極限の飢餓に苦しんだ幼少期
「平成のKOキング」として日本ボクシング界に名を刻んだ坂本博之氏。その拳に込められた強さの根底には、想像を絶する幼少期の苦難があった。
1970年12月30日、福岡県田川郡川崎町に生まれた坂本氏は、物心つく前に両親が離婚し、親戚の家に預けられた。そこで始まったのは、子どもとは思えない過酷な生活だった。
食事は学校の給食のみという極限状態に置かれ、休みの日には弟と一緒にザリガニを捕まえて食べたこともあったという。生きるために、幼い兄弟は必死で食べ物を探し求める日々を送っていた。
「トイレも使えない」──日常化した虐待
親戚の家での生活は、飢餓だけでなくあらゆる形の虐待にさらされていた。トイレを使わせてもらえないなどの虐待を受け、人間としての尊厳さえ奪われる環境だった。
食事を要求すると暴力を振るわれる日常が続き、弟は空腹から倒れ、坂本氏自身は拒食症になってしまった。成長期の子どもにとって必要不可欠な栄養が得られず、心身ともに限界を迎えていた。
弟の失神が転機に──児童養護施設への保護
転機が訪れたのは、坂本氏が小学2年生の冬だった。登校途中に弟の直樹が体調不良で失神し、ようやく異変に気づいた学校によって2人は保護され、児童養護施設「和白青松園」に連れていかれた。
それまで乳児院や児童養護施設を転々としていた坂本兄弟にとって、この保護は文字通り命を救われた瞬間だった。
初めて知った「人間らしい暮らし」
施設では1日3度の食事とふかふかの布団、そして仲間がいた。初めて食事に出された豚汁の温かさは、今も脳裏に焼き付いていると坂本氏は振り返る。
人生で初めて空腹を気にせず眠れる夜。温かい食事が当たり前にある生活。幼い坂本氏にとって、それは奇跡のような日々だった。
「僕たちは、生まれて初めて人間らしく暮らすことができた。命を繋ぎ止めてくれたのが施設でした」──坂本氏のこの言葉には、児童養護施設への深い感謝の念が込められている。
テレビで見たボクシングが人生を変えた
児童養護施設に入ってからしばらくしたある日、テレビでボクシングの試合を見たことがきっかけで、プロボクサーを志すようになる。リング上で戦う選手の姿に、坂本少年は自分の未来を重ね合わせた。
虐待を受けた子どもたちの多くが抱える「誰も信じられない」という深い心の傷。坂本氏も例外ではなかった。しかしボクシングとの出会いが、彼に夢と希望を与えた。
過酷な減量も「飢餓に比べれば」
プロボクサーとして活躍した坂本氏は、現役時代は毎回10kg以上の減量に苦しんだが、「計量をパスすれば、好きなだけ食べられる。幼少期時代の飢餓に比べれば遥かにマシだった」と語っている。
給食1食だけで生き延びた日々。ザリガニを捕まえて飢えをしのいだ記憶。それらの経験が、プロボクサーとしての過酷な減量をも乗り越える原動力となった。
恩返しの活動「こころの青空基金」
2000年7月1日、全国の養護施設にいる子供達を支援するために「こころの青空基金」を発足させた坂本氏。ボクシングセッションを通して子ども達と直接交流し、声を聞き、気持ちを高め合うことで、こころの根底にある思いを吐き出させ、大人が受け止める「こころのケア」をしていく活動を続けている。
自身を救ってくれた児童養護施設への恩返し。そして同じような境遇の子どもたちに、希望を届けたいという強い思い。坂本氏の活動は、虐待のトラウマを乗り越え、人を信じることを学んだ証でもある。
「熱を持って接すれば、熱を持って返ってくる」
現在、東京・西日暮里で「SRSボクシングジム」を運営する坂本氏は、児童養護施設の卒園生や少年院出身者も積極的に受け入れ、彼らの自立支援を行っている。
虐待を受けた子どもたちが、再び人を信じられるようになるまで。時間はかかるかもしれない。しかし「愛は”待ち”なんです」と坂本氏は言う。5年でも10年でも、変わる瞬間を辛抱強く待つ。その姿勢こそが、坂本氏が児童養護施設で学んだ「人からの愛情」の実践なのだろう。
給食だけが命綱だった少年は、今、同じような境遇の子どもたちの希望となっている。壮絶な過去を乗り越えた坂本博之氏の生き様は、虐待という社会問題に向き合うすべての人々に、深い示唆を与えてくれる。


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