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【浪速のロッキー】赤井英和のパンチは本当に強かった?トミーズ雅が語った恐怖のスパーリング秘話

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俳優・赤井英和には「元プロボクサー」というもう一つの顔がある

現在はバラエティ番組や映画で親しまれている赤井英和。しかし1980年代の大阪では、彼は芸能人ではなく「浪速のロッキー」の異名を持つ本格派プロボクサーとして名を馳せていた。デビューから12戦連続KOという圧倒的な記録を打ち立て、当時のボクシングファンを熱狂させた選手である。

そんな赤井の強打を、リングの中で身をもって受け止めた人物がいる。後にお笑いコンビ「トミーズ」として活躍することになる、トミーズ雅だ。芸能界入りする以前、2人は同じプロボクサーとしてグローブを交え、雅が鼻を負傷したと語る「伝説のスパーリング」が今も語り草になっている。

本記事では、赤井英和のパンチがなぜここまで恐れられたのか、そしてトミーズ雅が明かした衝撃のエピソードを詳しく紐解いていく。

不良少年からリングの怪物へ

大阪・西成で育った赤井英和は、少年時代から喧嘩に明け暮れる日々を送っていたと言われる。転機となったのが高校時代のボクシングとの出会いだ。近畿大学ボクシング部に進むと、持ち前の身体能力と負けん気の強さが一気に開花していく。

ただし赤井は、単に「喧嘩が強いだけの男」ではなかった。荒々しさの奥に確かなボクシング技術を身につけ、全国レベルで戦える選手へと成長していったのである。

1980年にプロデビューを果たすと、初戦からKO勝利。そこから驚異的な12連続KOを記録し、一躍全国区の人気者となった。相手を徹底的に追い詰め、逃げ場を与えず攻め続けるそのスタイルは「倒すボクシング」と呼ぶにふさわしいものだった。

恐れられた最大の武器「左パンチ」

赤井のボクシングを語る上で欠かせないのが、左のパンチの破壊力だ。左ジャブ、左フック、左ストレート——本来ジャブは相手との距離を測るための牽制球のような役割を持つパンチだが、赤井の場合はジャブそのものが強烈なダメージを与える武器になっていたという。

この威力を証言しているのが、当時すでに日本ランキング1位に上り詰めていた実力者、トミーズ雅である。しかも雅は赤井より重い階級のランカーであり、本来なら胸を貸す側の立場だった。それにもかかわらず、赤井の左ジャブを受けるたびに強烈な衝撃を受け、まともなジャブとは思えないほどのパワーを感じたと語られている。

トミーズ雅も実は本格派の元プロボクサーだった

現在は漫才師として知られるトミーズ雅だが、若き日は日本ランキング1位まで上り詰めた本格派のファイターだった。戦績は13戦10勝9KO3敗、KO負けなしという堅実な記録を残している。ただし雅が戦っていたのはスーパーウェルター級で、赤井のスーパーライト級よりも重い階級。ボクシング経験でも階級でも、雅の方が先輩かつ格上という立場だった。

赤井とトミーズ雅は、タイプの異なるボクサーだった。赤井が誇るのは相手を沈める「倒す力」。対する雅の武器は、経験に裏打ちされた「勝つための技術」だ。格上の雅が、勢いに乗る若手・赤井に胸を貸す形で行われたスパーリングが、思わぬ伝説を生むことになる。

1981年、伝説のスパーリングで何が起きたのか

事件が起きたのは1981年のことだ。当時、雅は日本ランキング1位という実績を持つ先輩ボクサー、赤井は全日本新人王を獲得したばかりの若手という立場だった。先輩である雅が、勢いに乗る赤井に稽古をつけてやろうとスパーリングに臨んだという。

ところが、そこで雅は想像以上のパンチを浴びることになる。赤井の左ジャブを受けるたびに、まるで硬い棒で鼻を突かれるような強烈な衝撃が走ったという。この時に負った鼻の骨折こそが、後々まで雅を悩ませることになる。

雅はこの衝撃を「棍棒で鼻を突かれるような衝撃だった」と表現したと伝えられている。格上のはずの自分がジャブだけでここまでのダメージを受けたことに、雅は「こいつには勝てない」と悟ったともいう。このエピソードは今も語り草となっている。

32年後に明らかになった後遺症

このエピソードにはさらに驚きの続きがある。スパーリングからおよそ32年後、雅は鼻の手術を受けることになった。その原因の一つとして語られたのが、若き日に赤井から受けたあのパンチによる鼻の負傷である。

一度のスパーリングが数十年後の体にまで影響を及ぼしていたとすれば、それだけ赤井のパンチが本物の破壊力を持っていたことの何よりの証明だと言えるだろう。

プロが認めた才能、そして早すぎた引退

赤井英和が評価されていたのは、パンチ力だけではない。スピード、勝負度胸、そして観客を惹きつけるスター性まで兼ね備えた選手だった。単なる強打者ではなく、「見る者を魅了するボクサー」だったのだ。

1980年代前半には世界王座を狙える位置まで上り詰めていた赤井だが、1985年2月、大和田正春との一戦で頭部に深刻なダメージを負う。急性硬膜下血腫と脳挫傷と診断され、緊急の開頭手術を受けるほどの重体だったと伝えられている。九死に一生を得た赤井だったが、医師の勧告もあり現役を引退することとなった。もしあの怪我がなければ世界王者になれていたのではないか、と語る関係者も少なくない。

リングのライバルから、芸能界の盟友へ

引退後、赤井は俳優・タレントとして、トミーズ雅は漫才師として、それぞれ異なる形で芸能界での成功を掴んだ。かつてリングで拳を交えた2人は、今では関西芸能界を代表する存在として活躍している。

若い頃は緊張感のある関係だったかもしれないが、同じボクシングという厳しい世界を経験したからこそ通じ合う敬意がある。赤井の本当の強さを最も理解している人物の一人が、実はトミーズ雅なのかもしれない。

まとめ

赤井英和のパンチは本当に強かったのか——その答えを何より雄弁に物語っているのが、元プロボクサーであるトミーズ雅自身の証言だ。日本ランキング上位という実力を持ちながらも、雅が「人生で一番痛かったパンチ」と振り返るほど、赤井の左パンチは規格外の破壊力を秘めていた。

12連続KOという数字だけでは伝わりきらない「恐怖のパンチ」。それこそが、赤井英和が「浪速のロッキー」と呼ばれた本当の理由なのである。

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