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【なぜヤクザになったのか】古市満朝が暴力団に身を置いた理由…元力士が歩んだ壮絶人生

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2010年、大相撲を揺るがした野球賭博事件の捜査の過程で、一人の元力士の名前が大きく報じられました。古市満朝(ふるいち・みつとも)氏です。現役大関だった琴光喜関への恐喝容疑で逮捕された古市氏は、自ら「元暴力団員」と名乗っていたことでも注目を集めました。なぜ元力士が裏社会に身を置くようになったのか。本記事では、古市氏の経歴や事件の経緯、そして出所後に自身の手記で明らかにした背景を、公表されている情報をもとに整理して解説します。

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古市満朝とは何者か プロフィールと経歴

1972年、大阪府生まれ。実家は大阪・交野市にあるアマチュア相撲の名門道場「古市道場」で、父・古市盛人氏がその創設者でした。古市氏は中学卒業後に押尾川部屋へ入門し、1988年3月場所で初土俵を踏みます。四股名は古市から「若隆盛」へ。同じ場所で初土俵を踏んだ仲間には、若乃花・貴乃花の兄弟や曙といった、後に角界の頂点に立つ力士たちがいました。

ただし古市氏自身の番付は幕下が最高位(幕下30枚目)。十両・幕内には届かず、1997年夏場所を最後に現役を引退しています。引退の主な理由はケガと、それ以上番付を上げられなかった成績の壁とされています。

引退後の生活 なぜ角界に残らなかったのか

力士の引退後の道は番付によって大きく分かれます。十両以上を経験していれば一定の保障がありますが、幕下クラスで引退した力士は、一般社会で再出発するケースが少なくありません。古市氏も引退後、まず飲食店経営に携わり、その後福岡市で接客業の経営に乗り出したことが報じられています。

中学卒業後すぐに角界へ入った力士は、社会経験や職歴を積む機会が限られがちです。これは古市氏個人だけでなく、幕下以下で引退する力士全体に共通する構造的な課題として、しばしば指摘されています。

なぜ暴力団に身を置くようになったのか

報道や本人の手記によれば、古市氏は福岡を拠点とする暴力団「村上一家」の構成員になっていた時期があり、後にこの組織を離れたとされています。2016年に出版された手記「ヤクザより悪い男たち」では、自身の生い立ちに関わる事情や、福岡での生活の中で暴力団関係者との接点が生まれた経緯を語っています。

ここで注意したいのは、「なぜヤクザになったのか」という問いに単純な一つの答えはないということです。確認できる事実としては、①福岡での事業を通じて暴力団関係者との接点ができたこと、②角界引退後の生活基盤が不安定だったこと、③本人が自著で組織との関わりを認めていること、の3点が挙げられます。一方で、心理的な動機そのものについては本人の語りに依拠する部分が大きく、断定はできません。

大相撲野球賭博事件と恐喝事件の全貌

事件が表面化したのは2010年5月、週刊誌が大関・琴光喜関の野球賭博関与を報じたことがきっかけでした。捜査の過程で、古市氏が琴光喜関に口止め料を要求していたことも判明します。

報道によれば、古市氏は同年1月、賭博の仲介役だった阿武松部屋の床山を通じて口止め料を要求し、350万円を脅し取りました。その後も要求は続き、最終的には1億円規模の金額を求めたとされています。古市氏は2010年6月24日、恐喝容疑で逮捕されました。当時の容疑事実について本人は否認し、勝ち金の取り立てを頼まれたと思っていたと説明していたと報じられています。

なお、野球賭博そのものを「胴元」として取りまとめていたとされる別の事件もあります。これは2011年1月、阿武松部屋に所属していた古市氏の弟(元十両力士)と母親を含む関係者4人が、賭博開帳図利容疑で逮捕されたものです。古市満朝氏自身が刑事責任を問われたのは、あくまで琴光喜関らへの恐喝・恐喝未遂であり、この賭博開帳図利事件とは別の容疑である点は区別しておく必要があります。

判決とその後の角界への影響

2011年10月、東京地方裁判所は古市氏に懲役4年6月の実刑判決を下しました。判決では、立場のある力士の弱みに付け込んだ悪質な犯行と指摘されています。古市氏は判決を不服として控訴しましたが、2012年4月に東京高等裁判所が控訴を棄却。さらに上告した最高裁も2012年9月に上告を棄却し、判決が確定しました。

この事件は古市氏一人の問題にとどまらず、大相撲界全体を揺るがしました。野球賭博への関与が確認された琴光喜関や大嶽親方(元関脇・貴闘力)は解雇処分となり、捜査の過程で2011年には大相撲八百長メール問題も新たに発覚します。これらを受けて、日本相撲協会は暴力団排除宣言やコンプライアンス教育の強化など、組織改革を進めることになりました。

古市満朝氏の現在は

古市氏は2015年11月、新潟刑務所を出所しました。翌2016年6月には手記「ヤクザより悪い男たち」を発表し、事件の経緯や自身の半生を公表しています。この手記の中で、恐喝事件については自身の冤罪を主張しているとも報じられています。

その後もメディアの取材に応じる機会があり、近年では大谷翔平選手の元通訳によるギャンブル問題が話題となった際、自身の野球賭博への関与の経験を踏まえてコメントしています。

なぜ元力士が裏社会へ流れるケースが生まれるのか【考察】

古市氏個人の事例を超えて、角界には構造的な課題が指摘されています。中学卒業後すぐに入門し、年功序列の厳しい部屋社会で育つため、一般社会の常識や転職スキルを身につける機会が少ないこと。十両以上に昇進できなければ手厚い保障が得られず、引退後の生活基盤が不安定になりやすいこと。そして、地方や業界特有の人脈の中で、グレーな世界との距離が近くなりやすいこと。これらが複合的に、一部の元力士を裏社会に近づける要因として議論されています。

まとめ

古市満朝氏は、若貴世代と同じ場所で角界に入った元力士でしたが、幕下で現役を終え、引退後は暴力団関係者として知られる存在になりました。2010年の大相撲野球賭博事件における琴光喜関への恐喝で逮捕・実刑判決を受け、角界の暴力団排除という大きな改革の引き金にもなりました。「なぜヤクザになったのか」という問いに完全な答えを出すことは難しいものの、角界特有の閉鎖性やセカンドキャリアの難しさという構造的な背景は、今後の相撲界にとっても重要な教訓となっています。

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