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山本”KID”徳郁のファイトマネーと生き方|豚キムチ愛・エンセン井上との師弟関係をシラベテミタ!

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格闘技
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2018年9月18日、「神の子」と呼ばれた伝説の格闘家、山本”KID”徳郁が41歳という若さでこの世を去りました。圧倒的な身体能力とカリスマ性で格闘技界を牽引したKIDの生き様は、今もなお多くの人々の心に刻まれています。

彼のファイトマネー事情、意外な食へのこだわり、そして師匠エンセン井上との複雑な関係について深掘りしていきます。

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山本”KID”徳郁とは──神の子の輝かしい経歴

1977年3月15日、神奈川県川崎市に生まれた山本徳郁は、ミュンヘンオリンピック・レスリング日本代表の父を持つサラブレッドでした。姉の山本美憂、妹の聖子も世界選手権を制覇するレスリング一家に育ち、格闘技のDNAは生まれながらにして彼の中に刻まれていました。

大学時代はレスリングで活躍し、その後2001年にプロ総合格闘家としてデビュー。2005年にはHERO’Sミドル級トーナメントを制覇し、日本格闘技界のカリスマとして君臨しました。

特に2006年の宮田和幸戦での開始わずか4秒での跳び膝蹴りKOは、格闘技史に残る伝説として今も語り継がれています。

ファイトマネーの真実──最高5000万円から困窮へ

全盛期のファイトマネー

KIDの全盛期のファイトマネーは、1試合あたり5000万円とも言われていました。これは当時の日本人格闘家としてはトップクラスの金額で、彼の人気と実力を物語る数字でした。

しかし、KID自身は金銭に無頓着な性格で知られていました。

ジム設立で全財産を投入

2015年にテレビ番組「アウト×デラックス」に出演した際、KIDは「お金がない」と告白し、出演者を驚かせました。ファイトマネーは自身が主宰するジム「KRAZY BEE」の設立に使い果たしてしまったのです。

ジム設立にあたって、不動産事情に詳しくなかった彼は「一番いい器具をブチこんでやれ」とアメリカから高価なトレーニング器具を買い集めました。その結果、ジムは完成したものの経済的に困窮し、仲間内でも「ヤバいね、金ないね」と話題になったそうです。

さらに驚くべきことに、KIDはジム設立にかかった金額を把握しておらず、「俺、お金見るの好きじゃないから」「お金は人に任せてる」と語っていました。

この金銭感覚は、彼が格闘技という純粋な道を追求し続けた証でもあったのかもしれません。

カレー屋経営の失敗

KIDはファイトマネーで起業し、カレー屋の経営にも乗り出しましたが、こちらは残念ながら閉店という結果に終わりました。ビジネスセンスよりも格闘技への情熱が上回っていた彼らしいエピソードです。

大好物の豚キムチ──ストイックな食生活の真実

格闘家としてストイックなイメージのあるKIDですが、彼の食へのこだわりには意外な一面がありました。

トレーニング期間中の食事は3品のみ

試合前にジムで合宿するKIDは、食事のレパートリーを3品のみに限定していました。その理由は効率性と経済性。余計な選択肢を排除し、体づくりに集中するためでした。

豚キムチが最高の燃料

その3品のうちの1つが豚キムチと米で、KID自身が「お金も掛からなく一番良い」と発言していました。

豚肉からは良質なタンパク質、キムチからは発酵食品による乳酸菌と代謝を上げるカプサイシン、そして米からは即座にエネルギーになる糖質──この組み合わせは、格闘家にとって理想的な栄養バランスだったのです。

華やかなファイトマネーを得ながらも、日常の食事は豚キムチと米。この対比こそが、KIDという人物の本質を表していたのかもしれません。

エンセン井上との師弟関係──複雑な絆の軌跡

KIDの格闘技人生を語る上で欠かせないのが、師匠エンセン井上との関係です。

運命的な出会い

KIDは修斗の初代世界ヘビー級王者・エンセン井上から総合格闘技の指導を受け、メキメキと成長しました。2000年にアマチュア修斗へ参戦し、持ち前の身体能力で全日本アマチュア修斗選手権ライト級で優勝を果たします。

初日、KIDはエンセンにボコボコにされましたが、エンセンから「お前根性あるよ、練習したら強くなる」と言われ、KIDの格闘技人生が本格的に始まりました。

エンセン井上は、KIDの姉である山本美憂の元夫でもあり、義兄弟としての関係もありました。

「大和魂」のタトゥーに込められた想い

KIDは全身に多くのタトゥーを彫っていましたが、その中には総合格闘技における師匠であるエンセン井上の代名詞「大和魂」のタトゥーを右上腕に彫っていました。

これは師匠への尊敬と、その教えを体に刻み込むという強い決意の表れでした。

関係の変化とタトゥーの変更

しかし、2009年4月、KIDはそのタトゥーを覆い隠すように別のタトゥーを彫りました。これは、姉の美憂とエンセンの離婚、そしてエンセン自身の様々な問題が影響していたとされています。

師弟関係から義兄弟、そして袂を分かつまで──この複雑な人間関係の変遷は、格闘技界の裏側にある生々しいドラマでもありました。

それでもつながる絆

2018年11月に行われたKIDのお別れ会には、かつて義兄弟の契りを交わしていたエンセン井上も来日し、参列していました。

どんな経緯があろうとも、師匠としてKIDを育て上げた事実は変わりません。最期の別れの場に駆けつけたエンセンの姿には、複雑ながらも消えることのない絆が感じられました。

KIDが遺したもの──お金では測れない価値

ファイトマネーを湯水のように使い、ビジネスでは失敗し、金銭管理もできなかった山本”KID”徳郁。

しかし彼は、お金以上に価値のあるものを私たちに残してくれました。

それは、純粋に格闘技を愛し続けた姿勢です。豚キムチと米という質素な食事で体を作り、すべての財産をジムにつぎ込み、次世代の育成に情熱を注ぎました。

身長について記者に質問された際、KIDは「この身長だからこそ、この動きができて俺はこの身長だから強い」と答えました。自分の持つすべてを肯定し、それを武器に変える──この哲学こそが、彼を「神の子」たらしめたのです。

2018年9月18日、癌との闘病の末、41歳で旅立ったKID。お別れ会には数千人のファンが集まり、雨の中何時間も列をなしました。これが何よりの証明です。

彼が本当に豊かだったのは、銀行口座の残高ではなく、人々の心に残した感動と記憶だったのです。

まとめ──KIDが教えてくれたこと

山本”KID”徳郁のファイトマネー、豚キムチへのこだわり、エンセン井上との関係──これらすべてのエピソードは、一人の格闘家が何を大切にして生きたかを物語っています。

お金は使えばなくなります。でも、人の心に残る影響は永遠です。

「神の子」と呼ばれた男は、今も多くの人々の心の中で生き続けています。それこそが、山本”KID”徳郁が残した最大の財産なのです。

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