「GTO」ブレイクから一転、芸能界を離れた理由
1998年、反町隆史主演のドラマ「GTO」に水樹ナナコ役で出演し、一躍注目を集めた希良梨(きらり、本名:豊元希良梨)。ショートカットの爽やかなルックスと自然体の演技で多くの視聴者の心を掴み、若手女優として大きな期待を寄せられていた。
1999年にはkirari名義で歌手デビューを果たし、シングル「Last Piece」をリリース。この楽曲はGTOのアニメ版エンディングテーマとして使用され、女優だけでなく歌手としても活躍の場を広げていた。人気絶頂の2000年には、カバー曲「Toy Soldiers」がTBS系ドラマ「QUIZ」のエンディングテーマとして大ヒットし、まさに多方面での成功を収めつつあった。
しかし、華やかな舞台の裏で、希良梨は深刻な病と向き合っていた。2000年、人気絶頂期に子宮頸がんが発覚し、芸能活動を休止して治療に専念することになる。当時19歳という若さでの発症は、本人にとって大きな衝撃だったに違いない。
子宮頸がんとの闘い―19歳からの長い戦い
子宮頸がんは比較的若い年齢である20代から40代に発症のピークがあり、希良梨は19歳の時に発症した。このデリケートな時期の深刻な病気との闘いは、心身ともに大きな負担となった。
2003年には一度復帰できるまで回復したが、その後再び活動を休止し、表舞台から姿を消して海外へ旅立つことになる。この決断の背景には、単なる療養だけでなく、新しい自分を見つけたいという強い思いがあったのだろう。
希良梨は母子家庭で育ち、幼少期にはいじめを受けていたという。下駄箱の靴がなくなって帰れなかったり、カバンが捨てられたり、仲間外れにされることも普通にあったと振り返る。そんな中、芸能界に居場所を見つけて救われたという希良梨にとって、病気による活動休止は再び居場所を失う恐怖でもあったかもしれない。
なぜ台湾へ?国境を越えた新たな挑戦
治療を経た希良梨が選んだのは、海外での新しい人生だった。メキシコでラテン文化の温かさとメキシコ料理の美味しさに心を奪され、金髪に染めるなど新しい自分を見つけていった。
そして2010年頃、台湾で新たなスタートを切り、エンターテインメント業界で再び芸能活動を開始する。なぜ台湾だったのか。それは、日本での病気と闘った過去から離れ、新しい環境で自分らしく生きたいという強い願望があったからだろう。
台湾ではモデルやCM出演を中心に活躍し、2008年に台湾で芸能関係の仕事をする台湾人男性と結婚した。2度の流産を乗り越え、2009年に第一子(長男)を出産。母としての新しい人生が始まった。
2012年には子供が日本と台湾を自由に行き来できるよう、家族で日本に帰国し、2015年1月、大手ニュースサイトの独占インタビューで芸能活動再開を正式に発表し、1日に500万アクセスという異例の話題となった。台湾版Yahoo!の芸能面トップニュースとして取り上げられるなど、台湾での人気の高さが伺える。
GTOメンバーの窪塚洋介、池内博之、山崎裕太らもそれぞれ台湾と関わりがあり、「ゆかりのある仲間同士」として交流を続けていた。希良梨は台湾エンターテインメント業界への思い入れが強く、日本と台湾の文化芸術の架け橋となることを目指していた。
がんの再発とステージ3の宣告―再び試練の時へ
2023年初めからはメキシコ・メキシコシティに在住していたが、日本に帰ってきてから、たまたま婦人科で癌の検査をしたら引っかかり、精密検査を受けた結果、癌であることが判明した。20年前よりも良くない結果だったという。
2024年9月21日にがんを公表し、手術を受けることを報告した。しかし、手術の結果、思ったより癌の広がりが確認されたとして、12月13日に再手術を受けた。
