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萩原裕介 | アウトローから年商40億円実業家へ、そしてブレイキングダウンで再燃した闘志

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ブレイキングダウン
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はじめに – 異色の経歴を持つカリスマファイター

朝倉未来がプロデュースする格闘技イベント「ブレイキングダウン」で、ひときわ異彩を放つ男がいる。萩原裕介、42歳。180cmのイケメンファイターでありながら、年商40億円を誇る実業家という二つの顔を持つ。不良時代を経て、アウトサイダーで名を馳せ、そして起業家として成功を収めた萩原の人生は、まさに波乱万丈のドラマだ。

不良時代 – 群馬のリアルアウトロー

1983年4月18日、群馬県に生まれた萩原裕介は、若き日にアウトローとして過ごした時期がある。本人も「祭りで暴れたり、行くとこまで行った。人殺しはしてないけどね」と振り返るほど、かなり危ない橋を渡っていた過去を持つ。「人に言えない悪さをしていた」と語る萩原は、まさに「群馬のリアルアウトロー」として地元で恐れられる存在だった。

しかし、そんな彼にも光明があった。前橋育英高校時代、萩原はボクシング部に所属。その才能は本物で、高校時代はボクシングでインターハイ出場を果たすという快挙を成し遂げている。

喧嘩の強さは単なる粗暴さではなく、確かな格闘技の技術に裏打ちされたものだった。

アウトサイダー時代 – 三福神の人柱力の誕生

2011年、27歳になった萩原は、元プロレスラー前田日明がプロデュースする総合格闘技大会「THE OUTSIDER」に参戦する。アウトサイダーは、不良の若者たちに更生の道を示すという理念を持つ大会だ。

萩原のデビュー戦は衝撃的だった。アウトサイダー常連の庵野隆馬を三角締めで失神させ、鮮烈な勝利を飾ったのだ。ボクシングの打撃技術に加え、総合格闘技の寝技まで習得していた萩原は、瞬く間にファンの注目を集めた。

アウトサイダー時代の戦績は10戦7勝2敗1分。「三福神の人柱力」というリングネームで呼ばれた萩原は、イケメン、強さ、そして経済力という三つの才能を持つファイターとして、カリスマ的存在となった。人気漫画「NARUTO」から取った「人柱力」という異名は、彼の特別な存在感を象徴していた。

起業への転身 – 八ッ場ダムとの出会い

格闘技から引退後、萩原の人生は大きく転換する。縁あって、群馬県の八ッ場ダム建設を手掛ける土木会社の社長を紹介され、その会社に入社することになった。

土木業界の経験はゼロ。しかし、人手不足から現場に入った萩原は、すぐに自分の適性を見出す。建設機械の運転免許を取得すると、難なく操ることができた。「自分は土木業界に向いている」と確信した萩原は、驚くべき決断をする。

修行や下積みをするのではなく、すぐに独立したのだ。紹介してくれた社長の専属下請けとして「萩原工業」を創業。2008年11月28日、わずか数年で法人化を実現し、萩原工業株式会社の代表取締役に就任した。

萩原工業株式会社 – 年商40億円企業への成長

萩原工業株式会社は、群馬県前橋市に本社を置き、東京都港区赤坂にも支社を構える。事業内容は多岐にわたる。

  • 土木業全般
  • 建築土木事業
  • 不動産関連
  • 太陽光発電関連
  • グランピング施設「Akatsuki village」の運営
  • イタリアンダイニングバーの経営

2015年時点で売上高17億円超を記録していた萩原工業は、その後も成長を続け、現在では年商40億円規模にまで拡大している。資本金4000万円からスタートした会社は、萩原の経営手腕により、群馬県を代表する企業の一つとなった。

成功の背景には、紹介してくれた社長からノウハウを学びながら、事業の枠にとらわれず異業種にも積極的に挑戦する姿勢があった。高級車のベントレーやランボルギーニを複数台所有するなど、セレブな実業家としての一面も持つ。

ブレイキングダウンでの復活 – 10年の眠りから覚めて

2022年10月に萩原は、格闘技の世界に電撃復帰する。きっかけは、朝倉未来との食事の際に言われた一言だった。「まだ、試合できるんじゃないですか」。この言葉に、萩原は「俺また戦えるのかな」と思い、ブレイキングダウン6への出場を決意した。

「BreakingDown vs THE OUTSIDER」の対抗戦として開催された大会で、萩原はアウトサイダー軍として参戦。オーディションでは、ジョリーから「1人だけ知らん」と挑発されるも、「失礼な奴だな、お前。その口の利き方できるの試合までだからな」と冷静に対応。その風格ある態度が話題となった。

