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元横綱曙太郎がK-1参戦を決意した3つの深い理由をシラベテミタ!

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紅白を超えた瞬間視聴率43%

2003年12月31日、日本のテレビ史上に例を見ない事態が発生した。元横綱・曙太郎とボブ・サップによる格闘技の試合が、NHK紅白歌合戦の視聴率を上回ったのだ。試合が中継された23時00分から23時03分の3分間の瞬間視聴率は43%を記録。民放がゴールデンタイムで紅白を超えることは、後にも先にもこの時だけである。

この歴史的な対戦が実現した背景には、相撲界の重鎮からプロデューサーまでが関わった複雑なドラマが隠されていた。なぜ、外国人初の横綱である曙は、相撲協会を退職してK-1へ飛び込んだのか。その謎を紐解く。

曙太郎がK-1参戦を決意した3つの根本的な理由

1. 師匠・東関親方との修復不可能な関係悪化

曙は2001年に現役を引退すると、師匠である東関親方(元高見山)の下で部屋付き親方として後進指導にあたっていた。しかし、その関係は表面上の穏やかさの裏で、深刻な対立へと発展していたのだ。

相撲協会の年寄名跡制度の制限や、将来設計の不透明さがこの関係を悪化させた。特に経営面での問題が顕在化していた。曙は相撲人生で数々の懸賞金を獲得していたが、利益追求に向かない気質が原因で、親方業を続ける環境は失われていったのである。

同じハワイ出身で先輩力士の小錦からは再三にわたり「相撲協会の体質はお前には合わない。俺みたいにタレントになれ」という忠告も受けていた。

2. 経営事業の赤字続きと金銭的な不安定性

親族がハワイの食料品や雑貨を扱う店舗を赤坂にオープンさせたが、経営成績は芳しくなかった。赤字が続く事業に対する曙の責任感と不安が増していった。

さらに、曙自身も相撲協会内で「興行本部長」という職務を担当していたが、チケット販売の困難に直面していた。部屋付き親方と興行本部長の両職を兼務する激務は、妻からも大きな負担として認識されていたのである。

K-1プロデューサーの谷川貞治は、このような金銭的・職業的な不安定さが、曙の判断を大きく揺さぶっていたと分析している。

3. 妻による力強い後押しと家族の将来への不安

最も決定的な要因が、曙の妻による強い後押しだった。激務で疲弊する夫の姿を見た妻は、人生の転機を図ることの重要性を理解していたのだ。

27歳で引退後、約2年間の相撲協会での親方生活は、肉体的にも精神的にも曙に大きな負担をもたらしていた。相撲界での将来に希望を見出せない状況下で、妻の支持こそが、曙の決断を後押しした最大の原動力だったのである。

K-1プロデューサー・谷川貞治の戦略的スカウト

2003年晩秋、K-1プロデューサーの谷川貞治が東関部屋を突然訪問したのは、このような背景の中でのことであった。実は、本来の計画は「マイク・タイソン対ボブ・サップ」という一戦が予定されていたのだ。

しかし、諸事情によりタイソンとの契約が断念される運びとなった。そこで谷川が白羽の矢を立てたのが、外国人初の横綱という圧倒的な知名度と格闘技への適性を兼ね備えた曙だったのである。

谷川は曙に対して、具体的な好条件を提示した。契約金とファイトマネーの明確な支払い約束、最高の練習環境とトレーナー配置、そして勝利時のボーナスまで用意されていた。この手厚い条件が、相撲協会への退職願提出を決意させたのである。

初戦のファイトマネーはいくらだったのか

曙太郎のボブサップ戦での報酬推定額

公式な契約書に記載された具体的なファイトマネー額については、外部には公開されていない。しかし、関連情報から推測することができる。

バラエティ番組での発言記録によれば、曙はサップ戦とホイス・グレイシー戦の2試合で合計1億5000万円を獲得したと伝えられている。

K-1初戦という歴史的な舞台設定と、紅白を超える視聴率をもたらした試合の価値を考慮すると、曙のサップ戦のみでのファイトマネーは数千万円台である可能性が高い。この金額は、相撲時代の年間収入と比較しても決して小さくない額であったと考えられる。

2年間のブランクを経ての悲劇的なデビュー

曙は相撲を2001年に引退してからK-1参戦まで、約2年間の空白期間を経ていた。さらに、両膝の怪我が深刻化していたことが、引退の本当の理由だった。曙は力士晩年に80歳の老人の脚とまで言われた下半身で210kg以上の体重を支えていたのだ。

体がボロボロで相撲引退してる身で格闘技への準備期間がない。その結果、曙のK-1デビュー戦は期待を大きく裏切る結果となる。

デビュー戦の相手はボブ・サップ。試合は1ラウンドで決着。サップの右フックを浴びた曙は、意外な早さでダウンを喫した。

大相撲の元横綱は、K-1のリングでは通用しなかった。

大相撲から格闘家への転向

以後、曙はプロレスの世界へ活動を広げ、複数の団体で活躍することになる。2012年にはZERO1で世界ヘビー王座を獲得。全日本プロレスでもSMOP(浜亮太とのタッグ)で2009年度プロレス大賞・最優秀タッグ賞を受賞するなど、新しいキャリアを築いていくのである。

決断の先にあったもの

曙は現役時代の気持ちでK-1のリングに上がったのだろう。満身創痍の身体はついていかな大相撲全盛期の怖いモノなしの相撲を取っていたが、Kー1では、ほぼ素人の技術で臨んだため、怖さもなかった。

心配そうに見つめる家族の顔がテレビで映し出される度にせつなくなった。

しかし、43%の瞬間視聴率は我々国民には夢を見させてくれた。それだけでもありがとうと言いたい。

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