居酒屋やテーマレストランを多数展開する外食グループ「DDグループ(旧ダイヤモンドダイニング)」を一代で築き上げた実業家・松村厚久氏。輝かしい経営者人生の裏で、40代を迎える前から難病「若年性パーキンソン病」と闘っていたことをご存じでしょうか。
病気の進行と向き合いながらも経営の第一線に立ち続け、メディア出演や講演活動を精力的にこなす姿に、「なぜそこまで働けるのか」と驚く人も少なくありません。本記事では、松村氏がパーキンソン病を公表した経緯、現在の病状、そして経営を続けられる理由について詳しく解説します。
松村厚久を襲った若年性パーキンソン病とは
松村氏に最初の異変が現れたのは2005年春、38歳のとき。右肩が上がりづらくなり、首が痛んで固まるような感覚を覚えるようになったといいます。当初は「早い四十肩」だろうと思い込んでいましたが、指圧を受けても改善せず、症状はみるみる悪化。やがて左手をだらりと垂れ下げ、腕を振らずに歩くようになっていたところを家族に指摘され、病院を受診しました。
検査の結果、告げられたのは現代の医学でも完治が難しい難病「若年性パーキンソン病」でした。何の病気か分からず、「何かの間違いではないか」「なぜ自分なのか」という、やり場のない不安と怒りが込み上げたと松村氏自身が振り返っています。それでも当時は経営の正念場だったこともあり、病気のことは社員にも長く明かさなかったといいます。
パーキンソン病とはどんな病気?
パーキンソン病とは、脳の中脳にある「黒質」という部分のドーパミン神経細胞が減少することで起こる病気です。ドーパミンが不足すると、体を動かす指令がうまく伝わらなくなり、さまざまな運動症状が現れます。
主な症状は、手足の震え、筋肉のこわばり、動作が遅くなる「動作緩慢」、そして転倒しやすくなる姿勢反射障害の4つです。進行すると、自分一人での日常生活が難しくなる場合もあります。
厚生労働省の患者調査によると、国内で継続的に治療を受けている患者数は約29万人(2020年調査)。前回調査(2017年)の約16万人から大幅に増加しており、高齢化を背景に患者数は今後も増えると見込まれています。発症は多くが中高年ですが、40歳以下で発症するケースは「若年性パーキンソン病」と呼ばれます。
治療の中心は、不足したドーパミンを補うレボドパなどの薬物療法で、症状の程度に応じてリハビリや、薬の効果が乏しくなった場合の脳深部刺激療法(DBS)なども選択されます。現在のところ完治は難しいものの、適切な治療を続ければ寿命そのものが大きく短くなるわけではないとされており、治療と工夫次第で第一線での活躍を続けられる病気だといえます。
松村厚久の現在の病状は?
公表から約10年が経過した現在も、病気と向き合いながら走り続けています。薬の効果が徐々に出にくくなる、体のこわばりで動きが制限される日が増えるなど、進行性の病気である以上、症状と無縁ではいられない様子がうかがえます。
経営面では、2025年7月に大きな動きがありました。DDグループは投資ファンド・ポラリス・キャピタル・グループと組んでMBO(経営陣による買収)を実施し、株式を非公開化。同年8月にTOB(株式公開買い付け)が成立し、東証プライム市場への上場を廃止しています。松村氏は保有株式の一部(約5%)をあらためて出資する形で引き続き代表取締役社長を務め、ポラリスの支援を受けながら経営の第一線に立ち続けています。コロナ禍で大きな打撃を受けた業績は、2024年2月期に過去最高益を更新するまでV字回復しており、非公開化はその先の海外展開やDX推進など、中長期の改革を加速させるための選択だとされています。
2024年には闘病やコロナ禍との闘いを記した続編『熱狂宣言2 コロナ激闘編』(小松成美著)も発売されており、活動量は決して落ちていません。「重症で何もできないのでは」という見方とは裏腹に、できる範囲で経営の指揮を執り続けているのが現在の松村氏の姿です。
なぜここまで働き続けられるのか?
理由① 強い使命感 グループ全体で多くの社員と店舗を抱える経営者として、「自分が倒れたら社員が路頭に迷う」という責任感が、松村氏を支える大きな原動力になっています。育ててもらった飲食業界への恩返しという思いも強いようです。
理由② 病気を受け入れたから 診断当初は強い絶望を覚えたものの、徐々に「この試練を乗り越えられると見込まれたからこそ与えられた病気だ」と捉えるようになったといいます。病気を人生の一部として受け入れたことで、前向きに挑戦を続けられるようになりました。
理由③ 周囲の支え 家族や社員、主治医、そして長年の経営仲間など、周囲の手厚いサポートが松村氏の活動を可能にしています。本人の人柄もあって、困ったときに助けてくれる人が多いことも大きな強みです。
理由④ 治療と生活管理の両立 薬物療法やリハビリを継続しながら、無理のない範囲で経営判断や対外活動に取り組むスタイルを確立してきたことも、長く第一線に立ち続けられる理由の一つといえるでしょう。
病気が経営者・松村厚久を変えた
病気を公表する以前の松村氏は、店舗数や売上の拡大をひたすら追いかける「仕事中心」の経営者でした。しかしパーキンソン病と向き合う中で、健康のありがたさや人とのつながりの大切さに気づくようになったといいます。社員一人ひとりへの向き合い方も変化し、数字だけでなく「人」を重視する経営哲学へとシフトしていきました。
多くの人が勇気をもらう理由
松村氏が支持を集める最大の理由は、上場企業の経営者という立場でありながら(2015年の公表当時)、難病と向き合う自身の弱さを包み隠さず公表した点にあります。歩行や会話が難しい姿をそのまま見せながらも経営の前線に立ち続ける姿は、「病気は人生の終わりではない」ということを体現しています。同じ病気と闘う患者やその家族、ビジネスパーソンから、SNSや講演会を通じて多くの励ましの声が寄せられています。
まとめ
- 松村厚久氏は38歳(2005年)でパーキンソン病の症状が現れ始め、診断後も社員に隠しながら経営を続け、2015年(48歳)に著書で公表した
- 2025年にはMBOにより会社を非公開化、引き続き代表取締役社長として経営の第一線に立っている
- 強い使命感、病気の受容、周囲の支え、生活習慣の管理が、仕事を続ける大きな力となっている
- 病気を受け入れ、それでも前向きに挑戦を続ける姿は、多くの患者やビジネスパーソンに勇気を与えている
病気によって人生が終わるのではなく、向き合い方次第で新たな人生が始まる。松村氏の歩みは、そのことを私たちに教えてくれます。


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