初戦のジョリー戦は惜しくも敗れたものの、萩原の存在感は圧倒的だった。イケメン、実業家、そして格闘技のバックグラウンドという三拍子揃った萩原は、ブレイキングダウンの人気ファイターとなった。

ブレイキングダウンでの主な戦績

ブレイキングダウン7 では、朝倉海の弟子・信原空(勾配ニキ)と対戦。萩原のパンチが炸裂し、2度のダウンを奪う見事なKO勝利を収めた。信原は試合や試合後のインタビューの記憶が全くないほどの衝撃を受けており、萩原のパンチ力の強さを証明した。

試合後、萩原は信原に対して印象的な言葉を送った。「海ちゃん(朝倉海)にしっかりついていくこと、そして必ず夢を掴んでくれ」。この言葉は視聴者に感動を与え、萩原の人柄と魅力を改めて知らしめた。

ブレイキングダウン9 では、盟友・吉永啓之輔と共に、地区対抗戦「喧嘩最強決定戦」の北関東地区を担当。萩原工業の社員である細川一颯を推薦し、彼は見事に優勝を果たした。萩原はカメラに向かって「うちの社員」と笑いが止まらない様子で、経営者としての誇りもうかがえた。

ブレイキングダウン10 では、因縁の相手・瓜田純士と対戦。オーディション時から続いていた遺恨は深く、萩原が「おい、チンピラ! ガキの管理もできねぇのか」と激高したことで対戦が決定。試合では開始わずか17秒、萩原の右カウンターパンチが瓜田の顎を打ち抜き、衝撃の秒殺KO勝利を飾った。

ブレイキングダウン15 では、格闘技未経験の傾奇者と対戦。試合序盤に相手のパンチでダウンを喫するも、冷静さを取り戻した萩原は格闘技の基礎を活かして2ダウンを取り返し、逆転KO勝ちを収めた。

現在のブレイキングダウンでの戦績は3勝1敗。40代となった今も、衰えぬ強さとカリスマ性を見せ続けている。

萩原裕介の強さの秘密 – ヴィーガンとトレーニング

40代で格闘技に復帰し、若手ファイターと渡り合える萩原の強さには秘密がある。日々のトレーニングはもちろん、実は萩原はヴィーガンで肉を一切食べていない。この食生活により、体の調子が良くなり、健康的な体を維持できているという。

180cmの長身に割れた腹筋、そして衰えぬパンチ力。萩原の肉体は、40代とは思えない仕上がりを誇る。実業家として多忙な日々を送りながらも、格闘技への情熱を持ち続ける姿勢が、彼の強さを支えている。

なぜ実業家が格闘技に出場し続けるのか

年商40億円の会社を経営し、経済的に何不自由ない生活を送る萩原が、なぜブレイキングダウンに出場し続けるのか。それは、格闘技への純粋な愛と、挑戦し続ける精神にある。

「朝倉(未来)が言うように、僕も10年間眠ってたんですけど、吉永(啓之輔)くんとか戦ってるの見て、また戦いの場に戻ってきちゃった感じで。出てきたからには、昔みたいな喧嘩ファイトしたいと思います」というオーディションでの言葉が、その全てを物語る。

試合後のインタビューでは「僕たちの試合が何かに挑戦したいと思うきっかけになれば」と語っている。不良時代を経て、格闘技で這い上がり、実業家として成功した萩原の姿は、多くの人に勇気を与えている。

三福神の人柱力が示す生き様

萩原裕介という男は、一言では語り尽くせない魅力に溢れている。群馬のアウトローから始まり、アウトサイダーでカリスマとなり、実業家として大成功を収め、そして40代でブレイキングダウンに復帰した。

イケメン、強さ、経済力という「三福神」を持つ萩原は、現代の成功者像を体現している。しかし、彼の本当の魅力は、その生き様にある。どんな環境にあっても挑戦し続け、自分の道を切り開いてきた姿勢こそが、多くの人を惹きつける理由だ。

ブレイキングダウンという舞台で、萩原裕介は今日も戦い続ける。会社経営も、私生活も、そして格闘技も。全てにおいて妥協しない萩原の姿は、「三福神の人柱力」という異名にふさわしい、唯一無二の存在感を放ち続けている。


プロフィール

  • 名前:萩原裕介(はぎわら・ゆうすけ)
  • 生年月日:1983年4月18日
  • 年齢:41歳
  • 出身地:群馬県
  • 身長:180cm
  • 体重:73kg
  • 会社:萩原工業株式会社 代表取締役
  • アウトサイダー戦績:10戦7勝2敗1分
  • ブレイキングダウン戦績:3勝1敗
  • 異名:三福神の人柱力

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