はじめに:「誠」の旗を下ろした男たちの第二の人生
幕末の京都で恐れられた「壬生の狼」新選組。鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗北し、江戸幕府が終焉を迎えたとき、隊士たちはどのような運命をたどったのでしょうか。多くの人が知るのは土方歳三の戦死や近藤勇の処刑までですが、実は生き延びた隊士たちのその後には、驚くべき人生の転換がありました。
新選組解散後の隊士たちの知られざるエピソードと、彼らが明治という新時代にどう適応したのかを詳しく解説します。
新選組の終焉―鳥羽・伏見から函館まで
組織崩壊への道のり
1868年(慶応4年)1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍は新政府軍に敗北します。この敗戦を機に新選組は事実上の崩壊過程に入りました。
局長・近藤勇は流山で新政府軍に捕縛され、1868年4月25日に板橋で斬首。副長・土方歳三は旧幕府軍とともに北へ転戦し、1869年5月11日、函館の五稜郭で戦死します。
しかし、約300名いた隊士の多くは、この過程で離脱または生き延びました。彼らの「その後」こそが、本当の物語の始まりなのです。
斎藤一―新政府の警察官として第二の人生
会津での最後の戦い
三番隊組長だった斎藤一(後の藤田五郎)は、会津若松城に籠城して新政府軍と戦いました。会津藩降伏後は捕虜となりましたが、のちに赦免されます。
警視庁の剣術師範として
明治維新後、斎藤は藤田五郎と改名し、なんと新政府の警視庁に奉職します。かつて新選組として倒幕派と戦った男が、明治政府の警察官になるという皮肉な展開です。
彼は警視庁で剣術師範を務め、西南戦争にも警視隊として出征しました。その後は東京高等師範学校(現・筑波大学)の守衛となり、1915年まで生き、72歳で天寿を全うしています。
斎藤の人生は、新選組隊士の中で最も「平穏な明治」を送った一人といえるでしょう。
永倉新八―剣術道場を開いて後進を育成
函館戦争からの離脱
二番隊組長だった永倉新八は、松前藩への攻撃後に土方歳三と意見が対立し、函館戦争の途中で戦線を離脱します。
剣術家としての第二の人生
明治維新後、永倉は松前藩士・杉村義衛と名乗り、のちに樺戸集治監(現在の北海道月形町にあった監獄)の剣術師範兼撃剣世話係として働きました。
その後、小樽で「杉村道場」を開設し、剣術を教えて生計を立てます。晩年は新選組の歴史を後世に伝えることに力を注ぎ、多くの証言を残しました。
永倉は1915年に77歳で死去。彼の残した証言は、新選組研究の貴重な史料となっています。
原田左之助―上野戦争で散る
彰義隊に加わった十番隊組長・原田左之助は、1868年7月の上野戦争で銃弾を受け、翌日に死亡しました。享年34歳という早すぎる死でした。
新選組きっての豪傑として知られた原田でしたが、明治の世を見ることなく生涯を終えています。
島田魁―西本願寺の守衛として静かな余生
巨漢隊士の意外な転身
身長180センチを超える巨漢として知られた島田魁は、函館戦争まで戦い抜いた後、新政府に降伏しました。
赦免後は故郷の美濃に戻りましたが、のちに京都へ移住。なんと、かつて新選組が屯所として使用した西本願寺の守衛として働くことになります。
新選組の記憶を守る
島田は晩年まで西本願寺に勤め、1900年に71歳で死去しました。彼もまた、新選組時代の記録を日記として残し、後世の研究に大きく貢献しています。
相馬主計―医師として人命を救う道へ
新選組の武術師範だった相馬主計(そうまかずえ)は、函館戦争後に捕虜となりましたが、赦免後は意外な道を選びます。
彼は医学を学び、医師として開業しました。かつては剣で人を斬った男が、今度は医術で人を救う―その人生の転換は象徴的です。
中島登―実業家として成功を収める
新選組の監察を務めた中島登は、維新後に実業家に転身します。
彼は養蚕業や製糸業に携わり、実業界で成功を収めました。1902年に62歳で死去するまで、堅実な実業家としての人生を送っています。
生き残った隊士たちの共通点
時代に適応する柔軟性
新選組の生き残りたちに共通するのは、激変する時代に適応する柔軟性でした。剣の時代が終わり、刀が廃刀令で禁じられた明治時代において、彼らは過去にしがみつくことなく新しい職を見つけました。
- 警察官・守衛 – 斎藤一、島田魁
- 剣術師範 – 永倉新八、斎藤一
- 医師 – 相馬主計
- 実業家 – 中島登
記憶の継承者として
興味深いことに、長く生きた隊士たちの多くが、新選組の記録を残すことに努めました。永倉新八の証言、島田魁の日記などは、現代の新選組研究に欠かせない史料となっています。
彼らは自分たちの青春時代を、決して美化することも恥じることもなく、淡々と後世に伝えようとしました。
「誠」を胸に新時代を生きた男たち
新選組の隊士たちは、江戸幕府の終焉とともに「壬生の狼」としての生を終えました。しかし、多くの隊士が明治という新時代を力強く生き抜きました。
彼らは警察官になり、剣術師範になり、医師になり、実業家になりました。かつての敵であった明治政府のもとで働くことさえ厭わず、時代の変化を受け入れたのです。
新選組の「誠」の精神は、戦場での忠義だけでなく、どんな時代にも真摯に生きる姿勢だったのかもしれません。浅葱色の羽織を脱いだ後も、彼らは各々の人生を誠実に全うしました。
その姿は、現代を生きる私たちにも、時代の変化に柔軟に対応しながら、自分の信念を持ち続けることの大切さを教えてくれているのではないでしょうか。


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