RIZINやRISEで活躍し、「キング・オブ・ストリートファイト」の異名を持つ格闘家・YA-MAN(ヤーマン)。そのファイトスタイルはKOを恐れず打ち合う荒々しさが特徴で、ファンの間では「元不良だったのでは」「暴走族だったのでは」という噂も絶えません。
本記事では、YA-MAN本人がメディアやSNSで語ってきた情報をもとに、学生時代の喧嘩エピソード、話題になった「20人絡みの喧嘩」の真相、そしてなぜ荒れた少年が東海大学へ進学し格闘家になったのかを、事実と憶測を分けながら整理します。
1. YA-MANは本当に元不良だった?
YA-MANの本名は杉山怜(すぎやま れん)。1996年5月31日生まれ、埼玉県富士見市の出身です。父親が薬物関連の問題で服役・失踪し、母親が女手ひとつで兄とYA-MANを育てるという厳しい家庭環境で育ったことが、複数のメディアで紹介されています。
そうした背景もあってか、中学・高校時代は喧嘩に明け暮れる日々を送っていたと本人が語っています。中学入学早々に上級生から呼び出しを受け、先に相手のもとへ乗り込んで撃退したというエピソードも伝えられており、その強さは瞬く間に周囲に知れ渡ったといいます。単なる噂ではなく、こうした過去を本人がYouTubeやインタビューで公言している点は特徴的です。
2. 話題の「20人を相手にした喧嘩」の真相
YA-MANのエピソードとしてしばしば語られるのが、多人数を相手にした喧嘩の話です。ここは誇張されて伝わりやすい部分なので、実際の発言を確認しておきましょう。
格闘技メディアのインタビューでYA-MANは、自分たちの側が5人ほどで、相手側が20人ほどという「20対5」の状況で喧嘩になったことを明かしています。当時は、一番強そうな相手から先に仕掛ければ周囲が怯むという考えのもと、物怖じせず向かっていったと振り返っています。
つまり「YA-MANが単独で20人を倒した」という話ではなく、「少人数のグループで人数の多い相手に挑んだ」というのが実際のところです。この時の武勇伝は、後の「どんな大人数にも向かっていく」というキャラクターやファイトスタイルの原点になったとも言われています。
3. YA-MANは暴走族だった?
「元不良」という経歴から暴走族への所属を連想する人も多いようですが、YA-MAN自身が暴走族に所属していたことを明確に語った公的な発言は確認できません。喧嘩に明け暮れていたことと暴走族への加入は必ずしもイコールではなく、この点については噂の域を出ないというのが現状です。断定的な情報がない以上、事実として扱うのは避けるべきでしょう。
4. なぜ喧嘩少年が東海大学へ?母親の病気がきっかけ
YA-MANの人生の転機となったのが、高校時代に母親ががんを患ったことでした。本人の発言によれば、母子家庭のまま「このままでは生きていけなくなる」という危機感を抱いたことと、周囲の裕福な人には建設業界の人が多かったことから、「大学は建築系の学科に進めばいいのでは」と考え、そこから受験勉強に打ち込むようになったといいます。単なる美談ではなく、将来への不安と「金持ちになりたい」という現実的な目標が原動力になっていた点が、本人の言葉からうかがえます。
猛勉強を始めた当初の偏差値は25でしたが、1年間で50まで引き上げ、東海大学工学部への現役合格を果たしました。本人は「寝る時間以外はずっと勉強していた。平均で1日15時間は勉強した」と振り返っており、喧嘩に明け暮れていた少年が短期間でここまで学力を伸ばした経緯は、YA-MANのキャラクターに厚みを持たせる大きなエピソードとして語られています。
5. 大学時代にキックボクシングと出会う
東海大学では建築系の学部で学びながら、キックボクシング部に所属したことが格闘家への道の始まりでした。在学中にRISEの会場で那須川天心選手の試合を目の当たりにしたことが刺激となり、本格的にプロを目指すようになります。
その後、東京・渋谷のジム「TARGET SHIBUYA」に入会。ジムの会長である宮城大樹氏から「今日からお前はYA-MANだ」と告げられたことがきっかけで、現在のリングネームが誕生しました。ストリートで培った物怖じしない精神が、競技としての格闘技でも大きな武器になっていきます。
6. なぜ「キング・オブ・ストリートファイト」と呼ばれるのか
YA-MANは2018年にRISEでプロデビューし、その後着実に頭角を現していきます。相手との打ち合いを恐れず、KOを狙いにいくアグレッシブなスタイルは、まさに喧嘩慣れした学生時代の経験を彷彿とさせるもの。この持ち味が評価され、「キング・オブ・ストリートファイト」というニックネームが定着しました。
2022年には「THE MATCH」で元K-1の芦澤竜誠選手と激しい打ち合いを制し、続く白鳥大珠戦でも気迫あふれるファイトを披露して一気に知名度を上げます。2023年にはRIZINで総合格闘技デビューを果たし、三浦孝太選手にTKO勝利。同年11月には自らプロデュースする格闘技イベント「FIGHT CLUB」を旗揚げし、話題を集めていた朝倉未来選手との一戦にもKOで勝利しました。
7. YA-MANの現在
現在はTARGET SHIBUYAに所属しながら、RISE・RIZINの両方の舞台で活動しています。2023年大晦日には平本蓮選手と対戦して判定負けを喫しましたが、2024年7月には鈴木博昭選手を1RKOで下すなど、勝敗を重ねながらキャリアを積んでいます。一方で、2024年10月に予定されていた「FIGHT CLUB.2」での一戦は対戦相手の逮捕により中止となり、同年12月31日のRIZIN DECADEではカルシャガ・ダウトベック選手に判定負け(0-3)を喫するなど、順風満帆とは言えない時期もありました。SNSやYouTubeでの発信力は高く、破天荒なキャラクターと荒々しいファイトスタイルで多くのファンを獲得し続けています。
よくある質問(Q&A)
Q1. YA-MANは本当に不良だった?
中学・高校時代に喧嘩を繰り返していたことは本人が複数回語っており、事実として広く知られています。
Q2. YA-MANは暴走族だった?
本人による明確な発言は確認されておらず、断定できる情報はありません。
Q3. 「20人を相手にした」というのは本当?
本人のインタビューによれば、自分たちのグループ(5人ほど)と相手側(20人ほど)という「20対5」の喧嘩だったとされ、単身で20人を倒したという話ではありません。
Q4. YA-MANはどこの大学?
東海大学です。建築系の学部で学びながらキックボクシング部に所属していました。
Q5. YA-MANはいつから格闘技を始めた?
大学時代にキックボクシング部に入部したのがきっかけで、その後TARGET SHIBUYAに入会し本格的にプロを目指しました。
まとめ|「不良」から人生を変えた格闘家、YA-MAN
中学・高校時代は喧嘩に明け暮れる日々を送っていたYA-MAN。しかし母親の病気をきっかけに一念発起し、猛勉強の末に東海大学へ進学。大学でキックボクシングと出会ったことで、ストリートで培った物怖じしない精神を競技の世界で開花させました。
「20人を相手にした」というエピソードも、実際は仲間とともに人数の多い相手に立ち向かったという話であり、誇張されがちな部分は正しく理解しておきたいところです。荒れた過去を隠すのではなく、そこから這い上がった生き様こそが、YA-MANというキャラクターの最大の魅力だと言えるでしょう。





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