はじめに
兵庫県が誇る高度医療の拠点、県立尼崎総合医療センターが2024年度に約23億円の経常赤字を計上する見通しとなった。
730床、48診療科、医師300名以上を擁するこの巨大医療機関の苦境は、病院だけの問題ではない。むしろ、日本の医療制度そのものが直面する深刻な構造問題を象徴している。
尼崎総合医療センターとは
2015年7月に県立尼崎病院と県立塚口病院を統合して誕生した同センターは、阪神地域約175万人の命を守る中核病院。24時間365日対応のER型救命救急センター、全国初の小児ドクターカー運用、最新のハイブリッド手術室など、最先端の医療設備を備えている。まさに「断らない救急」を実践する地域医療の砦である。
しかし、その高度な医療体制を維持するための代償は大きい。
赤字の本質的な原因
1. 診療報酬と実態コストの乖離
病院の収入源である診療報酬は国が定める公定価格だ。しかし2024年度の改定率はわずか+0.88%。一方で、物価上昇率は年3%を超える状況が続いている。
食材費は1.5倍から2倍に高騰し、医療機器や医薬品も円安の影響で急騰した。診療報酬の微増では、この激しいコスト増を吸収できない。つまり「働けば働くほど赤字が膨らむ」という逆説的な状況に陥っているのだ。
2. 人件費の急増と人手不足
医療は究極の労働集約型産業である。人事院勧告に基づく給与増、賃上げ機運の高まりにより、人件費は前年比5%増加した。大手企業が初任給を倍増させる中、医療機関も競争力のある待遇を提供しなければ人材を確保できない。
尼崎総合医療センターでは、リハビリ療法士の不足により必要なリハビリの7割しか実施できていない。救命救急センターを維持するには24時間体制の医師・看護師配置が必須だが、その人件費負担は莫大だ。
3. 新病院建設の重い負担
統合により新築された同センターの建設費は数百億円規模に及ぶ。この償還が数十年にわたり続く。兵庫県全体では2000億円を超える病院整備費の返済が経営を圧迫している。
建築資材の高騰により、国の補助基準(平米59万円)に対し、実際の建築単価は90万円から100万円に達する。差額は自己負担となり、経営をさらに苦しめる。
4. 構造的な経営課題
同センターでは、本来担うべき重症患者が待機する一方、軽症の救急患者が入院するという「逆転現象」が起きている。診療科ごとの病床配分が患者動向と合致していないためだ。
高度専門医療を提供する大規模病院ほど、複雑なオペレーションと高額な設備投資が必要だが、診療報酬はそのコストを十分にカバーしない。委託費も人件費高騰により膨張している。
兵庫県全体の危機的状況
尼崎総合医療センターの苦境は氷山の一角だ。兵庫県立病院全10施設が2023年度、2024年度と2年連続で赤字となる見通しだ。
2024年度の赤字総額は129億円。これは過去最悪だった2006年度の62億円を大幅に上回る。赤字補填に充ててきた内部留保資金は枯渇し、2024年度末には約68億円のマイナスに転落する。
もはや金融機関からの一時借入でしのぐしかない状態だ。このままでは2025年度にも資金不足比率が10%を超え、企業債発行に国の許可が必要な「実質的な経営破綻」状態に陥る懸念がある。
全国的な病院経営の悪化
この問題は兵庫県だけではない。総務省の調査によると、2024年度の公立病院全体で経常赤字は3952億円と過去最大を記録した。赤字病院の割合も83%に達している。
東京都立病院機構も238億円の赤字、全国の自治体病院の約9割が経常赤字という異常事態だ。新型コロナ禍前の患者数が戻らず、補助金も減少する中で、費用増だけが進行している。
今後の展望と課題
兵庫県は外部専門家による経営対策委員会を設置し、抜本的な対策を検討中だ。しかし、個々の病院の経営努力だけでは限界がある。
必要なのは、物価・賃金上昇に対応できる診療報酬体系への改革、地方交付税措置の拡充、緊急的な財政支援の実施だ。また、西宮総合医療センターの開院など新規整備が控える中、建築単価の大幅引き上げも急務である。
まとめ
尼崎総合医療センターの23億円赤字は、経営不振ではない。それは「国民皆保険制度」と「質の高い医療提供」の両立が困難になりつつあることを示す警鐘だ。
診療報酬という公定価格で収入が固定される一方、コストは市場原理で上昇する。この構造的矛盾を放置すれば、地域医療の崩壊は避けられない。24時間365日、重症患者を受け入れ続ける使命を果たす病院が、その使命ゆえに経営危機に陥る──この皮肉な現実に、私たちは真剣に向き合う必要がある。
高度医療を担う拠点病院の存続は、地域住民の命に直結する問題だ。尼崎総合医療センターの苦境は、日本の医療の未来を問いかけている。


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