今も続く、終わりのない待ち時間
1977年11月15日、新潟市の寄居浜近くで中学1年生だった横田めぐみさんが突然姿を消した。あれから47年。弟の横田拓也さんは今も、姉が生きていると信じて待ち続けている。
「47年間の中で、元気でいてくれているだろうかと毎日私も母も弟の哲也も思い続けています」
2024年11月、川崎市内の中学校で講演した拓也さんは、集まった約340人の生徒たちにこう語りかけた。当時9歳だった拓也さんにとって、あの日から時間は止まったままだ。
幸せだった家族の日常が一変した日
めぐみさんが失踪した日、拓也さんは母の早紀江さん、双子の弟・哲也さんと歯医者に出かけていた。帰り際、早紀江さんから「めぐみの部活動の様子を見に行こう」と提案されたが、拓也さんと哲也さんは「そんなことしたらまた、お姉ちゃん、怒るよ」と注意し、そのまま帰宅した。
この何気ない選択が、拓也さんの心に深く刻まれることになる。
帰宅後、いつまでも帰らない姉を心配して、早紀江さんと一緒に近くの護国神社を捜索した。しかし突き当たりが暗かったため、拓也さんと哲也さんは「いやだ、いやだ」と泣き出し、途中で断念せざるを得なかった。
「姉がいなくなった翌日から1カ月間が、一番辛かった」
拓也さんは当時を振り返りながら、険しい表情でこう語る。
「タっくん」と呼んでくれた優しい姉
拓也さんは1968年8月23日に生まれた。姉のめぐみさんは弟の誕生を心待ちにしており、生まれてすぐに近所の住人を連れて病院を訪問するほどだった。めぐみさんは拓也さんを「タっくん」と呼び、やんちゃ盛りの拓也さんと哲也さんがお菓子やおもちゃの取り合いをするたびに、優しく叱ってくれた。
「積極的で明るいお姉さんのイメージ」と拓也さんは語る。
広島で過ごした幼少期、家族でよく一緒に過ごした日々。そんな幸せな家庭が、拉致という暴力によって一瞬にして引き裂かれた。
風呂場で泣く父の姿
両親は子どもたちに苦しむ様子を見せないようにしていた。にぎやかだった食卓は火が消えたようになり、父の滋さんも母の早紀江さんも、毎日めぐみさんの名前を呼びながらあちこち探し回った。
しかし拓也さんは、ある日父の滋さんが風呂場で息を殺して泣いている姿を見てしまう。
「なぜ父親がこんな思いをしなければいけないのか」
その光景は、幼い拓也さんの心に深く刻まれた。父は1週間近く仕事を休み、電話の近くで寝て、少しでも情報が入ればすぐに対応できるようにしていた。
20年後に届いた「生きている」という情報
失踪から20年が経過した1997年1月、めぐみさんが平壌で生きているという情報が入った。拓也さんは当時、怒りと焦りを抱えていた。
インターネットを通じて、橋本龍太郎首相や小渕恵三首相、高村正彦外相、さらにはビル・クリントン米大統領にまで、「これほど恐ろしいことが起きていたのに政府は20年も何をやっていたのか」という趣旨のメールを送った。
その言葉遣いの厳しさから、早紀江さんに「まだ若いのだから、そんな偉そうな言い方をしてはいけない」と諭されたこともあった。しかし早紀江さんは後に「積もりに積もった憤りは、それだけ激しいものがある」と述懐している。
披露宴に用意された姉の席
1997年10月、めぐみさんの拉致被害疑惑が公となった同じ年、拓也さんは結婚した。披露宴では、めぐみさんの席と料理も用意された。いつか姉が帰ってきたときに、幸せな報告ができるようにと願いを込めて。
父の死と変わらぬ決意
2020年6月5日、父の滋さんが老衰のため87歳で亡くなった。めぐみさんに会うことなく、この世を去った父。
6月9日の記者会見で、拓也さんは父との思い出を語った。かつて酒を飲みながら、「子どもとして金正日が許せない。こうして、こうしてボコボコにしてやりたい」と話したところ、滋さんは「そんなものでは済まされない」と答えたという。
会見では、拉致問題に真摯に向き合ってきた政治家への感謝と、40年以上何もしてこなかった者たちへの批判を述べた。
「何もやってない方が政権批判をするのは卑怯だと思います」
拓也さんの言葉には、家族の痛みと怒り、そして諦めない決意が込められていた。
「この目から何を感じ取るか」
拓也さんは各地の学校で講演を続けている。2024年11月にも川崎市内の中学校を訪れ、生徒たちに訴えた。
めぐみさんが北朝鮮で撮影されたという写真をスライドに映し出しながら、拓也さんは言う。
「この写真を見ると、ものすごく心が苦しくなる。このような悲しい顔をした姉は見たことがない。この目から皆さんが何を感じ取るか。横田めぐみではなく皆さん自身だったら何を考えるか。誰かの話ではなく自分だったらどうしなくてはいけないのか、我が事に置き換えて聞いてほしい」
拉致問題は歴史の話ではなく、現在進行形の未解決事件だ。
姉の夢を見た夜
医療関係の会社に勤めていた頃、拓也さんは知人とともに神楽坂の焼き鳥屋を訪れたことがある。少し酔った拓也さんが、ふと呟いた。
「昨日、姉が夢に出て来たんですよね……」
その一言に、同席していた知人は言葉を失った。あれから20年以上が経過した今も、拓也さんは姉を想い続けている。
時間との闘い
2019年、拓也さんが講演した「拉致被害者家族を支援するかわさき市民のつどい」では、父の滋さんは入院中で出席できなかった。母の早紀江さんも看病のため体力が限界に達し、欠席となった。
「時間との闘い。一刻の猶予も許さない」
拓也さんは危機感をにじませながら訴えた。被害者家族の高齢化が進む中、一日も早い解決が求められている。
生存を信じる根拠
北朝鮮はめぐみさんを「死亡した」と主張し、2004年には「遺骨」を提出した。しかしDNA鑑定の結果、その一部からはめぐみさんのものと違うDNAが検出された。
また、北朝鮮で一緒に生活していた拉致被害者の曽我ひとみさんは「めぐみさんは強い。絶対に生きている」と言い切っている。元工作員の金賢姫氏も、めぐみさんが金正日一家の秘密を知っているために帰国させられないのではないかと指摘し、生存を主張している。
日本政府も生存を前提に再調査を求めており、北朝鮮側の説明には矛盾と不自然な点が極めて多いとしている。
母と姉を会わせたい
現在56歳になった拓也さんは、家族会代表として活動を続けている。母の早紀江さんも88歳となった。
「母とめぐみを会わせたい」
拓也さんの訴えはシンプルで、しかし切実だ。本当に苦しい思いで助けの手を待っている人がいることを、忘れないでほしい。
私たち一人一人ができること
横田拓也さんの想いは、単なる家族の物語ではない。これは私たち日本に住む一人一人に関わる人権問題であり、主権侵害の問題だ。
拓也さんは講演の最後に必ずこう呼びかける。
「拉致問題を自分に置き換えて、自分たちの問題として考えてほしい」
48年間、拓也さんは姉が生きていると信じて待ち続けている。その信念は決して揺らぐことはない。なぜなら、家族の絆は時間や距離を超えて存在するものだからだ。
めぐみさんが帰ってくる日まで、拓也さんの闘いは終わらない。そして私たちも、この問題を忘れてはならない。一人でも多くの人が関心を持ち、声を上げることが、解決への第一歩となるのだから。


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