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竹之内教博|貧困から270億円へ―「りらくる」創業者の波乱万丈な成功物語

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裕福でない実家が育んだ「お金持ちになりたい」という野望

1977年12月18日、大阪府で生まれた竹之内教博氏は、倹約家の母親の影響で、幼少期をお下がりの服で過ごしていた。実家は決して裕福ではなく、小学生の卒業文集には「社長になりたい」と書き込むほど、幼い頃から明確な野望を持っていた。

母親の徹底した節約は、実は子どもの教育資金を貯めるためだったことを後に知った竹之内氏。小学生の高学年になると私立中学への進学を希望し、半年間地元で一番評判の良い塾に通った。しかし、最初の受験では3校すべて不合格。それでも諦めず、二次募集で再チャレンジし、ようやく合格を掴み取った。

高校時代には、コンビニ、酒屋、テレアポなど10種類のアルバイトを経験し、さまざまな仕事を通じて経営者や大人と話す機会が増え、コミュニケーション能力を磨いた。この時期の経験が、後の経営者としての素地を形成することになる。

大学4か月で中退、美容師という予想外の道へ

高校卒業後、大学に進学したものの、教わる内容が経営に役立つとは思えず、わずか4か月で中退。周囲からは驚かれたが、竹之内氏の判断は明確だった。「社長になるための勉強」がここにはないと感じたのだ。

その後、手に職をつけたほうがいいと考え、大阪堺市の美容室で勤務を始めた。しかし美容師という職業を選んだのは、特別な情熱があったわけではなかった。アシスタント時代も「経営者になる」つもりで仕事をしており、指導してもらいながら「自分だったらこう教えるな」とシミュレーションを続けていた。

この姿勢は周囲からやっかみを買い、生意気なアシスタントと見られることもあった。だが、わずか1年半で店長に昇格。24歳の時には、5店舗の統括ディレクターとして複数の美容室を束ねる立場になった。さらに美容室のコンサルタントとして、数十社の経営改善に携わる経験を積んでいった。

離婚と貧困―シングルファザーとして娘2人を育てた苦難の日々

竹之内氏は10代で最初の結婚をし、2人の娘に恵まれた。しかし、美容師時代は貧乏だったと本人が語っている通り、経済的には厳しい状況だった。

さらに試練が襲う。前妻は2人目の子どもを産む前から育児放棄のようになっており、2人目を産んだ後、子どもを置いて突然姿を消してしまった。予期せぬ形でシングルファザーとなった竹之内氏は、2人の幼い娘を抱えながら、美容師として働き続けなければならなかった。

インスタグラムの動画で「20歳には結婚していて、1回失敗。またすぐに結婚した」と語っている通り、この時期は人生で最も困難な時期だった。しかし、竹之内氏は前妻を責めることなく、離婚後も冷静に対応したという。この経験が、彼の人間的な成長と、後の家族を大切にする姿勢につながっていく。

25歳での再婚―葉月さんとの出会いが人生を変えた

25歳頃、竹之内氏は美容師をしていた時に、他の店舗で働いていた葉月さんと出会い、結婚した。葉月さんは竹之内氏より4歳年下で、前妻との間の2人の娘を含めて家族として受け入れてくれた。その後、葉月さんとの間にも2人の娘が生まれ、竹之内氏には全員女の子の4人の娘がいる。

葉月さんの支えがあったからこそ、竹之内氏は次のステップに進むことができた。彼女は非常に倹約家で堅実な性格で、竹之内氏が社長になった後も贅沢をするのではなく、家族との時間を大切にする価値観を共有している。

31歳、貧困からの脱出―「りらくる」のオープン

30代になった時、20代で学んだことの総決算として「りらくる」を創業した。2009年の31歳の時、自身がよくリラクゼーションサロンを利用していたという理由から『りらく(現りらくる)』をオープンした。

起業の背景には、美容師時代に培った店舗運営のノウハウと、リラクゼーション業界の可能性を見出していたことがある。「お客が求めている技術」と「自分たちが極めたいと思ってる技術」には乖離があり、高い技術を求めていないことがほとんど。そこを割り切って素人に教えるカリキュラムを組めるかが重要という、独自のビジネスモデルを構築した。

竹之内氏はモデルとなったリラクゼーションサロンを徹底的にリサーチし、「りらくる」でも実践した。いわゆるTTP(徹底的にパクる)である。この戦略は、ギャンブルを嫌う竹之内氏らしい、確実に成功を掴むための手法だった。

驚異的な店舗展開スピード―1号店の成功を待たずに拡大

多くの起業家が1号店の成功を確認してから次の展開を考える中、竹之内氏は「りらくる」を起業した時点でチェーン展開を志しており、1号店の成功を待たずに、どんどんと新店舗を進出させていった。

当初は「りらく」という店名で4年で250店舗まで広げた。その後、屋号を「りらくる」に変更し、さらに加速度的に展開。創業から7年で直営600店舗まで拡大という、リラクゼーション業界では前例のないスピードで成長を遂げた。

