1992年、14歳の少女が世界を驚かせた。
バルセロナオリンピック女子200m平泳ぎで、日本競泳史上最年少となる金メダルを獲得した岩崎恭子。そして、レース直後に口にした「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という言葉は、日本中の人々の記憶に刻まれた。
しかし、その「幸せ」の瞬間は、同時に想像を超える苦悩の始まりでもあった。国民的スターとなった少女は何を失い、どのように人生を立て直していったのか。その軌跡を振り返る。
誰も予想しなかった歴史的金メダル
バルセロナ五輪前、岩崎は優勝候補にすら挙がっていなかった。当時の世界ランキングは14位にすぎず、本人もテレビの取材に「決勝に残れればいい方だと思います」と語るほど、無名の存在だった。
ところが1992年7月、岩崎はプールで自己ベストを大幅に更新し、五輪新記録となるタイムで優勝。女子200m平泳ぎでの日本人金メダルは1936年のベルリン大会以来56年ぶり、しかも競泳競技史上最年少(14歳6日)という、誰も予想しなかった快挙だった。
レース直後のインタビューで放たれた一言は、その年の流行語にもなるほど日本中に広まった。ただし、広く知られているこの「生きてきた中で」という言い回しについて、本人は後年のインタビューで「実際は違う言い方をした」と説明しており、正確には「生きてた中で」だったとされている。当時の通信社の報道は前者の表記で記録されているため、世間に広まった形と本人の記憶には、わずかなずれがあるようだ。
金メダルが人生を一変させた――14歳には重すぎた”国民的ヒロイン”という肩書
帰国後、岩崎を待っていたのは想像を超える注目だった。連日マスコミが押し寄せ、地元の中学校にも取材陣やファンが詰めかけるようになる。全国からサインや取材依頼が殺到し、それまでの「普通の中学生」としての日常は一瞬で消え去った。
学校では「校則が変わったのは岩崎のせいだ」といった根拠のない噂まで広まり、周囲が見る「金メダリスト」像と、本人が感じる素の自分との間には大きなギャップが生まれていった。心の準備がないまま「国民的ヒロイン」という肩書を背負わされた14歳には、あまりに重すぎる現実だった。
「幸せなんて言わなければよかった」名言が”呪縛”になった理由
あの一言は、その後何十年にもわたって岩崎に付きまとうことになる。「その後、人生で一番幸せだったことはありますか」と聞かれ続け、本人は「特に何も考えず、自然に出た言葉だった」と振り返っている。
一方で当時は「たかが14歳が人生を語るな」という反発も少なくなく、知らない人から年齢を理由に人格や人生経験を否定するような言葉を投げかけられることもあったという。傷つく言葉を日常的に浴びるうち、岩崎は「金メダルなんて獲らなければよかった」と、あの一言も含めて毎日のように後悔するようになっていった。
「バルセロナ後の2年間は記憶がない」想像以上だった心のダメージ
過剰な期待とストレスは、想像以上に岩崎の心を傷つけていた。本人が後年のインタビューで明かしたところによれば、五輪後の急激な注目が原因で、ストレス性の記憶障害(解離性健忘)を発症。バルセロナ五輪直後から高校1年生頃までの記憶が、ほとんど残っていないという。
さらに、本人のもとにはカミソリの刃が送られてくるなど、悪意ある行為に晒されたこともあったと語られている。「金メダルを獲らなければよかった」と思うほどの重圧は、14歳の少女が一人で抱えるにはあまりに大きすぎるものだった。
アトランタ五輪で味わった現実――勝ち続けることの難しさ
2大会連続のメダルを期待される中、岩崎は思うような結果を出せない時期が続いた。過剰な注目によって水泳に集中できず成績は伸び悩み、一時は日本代表からも外れてしまう。
しかし高校1年の頃から気持ちを立て直し、1996年のアトランタ大会では200m平泳ぎで10位入賞を果たす。メダルには届かなかったが、本人は当時を振り返り、自信を持てるようになったとともに、ようやくバルセロナの金メダルに気持ちが追いついたと感じたと語っている。14歳の勢いだけでは勝てない世界で、「期待される中で勝つ難しさ」を岩崎は身をもって知ることになった。
20歳で現役引退――競泳人生より長かった”第二の人生”
1998年、20歳のとき、岩崎は学生選手権を最後に現役を引退する。その後は米国へ留学し、子どもへの水泳指導法を学んだ。帰国後はスイミングインストラクター、スポーツコメンテーターとして活動の幅を広げていく。
私生活では2009年に元ラグビー日本代表の男性と結婚し、2011年には長女を出産。一方で2018年には結婚生活に区切りをつけ、離婚を経験している。岩崎はこのことについて自身のブログで率直に説明し、関係者への感謝の言葉を述べている。順風満帆ではなかったものの、競泳選手として過ごした年月よりもはるかに長い”第二の人生”を、岩崎は一歩ずつ歩んできた。
「幸せはいつも自分の心が決める」――辿り着いた境地
岩崎自身が、何をきっかけにいつ考え方を変えたのかを一言で説明するのは難しい。ただ、長年「幸せだったかどうか」を他人から問われ続け、自分を責めてきた日々を経て彼女が辿り着いた境地は、「しあわせはいつも自分の心が決める」という相田みつをの言葉が示す世界観に通じるものがある。
幸せは誰かに評価されるものではなく、自分自身が決めるもの――そう思えるようになったことで、岩崎は金メダルへの向き合い方を少しずつ変えていった。過去を否定せず、苦しんだ時間も含めて受け入れられるようになったことが、彼女にとって大きな転機になったといえるだろう。
今だから語れる「本当の幸せ」とは
現在、岩崎は水泳の普及活動や、水の事故から命を守る「着衣泳」を広める活動に力を入れている。地元・沼津でのビーチクリーン活動にも参加し、次の世代に水泳の楽しさと安全を伝えることに力を注いでいる。
娘の誕生を人生で最大の出来事のひとつと位置づける岩崎は、金メダルについて「今はもう感謝しかない」と笑顔で振り返るようになった。「人生で一番幸せ」は一度きりの瞬間ではない――その実感こそが、14歳の少女が口にした名言の、本当の意味なのかもしれない。
まとめ
14歳で金メダルという偉業は、日本中に夢を与えた。一方で、その栄光は本人にとって大きなプレッシャーとなり、普通の青春や平穏な日常を失う代償にもなった。
それでも岩崎恭子さんは苦悩を乗り越え、「幸せは一つではない」という価値観にたどり着いた。あの名言は、単なる金メダルの喜びではなく、一人の少女が歩んだ「栄光・葛藤・再生」の人生そのものを象徴する言葉として、今も多くの人の心に残り続けている。


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