お笑いコンビ「TIM」でツッコミを担当するレッド吉田さん。独特の抑揚で繰り出す一発ギャグや、赤面症に由来する芸名でおなじみですが、実は高校時代に甲子園出場を果たした「元甲子園球児」でもあります。今回はレッド吉田さんの野球経歴に焦点をあて、東山高校時代のプレースタイルから、大学野球、そして芸人へ転身した理由までを詳しく紹介します。
1. レッド吉田は甲子園に出場した元高校球児だった
レッド吉田のプロフィール
レッド吉田さんは1965年10月30日生まれ、京都府京都市出身。本名は吉田永憲(よしだ ながのり)で、ワタナベエンターテインメント所属のお笑いタレントです。1994年に相方のゴルゴ松本さんとお笑いコンビ「TIM」を結成し、フジテレビ「ボキャブラ天国」の人文字ネタでブレイクしました。
芸人になる前は野球少年だった
明るいギャグで知られるレッド吉田さんですが、学生時代は野球に打ち込む球児でした。地元・京都市立九条中学校を卒業後、私立東山高等学校へ進学し野球部に所属。3年間、甲子園出場を目標に厳しい練習に励んでいました。
1983年、東山高校の選手として甲子園出場
そして高校3年生の夏、東山高校は京都代表として全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場します。レッド吉田さんはこの甲子園メンバーの一員として大舞台を経験しました。
「芸人・レッド吉田」からは想像しにくい野球エリート時代
一発ギャグやコミカルなトークで知られる現在の姿からは想像しづらいですが、甲子園という高校野球最高峰の舞台に立った経験の持ち主。この経歴は本人にとっても大きな誇りであり、後の芸能人生を語るうえで欠かせないエピソードになっています。
2. 東山高校時代はどんな野球選手だった?
東山高校を選んだ理由
レッド吉田さんが東山高校を選んだのは、男子校で野球に集中できる環境だったことに加え、甲子園出場のチャンスがあると考えたためです。野球推薦ではなく一般入試での入学だったとされ、純粋に実力で野球部に入部しました。東山高校は当時から京都府内でも屈指の強豪校として知られ、甲子園経験者や後にプロ野球選手になる選手も多数輩出しています。
野球部でのポジションは投手
レッド吉田さんのポジションは投手でした。もっとも、甲子園のベンチ入りメンバーには入ったものの、実際の登板機会はなかったといわれています。いわゆる「控え投手」としてチームを支える立場でした。
甲子園を目指して厳しい練習に励んだ高校時代
強豪校の野球部だけに、練習は相当に厳しかったようです。本人も後年、高校3年間を「野球漬けだった」と振り返っており、迷わず打ち込めるものが目の前にあったことを幸せだったと語っています。
1983年夏、京都代表として甲子園へ
3年生の夏、東山高校は京都大会を勝ち抜き、1983年の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場。チームは2回戦で敗退したものの、京都代表として全国の舞台に立ったこと自体が大きな経験となりました。
甲子園出場を本人はどう振り返っている?
母校・東山高校のインタビューでレッド吉田さんは、「甲子園に出ていなければ、今の相方ともコンビを組んでいなかった」と語っています。甲子園出場という経験こそが、後の芸人人生を運命づけたと本人が明言しているのです。
また朝日新聞(2010年8月21日朝刊)によれば、控え投手だったレッド吉田さんには、大会中に2度だけ出場のチャンスが巡ってきていました。1回戦では、中堅手だった主将が負傷し、代役として途中出場するよう監督から告げられますが、主将本人が「痛いけど出る」と申告して続投したため出場は叶いませんでした。さらに2回戦の9回には、監督が代打での起用を図りますが、交代を告げられた打者が「嫌だ」と指示に従わなかったことで、結局一度もグラウンドに立てないまま甲子園を去ることになったといいます。あと一歩のところで出場を逃した、なんとも野球らしいドラマといえるでしょう。
「甲子園球児」という経歴が後の芸人人生にも影響
登板機会こそなかったものの、甲子園に出場したという事実そのものが、のちにゴルゴ松本さんとの出会いのきっかけになります。まさに人生の転機となった経験でした。
3. 1983年の東山高校はどんなチームだった?
京都代表として甲子園に出場した東山高校
東山高校は1983年以前にもセンバツで複数回甲子園に出場しており、京都府内でも実績のある強豪校でした。夏の甲子園出場は昭和58年(1983年)が同校にとって重要な戦績のひとつとなっています。
1983年夏の東山高校の対戦成績
大会記録によると、東山高校は1回戦で創価高校と対戦し2対0で勝利。しかし続く2回戦では学法石川高校と対戦し2対5で敗れ、初戦突破のみでの敗退となりました。京都代表として全国の舞台で一勝をあげたことは、チームにとっても大きな成果だったといえます。
レッド吉田は甲子園でどんな役割を担ったのか
前述の通り、レッド吉田さんは控え投手としてベンチ入りしていました。実際にグラウンドに立つ場面こそなかったものの、あと一歩のところまで出場のチャンスが巡ってきていたのは先述の通りです。ベンチメンバーとしてチームを支える立場でありながら、大舞台特有の緊張感を肌で感じていたことがうかがえます。
本人が語った甲子園の思い出
登板・出場がなかったとはいえ、全国大会という独特の緊張感や雰囲気は、本人にとって忘れられない思い出になっているようです。芸人になってからも、NHK BS1「球辞苑」(2021年)やNHKラジオ第1「祝100年!いとしの甲子園」(2024年)など、高校野球・甲子園をテーマにした番組へたびたび出演しており、野球好きとしての一面を発揮し続けています。
4. 高校卒業後は佛教大学へ進学
甲子園出場後も野球を継続
高校卒業後、レッド吉田さんは佛教大学へ進学します。甲子園に出場した経験を糧に、大学でも野球を続ける道を選びました。
大学でも野球選手として活動
大学時代も野球部に所属し、選手としての活動を続けていたとされています。高校野球から大学野球へとステップアップし、野球人としてのキャリアを積み重ねていきました。
プロ野球選手を目指していたのか?
