正道会館を創設した男の野望
1980年に正道会館を創始し、館長を務める石井和義。愛媛県宇和島市出身の彼は、貧しい家庭で育ちながらも空手の道を究め、やがて日本の格闘技界に革命を起こす人物となった。
1993年4月にフジテレビのイベント「LIVE UFO」の一環でK-1の第1回大会「K-1 GRAND PRIX ’93」を開催。この大会が、後に日本列島を熱狂させる格闘技ブームの幕開けとなる。K-1は空手、キックボクシング、ムエタイなど、異なる格闘技のルールを統一し、世界中のヘビー級選手たちが真の最強を競う画期的な大会だった。
石井の凄さは、その行動力にあった。当時、いち空手家だった石井が、直接世界チャンピオンのところに回り、交渉を重ねた。1週間で世界一周旅行をするほど各地に飛び回り、片言で現地の言葉を使って説明したり、英語ができる人を探して手伝ってもらったりと、バタバタで交渉を進めたという。
伝説のドン・キング交渉エピソード
K-1が軌道に乗り始めた1998年8月、石井は格闘技界で最も大きな挑戦の一つに直面する。それが、ボクシング界の伝説的プロモーター、ドン・キングとの交渉だった。
ボクシングの世界的プロモーターとして知られるドン・キングと交渉し、”飼い殺し”になっていたジェロム・レ・バンナ(フランス)を取り戻した。バンナはK-1の看板選手の一人であり、その奪還は石井にとって重要な使命だった。
交渉を終えた石井は、達成感からラスベガスのバーで一人ビールを飲むことにした。タクシーに乗り、チップを200ドル(約2万9000円)くらい渡してお勧めのバーに連れていってもらった。しかし、その夜は石井の人生で最も危険な体験の一つとなる。
外で待っているタクシーに向かって一直線に走ると、後ろから「パン パン!」と破裂音。銃声だったかもしれないが、振り向く勇気はなく、走ってタクシーに飛び乗り「ゴー!」と叫んだ。後で聞くと、運転手が最後にそこに行ったのは半年前で、その間に店が変わっていたという。
改めてドン・キングとは付き合わない方がいいと思った。少し会っただけで、こんなに運が悪くなったからと石井は後に振り返っている。この危険な夜は、格闘技界の裏側で繰り広げられる権力闘争の一端を象徴するエピソードだった。
K-1黄金期と豪遊生活
K-1は急速に成長を遂げた。K-1のテレビ放送は1996年に日曜午後枠から週末プライムタイムに昇格し、日本テレビ、TBSと民放各局で放送開始。そして2002年12月7日にK-1ワールドグランプリ2002決勝戦を東京ドームで開催。5万人のチケット完売、イベント総売上は約10億円。東京ドーム史上、格闘技では最大規模のイベントとなった。
成功とともに、石井の生活も派手になっていった。石井の誕生日に銀座で、いろんな人が来てシャンパンを抜いていき、ドンペリ200本を一晩で開けた。ドンペリの白が1本10万円として、一晩で約2000万円は使ったという。
さらに石井は銀座に週3回ほど通っており、「(財布に)200万ぐらい入れて行って、帰ってきたら30万くらいしか残っていなかった」と明かしている。まさに、K-1の成功がもたらした絢爛豪華な生活だった。
脱税事件の発覚と転落
しかし、栄光の裏で暗い影が忍び寄っていた。2001年、K-1を企画・運営する会社「ケイ・ワン」の脱税事件が発覚。ある朝起きると当時住んでいたホテルの部屋の前に7人のマルサ(国税局員)が立っており、脱税容疑の捜査で来たという。
石井和義が経営する「ケイ・ワン」が興行等で得た2000年9月期までの4年間に法人所得である計約9億円を石井の知人であった佐藤猛と共謀し、佐藤が経営する企画会社に外注費を支払ったように見せかける仮装隠蔽行為等を行い、ケイ・ワンの利益を圧縮して法人税3億円を免れた。
さらに隠し所得のうち約4億3千万円を石井が選手への裏ファイトマネーの支払いや高級車の購入や生活費などに流用していたという。選手への支払いも含まれていたとはいえ、組織的な脱税は重大な犯罪だった。
2002年12月にK-1の興行に関わる脱税事件が発覚したため、K-1の運営を谷川貞治率いるFEGに託し、全役職を辞任。2006年には同事件で懲役1年10か月の実刑判決が確定。2007年に静岡刑務所に収監され服役し、2008年に出所した。
K-1の生みの親は、自らが作り上げた帝国から追放される形となった。華やかな舞台から一転、刑務所の独房へ。それは、格闘技界の光と影を体現する劇的な転落だった。
再起と現在
出所後、石井は断酒し、仏教に帰依するなど生活を改めた。2016年9月に正道会館へ復帰し、2017年9月に空手の祭典「KARATE ALL JAPAN」を創設。2024年1月にK-1アドバイザーに就任し、21年ぶりにK-1に復帰した。
天国と地獄の両方を経験した石井和義。ドン・キングとの命がけの交渉、東京ドームを満員にした栄光、そして脱税による失墜。その波乱万丈の人生は、成功の代償と再起の物語として、今も格闘技ファンの記憶に刻まれている。
石井が創り上げたK-1というレガシーは、彼自身の転落を経てもなお、日本の格闘技文化に大きな影響を与え続けている。それは、一人の空手家が世界を相手に挑み続けた、情熱と野望の結晶なのである。


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