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【年収数千万円から一転】琴光喜は賭博事件で何を失ったのか…現在までを時系列で解説

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かつて大関として土俵に立ち、年収数千万円ともいわれる地位を築いていた琴光喜。学生横綱からのし上がった実力者は、2010年に発覚した野球賭博事件によって、角界から姿を消すことになりました。本記事では、琴光喜が何を失い、現在どのような人生を歩んでいるのかを時系列で振り返ります。

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琴光喜とは?大関まで上り詰めた輝かしい経歴

学生横綱から角界入り

琴光喜(本名・田宮啓司)は愛知県岡崎市出身。鳥取城北高校で高校横綱となり、相撲の名門・日本大学に進学すると学生横綱を2度獲得するなど、アマチュア横綱も含めて27冠を獲得する活躍を見せました。大学卒業後の1999年3月場所、その実績が認められる「幕下付け出し制度」により幕下60枚目格付出で初土俵を踏みます。同じ1999年に角界入りした朝青龍とは、後に角界を代表するライバル同士となりました。

大関昇進までの軌跡

入幕後は三賞を13度受賞するなど安定した強さを発揮し、優勝争いに加わることも珍しくありませんでした。実力はありながらも関脇に長く留まる時期が続きましたが、2007年名古屋場所で直前3場所35勝という好成績を挙げ、当時としては最年長となる31歳3カ月で大関昇進を果たしました。

当時の推定年収

大関の月給は基本給だけで当時概ね230万〜250万円程度とされ、年間にすると2800万〜3000万円規模に達します。これに加えて勝利時の懸賞金、優勝・三賞の賞金、CM・イベント出演料、後援会(タニマチ)からの支援などが上乗せされるため、年収は数千万円規模に達していたとされています。角界トップクラスの待遇を得ていたことがうかがえます。

2010年 野球賭博事件はどのように始まったのか

週刊誌報道で疑惑が浮上

2010年5月、夏場所開催中に発売された週刊誌で、琴光喜が暴力団関係者を介した野球賭博に関与していたと報じられました。同記事では、暴力団関係者から口止め料を要求されているという内容も合わせて伝えられています。

当初は全面否定

報道直後、琴光喜は関与を否定し、師匠である佐渡ヶ嶽親方も弟子の関与を否定する立場をとりました。日本相撲協会も当初は警察の捜査を見守る姿勢を示しており、世論は事態の行方を見守る状況が続きました。

自己申告で一転認める

その後、別の部屋の力士による告白や自己申告が相次ぎ、相撲協会は実態調査に着手します。2010年6月14日、琴光喜は野球賭博への関与を認めるに至り、この時点で野球賭博29人、賭けマージャンなど他の賭博36人の計65人が関与を申告していたことが発表されました。さらに調査が進んだ結果、7月4日には野球賭博関与者27人、その他の違法賭博関与者49人、合計76人の実名が正式に公表され、協会全体を揺るがす大きな問題に発展しました。

解雇処分で何を失ったのか

現役力士としての地位

2010年7月、臨時理事会は琴光喜の解雇を決定しました。大関という肩書とともに、現役力士としての生活はここで終わりを迎えます。

退職金・将来設計

解雇によって協会員としての立場を失ったことで、引退後に部屋を持つための年寄(親方)資格を得る道は完全に閉ざされました。なお、この解雇は退職金(養老金)が支給される形でのものであり、同時に解雇された貴闘力(大嶽親方)が退職金なしの解雇だったのとは扱いが異なります。それでも、地位確認を求めた裁判は2014年に東京高裁で敗訴が確定し、長年かけて積み上げてきたはずの安定した将来設計は大きく崩れることになりました。

社会的信用

事件発覚後はスポンサーやファンの離反が進み、メディアへの露出も急減しました。一時代を築いたスター力士としての社会的信用は、大きく損なわれることになりました。

「借金」「1億円恐喝」報道の真相

恐喝事件とは

報道によれば、暴力団関係者とされる人物から口止め料を要求され、2010年1月下旬に約350万円を支払ったとされています。週刊誌の当初報道では、この人物がさらに1億円規模の口止め料を要求していたとも伝えられました。その後も現金の要求が続き、交渉が決裂したことから琴光喜側が警察に被害を届け出て、要求していた元力士は恐喝容疑などで逮捕・起訴されました。

借金は本当にあったのか

一方で、琴光喜自身が借金の有無や金額について公に説明した事実は確認されていません。「借金が賭博の原因だった」という情報も確定したものではなく、報道で伝えられた内容と本人が認めた事実とは区別して理解する必要があります。

事件後の人生はどん底だったのか

収入ゼロからの再出発

解雇により力士としての収入を一気に失った琴光喜は、第二の人生を模索する時期を過ごしました。

焼肉店経営への挑戦

2011年には福岡でつけ麺店をプロデュースし、2012年には名古屋に焼肉店「やみつき」を開業します。同じく野球賭博事件で解雇された元関脇・貴闘力の存在も、再出発の後押しになったとされています。

メディア出演も徐々に増加

焼肉店経営が軌道に乗るにつれ、過去の出来事を語る機会やメディアへの出演も徐々に増えていきました。

現在の琴光喜はどんな生活を送っているのか

飲食店経営者として活動

現在は名古屋を中心に複数の焼肉店を展開し、自ら店頭に立って接客する姿が話題になっています。ファンとの写真撮影やサインに応じることもあり、相撲ファンが足を運ぶ名物店としても知られています。

事件について語る現在の心境

過去の出来事について語る際には、反省の言葉とともに、第二の人生を前向きに歩んでいく姿勢を見せています。

なぜ琴光喜事件は今も語り継がれるのか

相撲界の大改革につながった

野球賭博問題は、相撲界全体のコンプライアンス強化や暴力団排除の流れを加速させる契機となりました。その後の協会改革にも大きな影響を与えた出来事として位置づけられています。

一人のスター力士が失ったものの大きさ

学生横綱から大関まで上り詰めた琴光喜が失ったのは、地位や収入だけではありません。名誉、将来、そして社会的信用という、一度築いた人生の基盤そのものでした。

まとめ

  • 琴光喜は学生横綱から大関まで上り詰めた実力者だった
  • 2010年の野球賭博事件への関与が発覚し、日本相撲協会から解雇処分を受けた
  • 大関という地位や高収入だけでなく、年寄資格や角界との関わり、社会的信用など多くを失う結果となった
  • 一方で、引退後は飲食店経営などを通じて第二の人生を歩み、過去と向き合いながら活動を続けている
  • この事件は個人の転落劇にとどまらず、相撲界全体のコンプライアンス改革や暴力団排除を加速させた象徴的な出来事として、今なお語り継がれている
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