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いしのようこ|志村けんに見出された芦屋出身のフィギュアスケート少女

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はじめに:「アイドル石野真子の妹」を超えて

1980年代、「アイドル・石野真子の妹」として注目を浴びながらデビューした、いしのようこ。しかし彼女は姉の七光りではなく、志村けんという昭和のコメディー界の巨匠に見出され、独自の道を切り拓いていった。

芦屋の裕福な家庭に育ち、フィギュアスケートの腕前を持つ少女が、なぜコメディエンヌとして開花したのか。そして志村けんとの運命的な出会いは、彼女の人生をどう変えたのか。今回は、いしのようこの知られざる物語を紐解いていく。

芦屋のお嬢様:広い庭とセントバーナードとの日々

いしのようこは1968年2月20日、兵庫県芦屋市に生まれた。父親はビーズ製ハンドバッグの製造会社を経営し、母親はファッションデザイナー。広い二階建ての邸宅には日本庭園と西洋庭園があり、まさに「芦屋のお嬢様」として育った環境だった。

7歳年上の姉・石野真子、6歳年下の妹・宝乃純(石野敦子)という三姉妹の真ん中として生まれたいしのようこだが、実は生まれつき体が弱く、幼稚園を休みがちな子どもだった。内気な性格もあり、当時の一番の友達は飼い犬の巨大なセントバーナード。広い庭で犬と遊ぶ日々が、彼女の幼少期の思い出だった。

家庭の躾は厳しく、両親を「お父様」「お母様」と呼び、常に敬語で話していた。マンガは読むのも描くのも禁止。学生時代の門限は午後4時。裕福な家庭ならではの、格式ある教育方針のもとで育てられたのである。

フィギュアスケート強化選手への道:朝練から夜まで

小学1年生の頃、虚弱体質を心配した両親が知人に相談したことから、いしのはフィギュアスケートを習い始める。これが彼女の人生の転機となった。

わずか3ヶ月後に出場した大会で優勝。その実力が認められ、強化選手に選ばれた彼女は、中野園子コーチに師事することになる。以降、毎日朝練をしてから学校へ行き、帰宅後は夜遅くまで練習漬けの日々。大阪のリンクまで遠征することも多く、のんびりできる日曜の午前中にテレビを観るのが唯一の楽しみだった。

しかし中学1年生のとき、状況が変わる。姉の石野真子が芸能界デビューし、母親が付き添いで東京を訪れて不在がちに。家事を手伝わざるを得なくなった彼女は、フィギュアスケートを断念した。もし続けていれば、別の輝かしい未来があったかもしれない。だが運命は、彼女を別のステージへと導いていく。

芸能界デビュー:姉の撮影現場からの始まり

高校1年生のとき、姉・石野真子が出演するドラマの撮影現場を見学していたいしのようこ。スタッフに誘われて通行人役で出演すると、これを見た芸能事務所関係者の目に留まった。

当初は人前に出るのが得意ではなかったため断っていたが、根気よく説得される。「自分で道を選び、自信と責任を持って歩ける人になりたい」という自立心が芽生えていた彼女は、最終的に芸能界入りを決意する。

高校2年生で上京し、堀越高校の芸能コースに転入。同級生には南野陽子、長山洋子、岡田有希子、永瀬正敏といった錚々たる顔ぶれが揃っていた。そして1985年、高校3年生で『テディーボーイ・ブルース』でアイドル歌手デビュー。同期には中山美穂、本田美奈子、南野陽子など、まさに黄金期のアイドルたちがひしめいていた。

運命の出会い:志村けんとロケバスでの雑談

10代後半のある日、旅番組で人気コメディアンの志村けんと共演したいしのようこ。ロケバスでの雑談中、志村から「お前、おもしれえな」という一言をもらう。これが彼女の人生を大きく変える転機となった。

後日、志村が出演するコント番組『ドリフ大爆笑』にゲストとして招かれた彼女は、言われるがまま泥棒コントに参加。収録後、志村から新番組『だいじょうぶだぁ』のレギュラーに誘われる。

しかし、右も左もわからないのにオチを任されたりするのは怖い。彼女は丁重に断ろうとした。すると志村は「勉強だと思って3ヶ月(1クール)だけでいいから」と説得。この言葉に背中を押され、出演を決意した。

本人によると、『大爆笑』の泥棒コント収録後、ホッとしていた直後に志村から急に「最後にカメラが寄るから何かオチやって」と無茶振りされたという。心の準備もなくカメラが来て、慌てて何かを言ったが、あまりに必死で何を言ったかは覚えていないそうだ。「今思えば、あの無茶振りは私が新番組のレギュラーとして使えるかどうか、志村さんなりのオーディションだったんだと思います」と後に振り返っている。

「だいじょうぶだぁ」での開花:期限付きのはずが…

1987年11月からスタートした『志村けんのだいじょうぶだぁ』。開始直後、いしのようこは「1クールだけのゲスト気分」で気楽にコントに参加していた。しかし3ヶ月経っても誰からも「今日で終わりです」とは言われず、出演が続いた。

