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元KGB最高幹部・内藤裕の全貌|48歳がブレイキングダウンで再起した壮絶な人生

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ブレイキングダウン
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「人刺しの裕」――伝説のアウトローがリングに帰ってきた

2025年7月、ブレイキングダウン16のオーディション会場に、ひとりの男が現れた。身長160cm前後、上半身を覆う刺青、そして48歳という年齢。

彼の名は内藤裕――かつて関東最強と恐れられたギャング集団「KGB」の最高幹部だった男である。

若手選手たちが跋扈するリングで、内藤は年齢差約30歳の相手を数秒でKO。会場に衝撃が走った。「48歳でこれはヤバすぎる」。観客や対戦選手たちの驚きの声が、この男の異質さを物語っていた。

KGB時代――「人刺しの裕」と呼ばれた男

関東最強ギャング集団の中核として

1990年代、東京と千葉を震撼させたチーマーグループ「KGB(キング・オブ・ギャング・ボーイズ)」。最盛期には正規メンバーだけで200〜300人、周辺組織を含めると1000人を超える巨大勢力だったと言われている。

内藤裕は、このKGBの初代から3代目まで在籍し、最高幹部として組織を支えた。彼の異名は「人刺しの裕」。その名の通り、抗争の際には躊躇なく刃物を使用したことから付けられたものだ。

30対1の伝説

内藤を語る上で欠かせないのが、30対1という圧倒的不利な状況での抗争エピソードである。普通なら降参するか逃げるしかない状況で、内藤は次々と相手を刺しながら最終的に逃げ切ったという。

この過激な行動の背景には、KGBの掟があった。抗争相手に恐怖を植え付けて勝利しなければならない。内藤は本職のヤクザ顔負けの凶行で、この掟を体現していたのだ。

少年院3度の経験

あまりにも過激な喧嘩スタイルから、内藤は少年院に3度入所している。クラブでKGBのメンバーが揉めた際、内藤が現れただけで後輩たちが「内藤先輩、大丈夫です!もう解決しました!」と必死に止めたというエピソードも残されている。後輩たちは、内藤がすぐに相手を刺すことを知っていたからだ。

内藤自身、「計算してたら心臓刺さないでしょ」と語っており、KGB現役時代には相手を殺す勢いで刺しに行っていたことを明かしている。

瓜田純士との絆と確執――アウトロー界を揺るがした関係性

引退試合で結ばれた兄弟の絆

内藤裕と瓜田純士の関係は、2012年の引退試合から始まった。「アウトローのカリスマ」として知られる瓜田の引退試合の相手を務めたのが内藤だった。

試合は内藤の一方的な展開となり、瓜田は敗北。しかしこの試合を機に、瓜田は内藤を「兄貴」と呼ぶようになった。内藤は瓜田よりも先輩格として、舎弟のように可愛がっていたという。

2013年10月――生死を分けた路上刺傷事件

二人の絆を決定的にしたのが、2013年10月に千葉市美浜区の駐車場で発生した刺傷事件だった。

内藤と瓜田が一緒にいたところを、刃物を持った男に突然襲撃された。内藤は首を刺され大量出血、23人分の輸血を受けるほどの重傷を負った。3日間意識不明となり、生死の境をさまよった。

瓜田も腹部や肩など計5カ所を刺され重傷。彼は血まみれになりながら内藤を抱きしめて介抱し、「兄貴が死ぬかと思った」と号泣したという。

事件後のインタビューで、内藤は「よくある喧嘩の一つ」と淡々と語り、警察から被害届を出すよう勧められたものの「こちらも殴ったのだから痛み分け」として拒否した。この事件を通じて、二人の絆はさらに深まったかに見えた。

突然の縁切り――真面目な道を歩むための決断

しかし、二人の関係は思わぬ形で終わりを迎える。瓜田の方から「好きな女ができ、真面目な道を歩みたいので縁を切ってください」という申し入れがあり、内藤はこれを受け入れた。