この間、ファンドに株式を売却したり、買い戻したりと紆余曲折があったが、竹之内氏は決してブレることなく、店舗展開を推し進めた。すべては「8割でいい」という割り切りと、徹底的なマニュアル化、そして素人でも短期間で技術を習得できる教育システムがあったからこそ実現できたビジネスモデルだった。

270億円の衝撃―40代前半での事業売却

最終的に600店舗を超えた「りらくる」を英ファンドのCVCキャピタルパートナーズに売却した。売ったのは株式の90%で、2度にわたって英大手投資ファンドに90%の株を約270億円で売却した。

「りらくる」を270億円で売却したが、資産として手元に残ったのは100億円ほどだった。生きるのに困らないお金として10億は残し、残りは投資やビジネスに使っている。40代前半にして、大きな成功を手にした竹之内氏だったが、ここで満足することはなかった。

「りらくる」を売却したあと、講演会の依頼などがたくさん来るようになったが断っていた。「りらくる」という1事業の成功だけでは、自分のノウハウが本当に正しいのかわからなかったからだという。この謙虚さと探究心が、竹之内氏の真骨頂だった。

2025年現在の事業展開―20以上の事業を成功に導くプロデューサー

売却後、2、3年働かない時期があり、グアムやハワイへ行って買い物したり、ゴルフをしたりして暮らしたが、すべてに飽きてきた。「僕は、誰の役にも立っていない」と思うようになり、雇われ社長になった。

全天候型室内遊園地「ファンタジーキッズリゾート」の社長になってからは、利益を一億円も増やし、自分のやり方はどこでも通用すると自信を持った。現在は同社の代表取締役会長を務めている。

いま所有する20事業のうち、10事業はゼロから立ち上げ、10事業はM&Aで獲得した。現在は、タピオカ、コッペパン、高級食パンなどの飲食店経営、店舗マニュアルをクラウド上で管理できるIT・通信関連事業、室内遊園地の運営、化粧品・健康食品のEC販売事業、M&A・事業承継事業、有料職業紹介事業、大阪ミナミのクラブ運営など10以上のビジネスを立ち上げている。

韓国では食パン専門店40店舗、セルフ脱毛25店舗、その他飲食事業など、20以上の事業を手掛けている。また、これらの事業の複数を売却・買収し、さらなる拡大を続けている。

さらに、現在は、ユダヤの教育業にも力を入れている。「ユダヤ式竹之内塾」を立ち上げ、自身の経営ノウハウを次世代に伝える活動も展開している。

現在、起こした事業のほとんどが成功したので、自分のノウハウを多くの人に共有したいと思っている。そのため、YouTubeや講演、出版などで積極的に発信するようになった。

竹之内流成功の秘訣―「8割主義」と「TTP(徹底的にパクる)」

竹之内氏の成功を支えているのは、独自の経営哲学だ。「何ごとも、100を目指すのではなく、8割でいい」という基本的な考え方を持っている。

「TTPは当たり前なんです。事業をされるとき、ギャンブル的なことをされる方が多いですが、僕はギャンブルは嫌いです」と語る竹之内氏。すでに成功しているビジネスモデルを徹底的に研究し、それを自分の事業に応用することで、リスクを最小化しながら成功確率を高めている。

「ノウハウを伝えているのではなく、『考え方』を伝えています。どんな事業でも考え方が変わると儲かる考え方でずっといられます」。この言葉に、竹之内氏の経営哲学の本質が凝縮されている。

家族を大切にする経営者―過去の苦労を糧に

現在の竹之内氏は、SNSを見ると、奥さん思い、お子さんに優しいことがうかがえる。仕事にとてもストイックな方で、食事と睡眠以外の時間はほぼ仕事をしているが、家族との時間も大切にしており、家族に話しかけられた時に「待って」と言わないように気にしている。

シングルファザーとして苦労した経験、そして葉月さんとの再婚を経て、家族の大切さを誰よりも理解している竹之内氏。貧しかった過去、離婚の苦しみ、子育ての大変さを乗り越えたからこそ、今の成功がある。

無名の男が270億円を手に入れるまで

竹之内教博氏の人生は、まさに波乱万丈だった。裕福でない家庭に育ち、大学を4か月で中退し、美容師という予想外の道を歩み、10代での離婚と貧困、2人の娘を抱えてのシングルファザー生活。そこから25歳での再婚、31歳での起業、そして40代前半での270億円の事業売却。

現在も20以上の事業を成功に導き、YouTubeや講演活動を通じて多くの人に影響を与え続けている。竹之内氏の成功の秘訣は、決して特別な才能ではなく、「8割主義」と「TTP」という明確な戦略、そして何よりも諦めない心と家族への愛情だった。

「りらくる」創業者・竹之内教博氏の人生は、どんな逆境からでも成功を掴むことができることを証明している。。

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