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香川真司が中学時代に東北へサッカー留学した理由とFCみやぎバルセロナでの活躍

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はじめに:神戸から仙台へ、12歳の決断

日本サッカー界を代表する選手として、マンチェスター・ユナイテッドやボルシア・ドルトムントといった世界的ビッグクラブで活躍した香川真司。その輝かしいキャリアの原点は、意外にも中学進学と同時に行った「東北へのサッカー留学」にあります。

兵庫県神戸市で生まれ育った香川は、2001年、中学校入学と同時にサッカー留学を果たし、仙台市立八乙女中学校に通いながら、FCみやぎバルセロナのジュニアユースに所属することになりました。当時12歳の少年が、なぜ地元を離れ、はるか遠い東北の地を選んだのか。そこには明確な理由と強い意志がありました。

なぜ仙台のFCみやぎバルセロナだったのか

小学生時代の確かな実力と出会い

香川は幼稚園からサッカーを始め、小学4年生で神戸市選抜メンバーに抜擢されるなど、順調に成長していました。ドリブルを得意とする技術派の選手として、地元では誰もが認める才能の持ち主でした。

そんな香川の転機となったのが、小学時代の指導者である富澤コーチとの出会いでした。小学5年生の段階で香川は宮城に何度か訪れており、本当にサッカーに対してまっすぐで、向上心の強い子だったといいます。

「個」を伸ばす独自の育成哲学に魅了

FCみやぎバルセロナを選んだ最大の理由は、そのユニークな指導方針にありました。2時間の練習時間のうち90分を個人技術に当て、パスを禁止するなど個の強化を重視するクラブとして知られていました。

「大切に育てられた子たちの才能を大きく開花させよう」という方針で作られたクラブで、長所や特徴を伸ばす指導を何よりも大切にしていたのです。ドリブルが得意だった香川にとって、この環境は理想的でした。

親を説得した12歳の情熱

香川は小学校を卒業するとき、自分の意志で仙台行きを決めました。両親は基本的に「真司のやりたいことをやらせたい」という考えの持ち主であり、香川の情熱に押された結果、FCみやぎを選んだといいます。

これは単なる親の決断ではなく、香川自身が親に対して行った「プレゼン」でした。Jリーグの下部組織という選択肢もある中で、あえてJクラブを選ばず、わざわざ実家を離れてまで、個性重視の町クラブを選んだことが、その後の人生を大きく変えることになります。

仙台での5年間:才能開花の日々

祖母と二人、サッカー漬けの生活

仙台での新生活は決して楽なものではありませんでした。最初の半年はホームステイし、その後は仙台までやってきた祖母と2人暮らしだったといいます。親元を離れた中学生が、サッカーのために選んだ孤独な道でした。

飛び級での活躍と全国区への成長

FCみやぎバルセロナでの香川の成長は目覚ましいものでした。中学1年生のときから3年生の練習に参加できた2人のうちのひとりとして、常に年上の選手たちと切磋琢磨しました。

体格で劣る分、知恵を絞り工夫することで技術を磨いていった香川は、ナショナルトレセンやU-15日本代表にも選出され、全国区の選手へと成長していきました。

運命を変えた仙台カップでの圧巻のプレー

高校2年生時の2005年9月、飛び級でU-18東北代表に選出されると、仙台カップ国際ユースサッカー大会に出場しました。この大会が香川の運命を大きく変えることになります。

ブラジル、クロアチア相手に卓越した技術で魅了し、U-18日本代表戦では内田篤人、吉田麻也、槙野智章らが揃うディフェンスラインをことごとく翻弄し、自身の3アシストで5-2と快勝しました。

この活躍により、FCみやぎバルセロナユースに所属していた丹野研太を視察しにきたセレッソ大阪のスカウト担当であった小菊昭雄に見出され、セレッソ大阪への入団が決まります。初めてJリーグクラブのアカデミーに所属していない選手として高校卒業前にプロ入りという快挙を成し遂げました。

FCみやぎバルセロナが香川に与えたもの

技術と創造性の基礎

香川自身も後に振り返り、「自分の基礎はあの時期に作られたと確信している」と語っています。パスを禁止し、個人技術を徹底的に磨くという独特な指導方針は、世界で通用する「個の力」を育みました。

挫折と成長の経験

上の学年の選手たちと一緒にプレーすることで、最初はコテンパンにやられて大変だったものの、毎日のように練習をしていくと、意外と慣れていったといいます。この経験が、後の欧州での厳しい競争を勝ち抜く精神力の土台となりました。

クラブに恩返しする移籍金

香川の成功は、母クラブにも大きな恩恵をもたらしました。2016年には連帯貢献金制度によって得られた香川の移籍金で練習場の人工芝ピッチを改修するなど、クラブの発展にも貢献しています。

12歳の決断が生んだ世界的選手

香川真司の東北サッカー留学は、偶然ではなく、明確なビジョンと強い意志による選択でした。個の力を徹底的に伸ばすFCみやぎバルセロナの育成哲学と、向上心溢れる少年の情熱が出会ったとき、日本サッカー史に残る名選手が誕生しました。

親元を離れ、祖母と二人で過ごした仙台での5年間。体格で劣る分、技術と知恵で勝負する習慣。年上の選手たちとの切磋琢磨。これらすべてが、後に世界のビッグクラブで活躍する選手を育て上げたのです。

香川の物語は、才能だけでなく、環境選択の重要性と、若き日の挑戦がいかに人生を変えうるかを教えてくれます。12歳の少年が下した勇気ある決断は、日本サッカー界全体にとっても大きな財産となりました。

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