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「ディープな町」から「住みたい街」への大変貌した尼崎をシラベテミタ!

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尼崎
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ダウンタウンの出身地として知られる尼崎市

テレビでダウンタウンが出身地の尼崎を訪れる番組があったり、幼少期を過ごした尼崎の思い出話を語ることがあるため、尼崎市の知名度は全国区であるが、「下町」「ディープな町」というイメージが定着している。

そんな「下町」「ディープな町」として知られていたこの尼崎市が、現在では「本当に住みやすい街大賞」で1位を獲得するまでに劇的な変貌を遂げいる。

「ディープな町」から「住みたい街」へ大変貌した尼崎の歴史をシラベテミタ!

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「公害の町」としての暗黒時代

工業化の進展と深刻な環境汚染

尼崎市の工業化は明治時代に始まった。陸海交通の要衝として栄えた城下町に、大阪・神戸間を結ぶ鉄道が開通すると、その交通利便性の高さから多くの企業が工場を建設した。特に戦後の高度経済成長期には、重化学工業の一大拠点として急速に発展を遂げた。

しかし、この急激な工業化は深刻な代償を伴った。1960年前後から尼崎の南部を中心に、工場煤煙による大気汚染が深刻化した。続いて、地下水くみ上げによる地盤沈下、さらに、国道や阪神高速を通る自動車の排気ガス・騒音と、高度成長期を通じてさまざまな問題が噴出した。

四大公害に匹敵する環境被害

尼崎は、東京・名古屋・大阪といった明治期以来工業化がすすんだ大都市圏のなかでも、とりわけ多様で深刻な被害が集中した都市となった。水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの四大公害に匹敵する深刻な環境汚染に見舞われた。

大気汚染による健康被害は特に深刻で、ぜんそく、気管支炎などの呼吸器疾患に苦しむ住民が急増した。工場から排出される有害物質により、洗濯物は外に干せず、窓も開けられない日々が続いた。子どもたちは屋外で遊ぶことも制限され、まさに「生活の質」が根底から破綻した状況であった。

尼崎公害訴訟:市民による闘いの始まり

深刻化する健康被害に対し、ついに住民が立ち上がった。1988年に公害認定患者たちが電力・鉄鋼など9社と、道路を管理する国・阪神高速道路公団を相手に裁判を起こした。これが全国的にも注目を集めた「尼崎公害訴訟」である。

この裁判は単なる損害賠償請求を超えて、企業の社会的責任と行政の公害対策のあり方を根本的に問い直す重要な意味を持った。長期にわたる法廷闘争を通じて、尼崎の公害問題は全国に知れ渡り、「公害の町」としてのイメージが決定的に定着することになった。

治安悪化と社会問題の深刻化

工業労働者の流入と都市問題

高度成長期に工業で働く労働者が多く集まると、急激な人口増加に都市インフラの整備が追いつかなくなった。住宅不足、教育施設不足、社会保障制度の未整備などの都市問題が深刻化した。

特に南部の工業地域周辺では、労働者向けの簡易住宅やアパートが密集し、生活環境の悪化が進んだ。環境汚染に加えて、住環境の劣悪さが相まって、治安の悪化が顕著になっていった。

「危険な街」としてのイメージの定着

1970年代から1990年代にかけて、尼崎市は「治安の悪い街」「近づかない方がいい場所」として関西圏では有名になった。

特に尼崎市南部の工業地域や一部の繁華街では、暴力事件や犯罪の発生率が高く、深刻な問題だった。

治安が悪い背景には複数の暴力団の事務所の存在が大きい。メディアでも度々、「危険な街」として取り上げられることが多く、全国的にも「「治安の悪い」イメージが定着した。

このころの尼崎は、治安の悪さが問題になり、「住みたくない街」の代表格とみなされていた。

ディープな町と言われる遊郭の存在

尼崎には複数の遊郭が存在した。

かんなみ新地

初島新地

神崎新地

代表とされるのは「かんなみ新地」である。

「かんなみ新地」は、小学校から100メートルしか離れていない住宅街に存在したため、学童帰りや塾通いの子供が「かんなみ新地」の前を通って帰宅した後に、母親に「あそこにお姫様みたいな人おるけど何してるん?」と子供から質問され、ごまかすしかなかった親は多い。

尼崎市は、昭和の時代工業地帯であることから「労働者の街」として賑わっていた。男性労働者の多い地域など、社会的な不均衡がある場所に遊郭が形成された背景、男性の性的欲求を満たす社会的な需要が存在した歴史がある。

環境改善と都市再生への取り組み

公害対策の本格化

1970年代から本格化した公害対策により、尼崎の環境は徐々に改善に向かった。公害対策基本法の制定(1967年)、環境庁の設置(1971年)などの国レベルでの制度整備を受けて、尼崎市も積極的な環境政策を展開した。

主な環境改善策:

  • 工場の排煙規制強化
  • 環境監視システムの構築
  • 緑地化の推進
  • 下水道整備の促進
  • 廃棄物処理施設の近代化

これらの取り組みにより、1980年代後半から大気質の改善が顕著になり、地盤沈下も停止した。長年苦しんできた住民にとって、ようやく「普通の生活」を取り戻すことができる環境が整い始めた。