2021年頃、内藤はYouTubeチャンネルやライブ配信で瓜田を批判。「リングの上で殺す」とまで発言するなど、関係は完全に悪化した。瓜田側も「こっちにはデメリットしかない」と応戦し、一触即発の状態となった。

しかし2021年6月、二人は和解を果たす。かつて命を懸けて守り合った二人は、再び和解の道を選んだのである。

2025年、ブレイキングダウンでの再燃

BreakingDown16のオーディションで、内藤は再び瓜田について言及した。「元々兄弟、舎弟の中にいた瓜田純士もね、お互いに殴り合ってわかり合えればいいかな」。

アウトローの世界では、今日の友が明日の敵になることもある。しかし、命を懸けた絆は簡単には消えないのだ。

転落と再起――死の淵から格闘技へ

アルコール依存と余命1ヶ月の宣告

KGB解散後、内藤は山口組系の組織に所属した時期もあったが、やがてカタギとして型枠大工などの仕事に就いた。しかし、過酷な過去を背負った彼の人生は平穏ではなかった。

近年、内藤は重度のアルコール依存症に陥る。膵炎を5回発症し、医師からは「あと1ヶ月の命」と宣告された。人生を諦めかけた48歳の男にとって、残された道は格闘技しかなかった。

THE OUTSIDERでの実績

内藤の格闘技キャリアは2000年代後半から始まっていた。地下総合格闘技団体「THE OUTSIDER」に参戦し、小柄な体格ながら圧倒的な破壊力を見せつけた。

2009年3月、両国国技館で開催された「THE OUTSIDER SPECIAL」では、後に朝倉海を破ることになる渋谷莉孔選手を相手に3-0の判定勝ち。渋谷選手自身が試合への恐怖を語るほど、内藤の実力は本物だった。

ブレイキングダウンでの衝撃

2025年6月、BreakingDown16のオーディション。48歳という年齢を感じさせない鋭い右ストレートで、20代の若手ファイターをわずか数秒でKO。会場は騒然となった。

「48歳でこれはヤバすぎる」「センスの塊」。格闘技ファンたちの驚嘆の声が、内藤の復活を証明していた。

そして2025年9月27日、BreakingDown17の本戦。内藤は19歳の地下格闘技王者クサノガブリエルと対戦し、開始わずか22秒で右のカウンターパンチによるKO勝ち。年齢差29歳を物ともしない圧倒的な勝利だった。

千葉チームの監督を務めたKGB時代の盟友・田中雄士も涙する勝利。内藤は「やればできるんです。それが人生です。年は関係ねぇ!」と絶叫した。

内藤裕という男――勝利への執念

瓜田純士は兄貴分の内藤について、こう語っている。「負けるんだったら自分も死ぬ、気絶するまで殴り合う、勝つためなら手段を選ばない。とにかく勝ちに徹底している人間」。

内藤自身も「勝ち負けに100パーセントこだわる」と語る。この姿勢は、KGB時代から一貫して変わらない。心が折れなければ喧嘩には負けない――この信念が、48歳の今も彼を突き動かしている。

アウトローから格闘家へ、そして人生の再起

関東最強ギャングの最高幹部として恐れられ、「人刺しの裕」という異名で知られた男は、死の淵から格闘技によって蘇った。

瓜田純士との確執も、アウトローの世界における人間関係の複雑さを象徴している。命を懸けて守り合った二人が縁を切り、そして再び和解する。この繰り返しこそが、彼らが生きてきた世界の現実なのだろう。

48歳という年齢を感じさせない圧倒的な強さで、ブレイキングダウンのリングに立ち続ける内藤裕。彼の物語は、年齢や過去に縛られず、常に前を向いて生きることの大切さを教えてくれる。

「やればできるんです。それが人生です。年は関係ねぇ!」

この言葉が、彼の生き様のすべてを表している。

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