖縄料理の定番から、自家製ジーマミー豆腐、鶏の唐揚げ、新鮮な刺身まで多彩。特にサキイカの天ぷらや肉餃子が人気メニューとして知られています。
なぜ沖縄を選んだのか?移住の本当の理由
尾野さんが沖縄を選んだ理由は、単に夫との再婚だけではありませんでした。そこには、女優として20年間走り続けてきた自分自身を見つめ直したいという切実な思いがありました。
東京での生活は、常に注目され続けるプレッシャーとの戦いでした。「次の仕事」「次の評価」という焦りの中で、本来の「芝居が好き」という純粋な気持ちを見失いかけていたといいます。「自分のために芝居をしたいという気持ちを取り戻した」と語る尾野さんにとって、沖縄は心身をリセットする場所となりました。
また、沖縄の大らかな風土と人々との交流が、尾野さんの価値観を変えていきました。居酒屋の女将として地域の人々と触れ合う中で、「全部さらけ出している」と感じられる解放感を得たのです。女優としての自分を一旦横に置き、一人の人間として地域に溶け込む生活は、尾野さんに新たな視点をもたらしました。
現在は東京との二拠点生活を送っていますが、「普段は『私、女優だった』と思うこともあるぐらい、忘れてしまっています」と笑顔で語ります。沖縄での生活がメリハリを生み、仕事の時には「より一生懸命になれる」という好循環が生まれているのです。
女優と女将、二つの顔を持つ新しい生き方
2024年も『虎に翼』のナレーションや映画『渇水』など、精力的に女優業を続けている尾野さん。一方で、週末には北山食堂の女将として店に立ち、地元住民や観光客をもてなしています。
この二刀流の生活について、尾野さんは「こういう風になりたいというのはないので、なるようになれ!」と自然体。「うちの夫がどこかに行こうって言わない限りは沖縄だと思います」と語り、今の生活に満足している様子です。
かつて「狐」のような表情をしていた尾野さんは、今では「たぬき」のような穏やかな顔になったといいます。それは、沖縄での暮らしと、地域の人々との交流がもたらした変化でした。
運命の下駄箱掃除から30年、辿り着いた場所
中学生の時、何気なく行っていた下駄箱掃除が人生を変えた尾野真千子さん。それから約30年、映画監督に見出され、数々の苦労を乗り越え、国民的女優となり、そして今、沖縄の小さな居酒屋の女将として第二の人生を歩んでいます。
「芸歴20年で何をしているんだろう」という迷いから始まった沖縄との縁は、今では尾野さんにとってかけがえのない居場所となりました。女優としてのキャリアを捨てるのではなく、新たな生き方を加えることで、より豊かな人生を手に入れたのです。
北山食堂を訪れる客の多くが、「尾野真千子に会えた」という感動と同時に、「素敵な女将さんがいる居酒屋」として店を評価しています。それは、尾野さんが単なる有名人としてではなく、一人の女将として真摯に向き合っている証でもあります。
今帰仁村の「今帰る仁(ひと)」という地名に運命を感じたという尾野さん。下駄箱の掃除という日常の一コマから始まった物語は、沖縄の小さな居酒屋で新しい章を迎えています。これからも、女優として、女将として、そして一人の女性として、尾野真千子さんの挑戦は続いていくことでしょう。


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