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朝倉未来の壮絶な過去と人生の転機 – ヤクザとの対峙、少年院、そして格闘家への道

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格闘技
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格闘家でありYouTuberとしても活躍する朝倉未来。彼の「路上の伝説」という異名は、華やかなリングの上だけでなく、その壮絶な青春時代にも由来する。拳銃を突きつけられた経験、少年院での日々、そして命がけで生きた10代の記憶。

今回は朝倉未来の知られざる過去に迫る。

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ヤクザの事務所に単身乗り込み、拳銃を突きつけられた少年

朝倉未来の最も衝撃的なエピソードの一つが、10代の頃にヤクザから拳銃を突きつけられた体験だ。この出来事は、彼の「死を恐れないメンタル」の原点とも言える。

当時、暴走族として活動していた朝倉は、仲間と走行中に「アウトレイジ的な人物」に追いかけられ、駐車場で止められた。仲間たちが謝罪する中、朝倉がタバコを吸っていたところ、ヘルメットで頭を思い切り殴られたという。

その場では「すいません」と謝ったものの、家に帰ると怒りが込み上げてきた朝倉は、単身で相手の事務所まで乗り込んだ。そこで待っていたのは、拳銃を突きつけられるという究極の恐怖体験だった。

しかし、当時の朝倉は日常的に「死んでもいい」と思っており、拳銃の脅しにも全く動じなかったという。この姿勢に相手が面倒くさがり、結果的に解放されて無事に帰還できた。この経験について朝倉は、自身が戦う上で死を覚悟しているメンタルに繋がっていると振り返っている。

無免許運転で少年院へ – 「箔がつく」と捉えた当時の価値観

中学時代から不良の先輩たちを相手にケンカを繰り返していた朝倉は、やがて地元警察からマークされる存在となった。16歳の時、無免許運転で逮捕され、愛知県の瀬戸少年院に収容される。18歳までの1年4カ月間、彼はそこで過ごすことになる。

興味深いのは、当時の朝倉の受け止め方だ。「極道を目指していたので、捕まることは名誉なことだった。『箔がつくな』みたいな」とポジティブに考えていたという。逮捕されていなければ「上半身に刺青を入れる予定だった」「極道で極めようと思っていた」と後に告白している。

反省をアピールすれば保護観察で少年院行きを免れることもできたが、朝倉はあえて少年院を選んだ。自由を奪われることさえも、当時の彼にとっては不良としてのステータスだったのだ。

少年院での心境の変化 – 母親の面会が人生を変えた

しかし、少年院での生活は朝倉の価値観を大きく変えることになる。最も大きなきっかけとなったのが、毎月欠かさず面会に来てくれた母親の存在だった。

遠方からわざわざ会いに来る母親の姿を目の当たりにして、朝倉は初めて自分の行動が大切な人たちを悲しませていたことに気づく。「なんか悪いな…」という感情が芽生え、自由を求めて暴れまわっていたつもりが、実際は周囲を傷つけていたという現実に向き合った。

特に弟の海は不良ではなかったにもかかわらず、兄がいなくなったことで標的にされ、訳の分からないトラブルに巻き込まれていた。少年院の窓から外を眺めながら友達や家族のことを考える日々の中で、朝倉の心は徐々に変化していった。

そして運命の瞬間が訪れる。面会に来た母親から「岡くんがアウトサイダーに出る」という話を聞いたのだ。当時はアウトサイダーについて全く知らなかった朝倉だが、この情報が彼の人生を180度変えることになる。

「格闘技の方がみんな喜ぶし、褒められることが多い」という母親の言葉が、朝倉の進路を決定づけた。極道を目指していた少年の夢は、格闘家になるという新たな目標に変わった。

少年院出所後 – 格闘家への道を歩み始める

18歳で少年院を出所した朝倉は、その足で親友の岡くんの家に向かった。そしてアウトサイダーの試合を実際に観戦し、身体にタトゥーを彫り込んだ不良たちがリング上で決闘する姿を目にする。

「喧嘩の延長のような戦いが繰り広げられていたが、そこで戦っている不良たちは輝いていた。でも、そこの誰よりも俺の方が強い」と確信した朝倉は、その場で岡くんに写真を撮ってもらい、履歴書を作成してTHE OUTSIDERに応募した。

仕事の合間を縫って禅道会豊橋道場で本格的に格闘技の練習を始め、アウトサイダーでの連戦連勝を経て2階級でチャンピオンに。その後、韓国のROAD FC、DEEPのプロリングを経て、現在は日本最大の格闘技団体RIZINの看板選手として活躍している。

10代の日々 – 常に危険と隣り合わせの生活

朝倉未来は10代の頃、6回も死にかけた経験があると公言している。50人の暴走族に囲まれて失明寸前の大ケガを負ったこと、バイク事故、そして拳銃を突きつけられた経験など、命がけの日々を送っていた。

中学に入ってすぐ、不良の先輩に目をつけられ呼び出されたが、朝倉が返り討ちにしたことでケンカ三昧の日々が始まった。「先輩だからってなんで敬語を使わなくちゃいけないの?」という疑問を持ち、相手が先輩であろうと関係なく対峙していた。

地元で最強のヤンキーとして恐れられ、他校のヤンキーからも目をつけられ、連日のようにケンカを繰り返す生活。警察からもマークされ、「白バイ隊員全国2位の奴がわざわざ派遣されてきた」というほど注目されていた。

こうした常に危険と隣り合わせの生活を送っていた10代の朝倉にとって、動きやすい服装は必然だった。いつ何が起こるか分からない状況では、機動性の高いジャージなどの服装が重宝された。実際、多くのストリートファイターがジャージを好む理由は、その動きやすさと機能性にある。

路上の伝説から国民的格闘家へ

現在の朝倉未来は、格闘家としてだけでなくYouTuberとしても大成功を収め、自身のアパレルブランド「MATIN AVENIR」を立ち上げるなど、マルチな才能を発揮している。フランス語で「朝」を意味する「MATIN」と「未来・将来」を意味する「AVENIR」を組み合わせたブランド名には、「素晴らしい未来を目指し、全ての始まりの朝を迎える」という想いが込められている。

BreakingDownの設立、芸能事務所「MAPROMOTIONS」の代表取締役としての活動など、格闘技界の枠を超えた存在となった朝倉未来。彼の成功の裏には、壮絶な過去と、少年院で気づいた「人を喜ばせることの価値」がある。

朝倉は現在、自身が過ごした少年院を訪れ、少年たちに未来へのエールを込めたメッセージを伝える活動も行っている。「根はいい子が多いことを知っているので、手助けになれば」という思いから、普通の人が言うよりも自分だからこそ伝わる話があると信じて行動している。

過去を力に変えた男の物語

朝倉未来の物語は、不良からの更生物語ではない。死を覚悟するほどの極限状態を経験し、自由を奪われた少年院生活の中で本当の自由の意味を知り、大切な人を悲しませていた自分に気づいた。そして、新たな道を見つけ、そこで頂点を目指し続ける。

拳銃を突きつけられても動じなかったメンタルは、今ではリングの上で冷静に戦う精神力として活かされている。少年院での経験は、人生の意味を考え直す貴重な時間となった。常に危険と隣り合わせだった10代の日々は、どんな困難にも立ち向かう強さを育んだ。

「路上の伝説」という異名は、ただケンカが強かっただけではなく、過酷な環境の中で生き抜き、そこから這い上がってきた人生そのものを表している。現在の朝倉未来の活躍は、壮絶な過去を乗り越え、それを力に変えた一人の男の勝利の物語なのである。


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