そして2025年1月18日、さらに深刻な状況が明らかになる。検診の際に医師より手術で取った左の骨盤リンパ節に癌の転移が見つかり、抗がん剤治療を宣告されたのだ。希良梨はステージ3の癌になったことを報告し、「絶望感という崖にまたつき落とされた」と心境を吐露した。
抗がん剤治療との闘い―副作用と向き合う日々
2025年2月25日から入院し、翌26日から人生初の抗がん剤治療を開始した希良梨。治療の過程は想像を絶する苦痛との戦いだった。
抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け落ちてきたことをInstagramで報告し、「ショックで一瞬固まりました。髪が抜け落ちるのが止まらないのです」と綴った。その後、人生初の丸刈りにした姿も公開している。
第1クールを終えた希良梨は「もう正直、途中では1クール目で終わりでもいいかなぁって、辛くて思ってしまったり、自分を逆に追い込んでしまったりと、心が揺らいだ、複雑な夜も何度もありました」と、治療の過酷さを率直に語った。
6月29日、6クール目の抗がん剤治療を終え、退院したことを報告したが、治療後の副作用との戦いは続いた。「6月に抗がん剤治療を終えて退院してから、まだ抗がん剤治療の副作用で痺れ続けている」「毎日ずっと、こんな体と向き合わなきゃいけないから、正直、たまに嫌になる」と、治療後の苦しみを明かしている。
新しい人生の選択―芸能界引退と自分らしい生き方へ
2024年12月19日、前年に離婚していたことを公表した希良梨。しかし2025年1月1日には新たな恋人の存在を明かし、希良梨本人と同じ生年月日の日本人男性実業家で、血液型もイニシャルも同じという運命的な出会いがあったことを報告している。
そして2025年7月12日、芸能界引退を発表した。「日本に帰って来ると、自然と自分は芸能人という枠組みに入ってしまいます。癌治療手術を2回、そしてそれから転移をして、抗がん剤治療までもが始まってしまい、生と死を、考えさせられるようになり行くところまで行ったような気がしております」と引退の理由を説明している。
治療後は「無理をせず健康を意識して暮らしていく」とし、芸能人という社会的な役割に縛られず、生き方の主体を再び自分の手に取り戻したいという意志が伺える。
8月14日、CT検査の結果、がんの転移も再発もなかったと診断されたことを報告し、現在は回復への道を歩んでいる。抗がん剤治療を終えて約4カ月半が経ち、「だんだんと抗がん剤治療で何も無くなった髪の毛が伸びてきた」「体重も治療でリバウンドしてからは元の体型に戻ってきた」と近況を報告している。
希良梨が教えてくれたこと
GTO出演からブレイク、19歳での子宮頸がん発症、台湾での再出発、国際結婚と出産、そして再びのがん宣告とステージ3の診断、過酷な抗がん剤治療、そして芸能界引退——。
希良梨の人生は、まるでドラマのような波乱万丈の連続だった。「よくありがちな、可哀想な韓国ドラマの主人公か、何かのドラマか、何かの私は役を演じているんでしょうか?って、ツッコミたくなるほどの人生ストーリーです」と本人も語るほどだ。
しかし、彼女の姿から私たちが学ぶのは、どんな逆境に直面しても前を向き続ける強さだ。台湾という異国の地で新しい人生を切り開き、病気と闘いながらも自分らしさを失わず、最終的には「芸能人」という枠組みから自由になることを選んだ。
「メキシコから日本に帰ってきてから やっとやっと普通に生きれるんだ これからは、カッコつけずに たまにカッコつけたりして笑 ささやかな幸せを感じて生きていきたいな 心健やかに穏やかに」
この言葉には、長い闘病生活を経て、ようやく自分の人生を取り戻した安堵と希望が込められている。希良梨の物語は、まだ終わっていない。これからは芸能人ではなく、一人の人間として、自分らしい新しい人生を歩み始めるのだ。


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