かつてリングの上で世界の頂点に立った男が、今は東京・亀戸で汗を流している。WBC世界フライ級チャンピオン・内藤大助。引退後に選んだのは、プロ選手育成ではなく「一般向けフィットネスジムの経営」だった。しかしその裏には、3000万円を超える借金と、貯金を取り崩しながら日々を乗り越えるという、もう一つの”タイトルマッチ”が続いていた。
元世界王者が選んだ”意外”なセカンドキャリア
内藤大助といえば、2007年に亀田興毅との因縁の一戦で日本中の注目を集め、国民的ボクサーとして一時代を築いた人物だ。そのカリスマ性とファイトスタイルは今も多くのファンの記憶に刻まれている。
引退後、多くのボクサーがジム経営に進む場合、プロ選手の育成を目的とした「ボクシングジム」を開くケースが多い。しかし内藤が選んだのは、ボクシング協会に加盟しない一般向けフィットネスジム「EL FINITO(エル・フィニート)」だった。
「プロを育てたい気持ちはもちろんある。でも今は、ジムに来てくれる一般の方たちのために全力を尽くすことが先決」と内藤は語る。世界王者という肩書きではなく、「街のジムのトレーナー」として地域に根ざした経営を選んだのだ。

8時間、一度も座らない。元王者の現場主義
EL FINITOの営業日、内藤の姿はほぼ毎日ジムにある。日曜を除けば出勤し、開店から閉店まで約8時間、一度も椅子に座らないというのだから驚きだ。
会員一人ひとりのシャドーボクシングのフォームを確認し、ミット打ちに付き合い、体調の変化を見逃さない。元世界王者が直接マンツーマンで指導してくれるジムなど、普通はあり得ない。それが「内藤ジム」の最大の武器であり、会員が口コミで広がり続ける理由でもある。
ある会員はこう話す。「手取り足取り、丁寧に教えてくれる。怒ったり否定したりしないから、初心者でも安心して通えるんです」。
練習中に内藤が絶対に言わない言葉がある。「太った?」だ。外見への否定的な言葉はいっさい使わない。小さな進歩でも積極的に褒め、自己効力感を育てるスタイルは、メンタルヘルスの観点からも理にかなっている。
借金3000万円超。「手元にお金が残らない」という現実
華やかな世界王者のイメージとはかけ離れた、内藤の現在地がある。
ジムの開業にあたり背負った借金は総額3000万円超。返済期間は10年を予定しており、毎月の家賃と返済額がのしかかる。現在の会員数は約70人。月会費収入だけでは、借金返済・家賃・運営コストをすべてまかなうには足りず、芸能活動で得た収入をジムに充てながら、さらに貯金を切り崩して生活しているという。
「ここが正念場」と内藤は言う。強がりではなく、切実な本音だ。あのリングで何度も立ち上がってきた男が、今はまったく別の戦いの渦中にいる。
しかし、内藤はジムを閉める気配をまったく見せない。むしろ、会員一人ひとりの顔を思い浮かべながら、「この人たちのために続けなければ」という使命感が、経営を支えているように見える。
会員が増え続ける”内藤流”の接客哲学
では、なぜ厳しい経営状況の中でも会員数が伸び続けているのか。そのカギは内藤の「人を見る力」にある。
内藤が最も大切にしているのは、「気を遣うこと」だという。会員が来た瞬間に表情や体調の変化を察知し、無理をさせない。「今日は軽めにしましょうか」の一言が、会員にとって大きな安心感になっている。
また、ジム内のコミュニティ作りにも力を入れている。会員同士が交流できるイベントを開催し、「練習しに来る場所」ではなく「来るのが楽しみな場所」へとジムを変えていっている。ある会員はこう言った。「練習半分、おしゃべり半分。元世界王者とこんなに近い距離で話せるとは思ってなかった」。
距離の近さ、アットホームな雰囲気、そして本物の技術指導。この三つが掛け合わさったことで、EL FINITOは口コミで少しずつ広がり続けている。
それでも捨てられない「世界チャンピオンを育てる夢」
フィットネス路線を選んだ内藤だが、胸の奥には別の夢が燻っている。「いつかは、世界を目指すプロ選手も育ててみたい」という思いだ。
現時点ではボクシング協会には加盟していない。プロライセンスを持つ選手の育成には協会への加盟が必要で、それはジムの方向性そのものを変えることを意味する。だから今は、まず目の前の経営を安定させることが最優先だ。
しかし、世界王者の目線を持つトレーナーが育てる選手は、きっと特別なものになる。内藤自身がそれを誰よりも知っているはずだ。
まとめ:リングを降りても続く”第二のチャンピオンロード”
元WBC世界フライ級王者・内藤大助の現在は、借金3000万円と向き合いながら、70人の会員のために毎日立ち続けるジムオーナーの姿だ。
貯金を切り崩しながらも「ここが正念場」と前を向く姿は、かつてリングで幾度も立ち上がったあの内藤と重なる。経営の安定という課題、そしていつかのプロ育成という夢。
その両方を胸に秘めながら、内藤大助の第二のタイトルマッチは今日も続いている。
「内藤さんのジムに入って良かった」。会員のその一言が、今の内藤にとって最大の勲章なのかもしれない。




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