産業構造の転換

重化学工業中心だった産業構造も徐々に転換が図られた。情報・サービス業の誘致、研究開発機能の強化、物流拠点としての再整備など、多角的な産業政策が推進された。

特に臨海部の工業地帯では、環境負荷の少ない業種への転換や、緑地・親水空間の整備が進められ、工業都市から複合機能都市への脱皮が図られた。

都市再開発の本格化

1990年代以降、尼崎駅周辺を中心とした大規模な都市再開発が本格化した。老朽化した住宅や商業施設の建て替え、道路・公園の整備、公共施設の充実などが計画的に推進された。

主要な再開発プロジェクト:

  • JR尼崎駅北側再開発
  • 阪神尼崎駅周辺整備
  • 臨海部の親水公園整備
  • 中央公園の大規模リニューアル
  • 市役所・文化施設の集約

これらの再開発により、街の景観が一新され、住環境が飛躍的に改善された。

現在の尼崎 「住みたい街」への華麗なる変身

「本当に住みやすい街大賞」1位の獲得

長年の努力が結実し、近年尼崎市は「本当に住みやすい街大賞」で1位を獲得するという快挙を達成した。

かつて「公害の町」「治安の悪い町」と呼ばれた尼崎が大変貌した出来事である。

交通アクセスの優位性

尼崎市の最大の強みは、その優れた交通アクセスである。大阪・京都・兵庫の主要駅へのアクセスが良く、JR・阪神・阪急の3つの鉄道路線が利用できる。

主要駅へのアクセス時間:

  • 大阪駅:約10分(JR)
  • 梅田駅:約13分(阪神)
  • 神戸三宮駅:約20分(阪神)
  • 京都駅:約45分(JR)

この交通利便性により、大阪のベッドタウンとして非常に魅力的な立地となっている。

住環境の劇的改善

再開発により住環境が劇的に改善された。元々の利便性のよさを活かして再開発が積極的に行われたことで、便利なベッドタウンとして街の印象が大きく変化している。

現在の住環境の特徴:

  • 新築マンション・戸建ての増加
  • 商業施設の充実
  • 公園・緑地の整備
  • 教育施設の現代化
  • 医療機関の充実

子育て支援の充実

市は積極的な子育て支援策を展開しており、若い世代の流入が増加している。保育所の整備、教育環境の改善、子育て相談窓口の充実など、包括的な支援体制が構築されている。

治安の改善状況

犯罪率の大幅な改善

・過去と比較して治安は大幅に改善されている。暴力団排除への取組みを強化したことで2022年(令和4年)9月に暴力団事務所がゼロとなっている。

・阪神尼崎駅付近の繁華街では闇カジノ、闇スロ、裏モノというカジノの噂もあったが摘発に成功している。

警察の地域密着型パトロールの強化、防犯カメラの設置拡大、地域住民による自主防犯活動の活性化などにより、犯罪発生率は着実に低下している。

夜間の安全性向上

尼崎の一部の地域では、夜間の外出が困難だったが、街灯の増設、繁華街の環境整備、警備の強化などにより、安全性が大幅に向上している。

現在では女性や高齢者でも安心して外出できる環境が整備された。

現在も残る課題と地域差

南部地域における課題

環境改善と都市再開発が進んだとはいえ、特に南部の一部地域では依然として課題が残っている。工場密集地域や古い住宅街では、完全な環境改善には時間を要している状況である。

風評被害の払拭

実際の改善状況に比べて、「尼崎=危険」というイメージが一部で根強く残っている。

長年定着したネガティブイメージの払拭は、実際の改善よりも時間がかかるという現実がある。

地域格差の存在

市内でも地域によって改善の進捗に差があり、北部の住宅街と南部の工業地域、駅周辺の再開発エリアと郊外部では、住環境や治安の状況に格差が存在している。

未来への展望と持続可能な発展

持続可能な都市づくり

尼崎市は過去の公害経験を活かし、環境と経済の両立を目指す持続可能な都市づくりを推進している。再生可能エネルギーの導入、循環型社会の構築、緑化の一層の推進などに取り組んでいる。

多様性を活かした街づくり

工業・商業・住宅の各機能がバランスよく配置された複合機能都市として、多様なライフスタイルに対応できる街づくりを目指している。若い世代からシニア世代まで、様々な住民が共生できるコミュニティの形成が進められている。

広域連携の強化

大阪・神戸といった大都市との近接性を活かし、広域的な連携による発展を模索している。観光・文化・産業の各分野で近隣自治体との協力関係を強化し、相乗効果による地域全体の発展を目指している。

まとめ

昭和の時代を尼崎市で過ごした人からすると、「下町」「ディープな町」から「住みたい街」に選ばれたことに驚きを隠せません。

尼崎市は、過去の負のイメージを払拭し、関西圏屈指の住みやすい街として生まれ変わっている。

「本当に住みやすい街大賞」1位という評価は、単なるイメージアップ戦略ではない。

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