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吉川ひなの、IZAMとの「ままごと婚」と母親からの金銭要求で苦しんだ壮絶な過去

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華やかな表舞台の裏にあった暗闇

12歳でモデルデビューし、瞬く間にトップモデルとして活躍した吉川ひなの。雑誌やCMで引っ張りだことなり、10代で絶大な人気を誇った彼女の裏側には、想像を絶する家庭環境がありました。

2021年に出版したエッセイ『わたしが幸せになるまで』、そして2023年の『Dearママ』で、彼女は初めて自身の壮絶な生い立ちを赤裸々に語りました。

IZAMとの電撃結婚と7ヶ月でのスピード離婚

センセーショナルな結婚会見

1999年2月、当時19歳の吉川ひなのは、ヴィジュアル系バンド「SHAZNA」のボーカルIZAM(当時26歳)との結婚を発表しました。

3月3日のひな祭りに行われた結婚会見は、芸能界に衝撃を与えました。お揃いの耳・鼻ピアスをつけた二人が登場し、ひなのは「ひなののお祭りを、ひな祭りの日にご報告できて嬉しいで~す」「今日の気持ちはまっピンクで~す。これは初恋ですよ。キャ~、恥ずかしい!」と語りました。

IZAMは入籍を記念して1台800万円のお揃いのベンツを購入したことを告白。報道陣は呆然としたと言われています。

「ままごと婚」と揶揄された結婚生活

華やかな結婚会見の裏で、二人の結婚生活は順風満帆とは言えませんでした。結婚からわずか7ヶ月後の1999年9月、二人は離婚を発表。あまりにも短い結婚期間は「ままごと婚」と揶揄されることになります。

当時19歳という若さでの結婚、そして芸能界という特殊な環境が、二人の関係に影響を与えたと考えられます。明るく無邪気に見えた結婚会見の様子も、今振り返れば若さゆえの勢いだったのかもしれません。

母親からの金銭的搾取という暗い影

稼ぎを全て奪われた10代

IZAMとの結婚・離婚以上に、吉川ひなのの人生を苦しめたのが両親、特に母親との関係でした。

12歳でデビューしてから、彼女はモデルやタレントとして莫大な収入を得ていました。しかし、その給料のほとんどは両親によって使われていたのです。

両親は彼女の稼ぎで豪邸を購入し、贅沢な生活を送っていました。あるとき、心が壊れて芸能活動を続けることができなくなった吉川ひなのが、両親に貯金を分けるようお願いしたところ、渡された通帳には1ヶ月分の家賃にも満たない額しか残っていませんでした。

成人後も続いた金銭の無心

成人後、給料の振込先を自分の口座に変更した吉川ひなの。しかし、それは新たな苦しみの始まりでした。

母親の命令を受けた父親が、一人暮らしをする彼女の家の前で待ち伏せし、お金を無心するようになったのです。成人式の日にも父親は現れ、「お金のことなんだけど……」と切り出しました。

吉川ひなのが成人式のハガキを見せても、父親は「ほんとぉ……」と興味なさそうに答え、再びお金の話に戻ったといいます。

ある時、本当にお金がないと訴えた彼女が、マイメロディの貯金箱に貯めていた500円玉貯金しかないと告げると、父親はその貯金箱ごと持ち去ってしまったのです。

宗教二世としての苦しみ

吉川ひなのの母親は、厳格な宗教の信者でした。彼女は「宗教二世」として、幼少期から特殊な環境で育てられました。

クリスマスや誕生会は禁止され、幼い頃には革のベルトでお尻を叩かれる体罰も受けていました。きょうだいが髪の毛をつかまれて水のシャワーを頭からかけられたり、階段の上から掃除機を投げつけられたこともあったそうです。

母親からは執拗に「身体が弱い」と言われ続け、「こんな時代に子どもを産んじゃダメ」と教え込まれて育ちました。そのため、吉川ひなの自身も長い間、子どもを産むことは考えられないと思っていたのです。

また、小さい頃から借金取りが家にやってきて、学校に行けなくなることもしばしばありました。母親は納戸に隠れながら、吉川ひなのに「お母さんは今いないと言いなさい」と命令していたといいます。

絶縁ではなく、母の死という終わり

両親との関係に苦しみ続けた吉川ひなのでしたが、完全な絶縁には至りませんでした。2015年頃、母親は難病により他界します。長い闘病生活の末、寝たきりの状態が続いたといわれています。

母親の死後、吉川ひなのは自身の3人の子どもを育てる中で、母親に対する見方が少しずつ変化していきました。「毒親」という言葉を知り、「許さなくてもいい」と気づいたことで、逆に本当の意味で母親と向き合えるようになったのです。

再婚と新しい人生

2011年、吉川ひなのは会社経営者の男性と再婚します。2012年に第1子、2018年に第2子、2021年には41歳で第3子を出産し、現在は3人の子どもの母親として、ハワイや沖縄で自然に囲まれた生活を送っています。

2024年には2度目の夫とも離婚を発表しましたが、「どちらかが裏切った、だから夫婦という形を手放す、というようなことではありません」と説明し、新しい家族の形を目指すことを明かしています。

幸せをつかむまでの長い道のり

「10代から20代まで傷つくことだらけ。私の人生は、常に誰かのものだった。テレビやスタジオで笑顔を見せていても、自分を幸せだと思ったことは一度もありませんでした」

吉川ひなのが過去のインタビューで語ったこの言葉は、彼女の壮絶な過去を物語っています。

明るく不思議なキャラクターは、彼女が必死につくりあげたもうひとりの自分でした。IZAMとの「ままごと婚」も、当時の彼女にとっては必要な選択だったのかもしれません。

現在、吉川ひなのは自身の経験を通じて、同じような境遇にある人々にメッセージを発信し続けています。母親のことを「許さなくてもいい」と気づき、そして「許せない自分を許す」ことで、ようやく本当の意味での自分自身の人生を歩み始めたのです。

過去を乗り越えて

吉川ひなのの人生は、華やかな芸能界の表舞台とは裏腹に、家族との金銭トラブルや宗教二世としての苦悩に満ちていました。IZAMとの7ヶ月という短い結婚生活、そして母親からの金銭的搾取という二重の苦しみを経験しながらも、彼女は自分自身の幸せを見つけ出しました。

現在、3人の子どもの母として、自然に囲まれた環境で新しい人生を歩む吉川ひなの。彼女の物語は、どんな困難な過去があっても、自分らしい幸せを手に入れることができるという希望のメッセージを私たちに伝えています。

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