甲子園に出場した選手の多くはプロ野球入りを目標に掲げますが、レッド吉田さんの場合、大学卒業後にプロ入りするのではなく、まったく異なる道である「役者・芸能界」へと進むことになります。
5. なぜ野球選手ではなく芸人になった?
大学卒業後の進路
大学卒業後、レッド吉田さんは一度会社員として就職します。しかし芝居への思いを断ち切れず、1990年、24歳のときに単身上京し役者を目指しました。
「甲子園球児」がなぜお笑いの世界へ?
上京後に住んだアパートの隣室に住んでいたのが、のちの相方となるゴルゴ松本さんでした。銭湯で偶然一緒になり言葉を交わすうちに、お互いが役者志望であることに加え、共に甲子園出場経験を持つことが判明。この共通点から意気投合し、交流を深めていきます。
TIM結成までの経緯
役者としての活動だけでは生計を立てるのが難しく、レッド吉田さんがゴルゴ松本さんを誘う形で、1994年にお笑いコンビ「TIM」を結成。コンビ名は「Time Is Money」に由来しています。
レッド吉田としてブレークするまで
結成後、フジテレビ「ボキャブラ天国」で披露した人文字を使ったネタが評判を呼び、一気に知名度を上げます。独特の抑揚で言葉を発する「レッド語」も話題となり、レッド吉田さん個人の存在感も大きく高まっていきました。
「甲子園に出たからこそ、お笑いの世界に進めた」と本人が語るように、野球での出会いがなければ現在のTIMは存在しなかった可能性が高いのです。
6. 野球経験はTIMの芸風にも生かされた?
体育会系の経験が芸人としての武器に
高校・大学と本格的に野球に取り組んだ経験は、体力面や規律といった芸人活動の土台としても生きています。
スポーツ番組などで発揮された野球知識
甲子園出場経験を持つことから、野球を題材にしたバラエティ番組やイベントへの出演機会も多く、実際の野球経験に基づいたトークで存在感を発揮しています。1990年代後半には「とんねるずのみなさんのおかげでした」の野球企画に出演したのを皮切りに、「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」にも毎年出演するなど、相方のゴルゴ松本さんともども野球の実力を買われた常連ゲストとして活躍しました。
「野球ができる芸人」としてのポジション
プロ野球選手ではないものの、甲子園という高いレベルを経験している点は、他の芸人にはない独自の強みです。野球ファンからの共感も得やすいポジションを築いています。
元プロ野球選手ではないからこその親しみやすさ
プロではなく、あくまで「甲子園止まり」の球児だったという経歴が、かえって親近感につながっている面もあります。挫折や努力を経験した「等身大の元球児」というキャラクターが、視聴者に受け入れられやすい要因のひとつといえるでしょう。
7. レッド吉田は現在も野球と関わっている?
現在の野球関連の活動
レッド吉田さんは現在も野球関連の番組出演が目立ちます。2016年にはNHK BS1「ワールドスポーツMLB」で土曜キャスターを務めたほか、2019年からは日本テレビ「有吉×巨人」に不定期出演。2021年にはNHK BS1「球辞苑〜プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち〜」に出演し、2023年からはTBSラジオ「トレードアイランド学園」、2024年にはNHKラジオ第1「祝100年!いとしの甲子園」にも出演するなど、野球にまつわる番組と縁の深いタレントとして活動を続けています。
息子との野球エピソード
レッド吉田さんは5人の子どもを持つ父親として知られていますが、そのうち次男は野球の強豪校として知られる埼玉・春日部共栄高校の野球部に所属していたことが報じられています(日刊スポーツ2017年7月17日)。当時、次男が所属する春日部共栄の応援に駆けつける姿がスポーツ紙で報じられており、親子二代にわたる野球への情熱がうかがえます。
芸人として活動しながら野球との縁が続いている理由
自身の甲子園出場経験と、子どもたちの野球への取り組みが重なり、レッド吉田さんにとって野球は今も人生の大切な一部であり続けています。
8. まとめ|レッド吉田は「甲子園球児」から芸人になった異色の経歴
レッド吉田さんは、京都・東山高校の野球部で投手として活躍し、1983年夏の甲子園に出場した経歴を持つ元高校球児です。高校卒業後は佛教大学に進んで野球を継続し、卒業後は一時会社員を経験。その後、役者を目指して上京した先で、同じく甲子園出場経験を持つゴルゴ松本さんと運命的に出会い、お笑いコンビ「TIM」を結成しました。
甲子園という経験がなければ、今のTIMは生まれていなかったかもしれない――。プロ野球選手ではなく芸人という道を選んだレッド吉田さんですが、その野球経験は現在も大きな個性として生き続けています。「甲子園球児だった芸人」という異色の経歴は、これからもレッド吉田さんならではの魅力として語り継がれていくことでしょう。



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