「期限付きの出演じゃなかった」と気づいた彼女は、「お気楽にやっていてはダメだ」と危機感を覚える。コントへの向き合い方や番組での自分の立ち位置に悩み始めたが、以降本腰を入れてコントに取り組むと、体当たりでやったことが周りから面白がられるようになり、少しずつお笑いの感覚を掴んでいった。

志村けんとの息の合った夫婦コント、「変なおじさん」にいたずらされるOL役、そして娘「おハナ坊」役など、いしのようこは抜群のコメディーセンスを発揮。1992年12月まで5年間、番組を盛り上げ続けた。

志村けんが気に入った理由:「どんな球も返してくれる」

志村けんがいしのようこを気に入った理由は何だったのか。2012年、17年ぶりの再共演となった舞台『志村魂』の会見で、志村は彼女を「どんな球を投げても返してくれる」と絶賛している。

志村はあまり人を褒めるタイプではなかったという。しかし番組のあるコントで彼女が取った行動に対して”指摘”をしたと思っていたら、後になって”褒められていた”と気づいたエピソードもある。志村から「間」を褒められたこともあり、いしのようこのアドリブ力と反応の速さが、志村の信頼を勝ち取っていたのだ。

夫婦コントの大半はアドリブの応酬で、本番中に微熱が出るほど集中していたという。「そこまで言う?」という有名な決め台詞を生んだのも、二人の息の合った掛け合いあってのことだった。

志村けんとの関係:結婚の噂と別れ

『だいじょうぶだぁ』での共演をきっかけに、いしのようこと志村けんは交際に発展。1980年代から90年代にかけて、何度も熱愛報道があり、同棲もしていて結婚間近とも噂された。

志村は相手の親御さんのところへ挨拶に行ったとも言われ、結婚を考えていた時期もあったようだ。さらに、いしのようこが志村の所属事務所に移籍し、仕事もほぼ『だいじょうぶだぁ』だけに絞ったことで、「結婚か」とも騒がれた。

しかし、約15年間の交際の末、二人は破局。いしのようこが『だいじょうぶだぁ』を卒業するのと比例して、交際も終わっていった。

志村は過去のインタビューで、「自分の芸のことで頭がいっぱいだから、ほかのことで気を遣いたくないし、エネルギーも注げない。女性とも、つきあい始めたころは楽しいけれど、申し訳ないことに、だんだん面倒くさくなってくる」と語っている。芸に生きる男の性(さが)が、二人の関係を終わらせたのかもしれない。

再会と永遠の別れ

2012年、志村けんが座長を務めた舞台『志村魂』で、二人は17年ぶりに再共演。会見では、志村の「ようこ、いくつになった?」との質問に、いしのようこは「うるせーよ!」と返すなど、昔の名コンビぶりを彷彿させるやりとりを見せた。

いしのようこも「ブランクは感じなかった」と笑顔を見せており、二人の絆が時を超えても変わらないことを証明した。

しかし2020年3月29日、志村けんが新型コロナウイルス感染症による肺炎で急逝。いしのようこは所属事務所を通じてコメントを発表した。

「志村けんさん 突然の事で正直、まだ受け止められずにいます。数年前、志村魂の舞台でお花坊のコントをさせていただき、18年前と何も変わらず出来た事に驚きと喜びを感じた事を思い出します。若かりし頃に教えていただいた数々の事、忘れません。心からご冥福を申し上げます」

現在:事実婚という選択と女優としての道

現在、いしのようこは結婚歴はなく独身だが、2019年に事実婚関係の男性がいることを明かしている。相手は30代終わりに出会った1歳年下の男性で、交際を始める際に「結婚相手を探しているなら、私じゃない方がいい。それでも良ければ」と伝え、結婚を考えない形で交際をスタートさせたという。

「結婚という制度に意味がわからないまま大人になっちゃった。好きな人と一緒にいるのは、結婚しなくてもできるでしょ」という彼女の言葉は、二度の結婚と離婚を経験した姉・石野真子から学んだことも大きいのかもしれない。

女優としては、2003年のNHK朝ドラ『てるてる家族』で、子供時代にフィギュアスケートを習っていた経験を活かしてフィギュアスケートのコーチを演じ、2020年の『おちょやん』では芝居茶屋の女将役のアドリブが話題となった。

『だいじょうぶだぁ』を卒業してからはテレビの出演機会は激減し、「芸能界を辞めたの?」という噂まで立ったが、テレビ・映画・舞台を中心に、女優の仕事に精を出し続けている。

「石野真子の妹」から「いしのようこ」へ

芦屋の裕福な家庭に育ち、フィギュアスケートの腕前を持っていた少女。「アイドル・石野真子の妹」として注目されながらデビューした彼女は、志村けんという天才コメディアンとの運命的な出会いによって、独自の才能を開花させた。

「お前、おもしれえな」という志村の一言が、彼女の人生を変えた。10代の少女に可能性を見出し、育て上げた志村けんの慧眼。そして「どんな球も返してくれる」と評されるほど、志村の期待に応え続けたいしのようこの努力。

二人の関係は恋愛として終わりを迎えたが、コメディアンとしての絆は永遠に残った。志村けんが遺した「若かりし頃に教えていただいた数々の事」を胸に、いしのようこは今も女優として歩み続けている。

「石野真子の妹」ではなく、「いしのようこ」として—。

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