はじめに
大関在位65場所という歴代1位タイの記録を持つ千代大海龍二。現在は九重部屋の親方として弟子たちを指導する名力士ですが、彼の中学時代は「大分の龍二」として九州全域にその名を轟かせた伝説のヤンキーでした。本記事では、千代大海の知られざる不良時代のエピソードと、彼の人生を変えた千代の富士との運命的な出会いについて、詳しくご紹介します。
「大分の龍二」として恐れられた中学時代
九州全域に名を轟かせた存在
千代大海龍二の中学時代は、まさに破天荒そのものでした。「大分の龍二」の名は九州全土に轟いており、その悪名は佐賀県出身のお笑い芸人・はなわも知っているほどの有名人だったといいます。
彼の体格は生まれたときから規格外で、幼稚園時には既に体重が50kgもありました。この恵まれた体格と、五輪候補にまでなった元柔道選手の父親から受け継いだ格闘センスが相まって、彼は中学時代に無敵の喧嘩番長として君臨することになります。
数々の武勇伝エピソード
千代大海の中学時代の武勇伝は数え切れないほどありますが、特に有名なエピソードをいくつかご紹介しましょう。
圧倒的な喧嘩の強さ
30人の高校生を相手に1人で喧嘩をして勝利を収めたという驚愕のエピソードがあります。中学生が高校生の集団を相手に戦うというだけでも信じがたい話ですが、彼は喧嘩では全戦全勝だったといいます。
ある地元の芸人によれば、商店街で暴れる千代大海を警察官4人がかりで押さえ込もうとしたものの、まったく動じることなく、4人の警察官を引きずったまま移動していたというエピソードもあります。
ヤクザとの喧嘩エピソード
最も衝撃的なのが、ヤクザ数人と喧嘩をしたところ、そのヤクザに気に入られてスカウトされたというエピソードです。相手が組織の人間であっても臆することなく立ち向かい、その強さと度胸が認められたのです。このエピソードは、千代大海がただの不良ではなく、筋の通った男であったことを示しています。
暴走族のリーダーとして
千代大海は大分県最大で九州でも1、2を争う勢力の暴走族「十二単」を率いていました。中学生でありながら、広域暴走族のリーダーを務めるという異例の存在でした。
警察からマークされていた日々
中学生時代、既に大分県警内で有名な存在となっていた千代大海。自動車やバイクの窃盗、無免許運転、器物破損などで何度も補導されており、完全に警察のマークリストに載っていました。
頭には剃り込みとメッシュを入れ、眉毛を剃り、根性焼きの痕が残る姿。まさに絵に描いたようなヤンキーの風貌でした。また、小学5年生からタバコを吸い始め、中学生になるとシンナーにも手を出していたといいます。
一本筋の通った男
しかし、千代大海本人は後に「決して弱いものいじめはしなかった」と語っています。どんなに荒れていても、彼なりの正義や筋を通していたのです。この点が、後の角界での成功にもつながる重要な要素でした。
驚異的な運動神経とスポーツの才能
格闘技での圧倒的な実績
不良でありながら、千代大海のスポーツの才能は群を抜いていました。
小学4年生で柔道を始めると、柔道歴わずか1年で全国3位の成績を収めます。中学2年生で始めた極真空手では、中学3年生の時に年齢をごまかして出場した大会で九州3位という驚異的な結果を残しました。
さらに100mを12秒台で走れたというのですから、その運動神経の高さは圧倒的です。身の入っていない状態でも市や県レベルで好成績を取るなど、天性の格闘センスの片鱗は当時から明らかでした。
中学時代の生活
千代大海は中学2年生頃から一人暮らしをしており、あまり学校には通っていませんでした。その代わり、空手の師範が経営する会社で鳶職のアルバイトをして、月20万円を稼いでいたといいます。そのうち6〜7万円を弁当代として母親に渡すなど、親孝行な一面も見せていました。
人生の転機:母の涙と包丁
SPを目指していた青年
中学卒業後、高校受験に失敗した千代大海は、鳶職に就きます。しかしその仕事にも身が入らず、やがて「スポーツ選手や政治家のボディーガードとして、正義の力で悪を制していきたい」と、SPになることを目指すようになります。
空手の師範からもシカゴでの修行を勧められ、半年ほどの予定で留学の準備を進めていました。
母親の決死の説得
アメリカ行きを報告する前に、千代大海は母親に「将来何になってもらいたいの」と尋ねました。すると母は「力士になれ」と答えます。
自分はSPになりたいと力説する龍二に対して、母が台所から出刃包丁を持ち出し、龍二の頸動脈に突きつけて「いままで一生懸命育ててきたつもりだけど、そんなことを言うなら、この場でお前を殺して私も死ぬ」と泣きながら訴えたのです。
母親を安心させたい、親孝行がしたい——この思いが、千代大海の人生を大きく変える決断となりました。
千代の富士との運命的な出会い
金髪リーゼントでの入門志願
大相撲入りを決意した千代大海ですが、どうせなら最も強い人の弟子になろうと考えます。相撲についてはほとんど知識がなくとも、唯一名前だけは知っていた、現役を引退したばかりの元横綱・千代の富士の九重部屋へ入門志願に向かいました。
しかし、その時の千代大海の姿は、剃り込みを入れた金髪リーゼントという、いかにもヤンキーらしい風貌でした。
千代の富士の一喝
九重部屋で千代の富士と初対面した時、千代の富士は「その前にこの頭を何とかしてこい!」と一喝しました。
さすがの「大分の龍二」も、この時ばかりは怯んでしまいます。翌朝、頭を丸めて出直したところ、「剃ることはないだろ!」と言われながらも、入門を許されました。
ヤクザを超える迫力
「あんちゃん座れ」と言われて正座すると、千代大海はいままで見てきた”その筋”の人たちとはまったく違う眼光の鋭さに「この人には殺されるな」という印象を受けたといいます。
ヤクザとも喧嘩をし、九州全域で恐れられていた千代大海が、千代の富士の迫力の前では完全に圧倒されてしまったのです。
力の差を思い知らされた瞬間
喧嘩に明け暮れてきた千代大海は、徒心を出して取り組み時に千代の富士の力量を試そうとしました。しかし、瞬時に伸されてしまい、その圧倒的な力の差を思い知らされます。
この瞬間から、千代大海は千代の富士を心から師として仰ぐようになりました。喧嘩最強と自負していた彼が、初めて本物の強さに出会った瞬間でした。
角界入り後の劇的な変化
素直で模範的な弟子へ
九重部屋に入門した千代大海は、驚くべき変化を遂げます。
雑誌『大相撲』の特集によれば、千代大海は根性が備わっているとともに実に素直で、模範的な弟子だったといいます。女将の証言では「今の子は怒られても自覚がなく、ぼーっと聞いている子が多いが、千代大海は親方の説教を真剣に聞いていた」とのことです。
若い衆時代は稽古だけでなく雑用やパシリも真面目にこなし、時には夜逃げする人の布団を丸めて寝ているように偽装して助けるなど、義理堅い一面も見せました。千代大海自身、「パシらされるってこういう気持ちなんだ」と自分のしてきたことを悔い改めたといいます。
スピード出世の軌跡
1992年11月に初土俵を踏んだ千代大海は、初土俵から2年半で十両昇進というスピード出世を果たします。十両昇進後の初任給は、給料袋の封も開けずにそのまま小包で大分の母親に送ったというエピソードも残っています。
そして1999年1月場所、関脇として迎えた千秋楽で横綱・若乃花に本割で勝利し、優勝決定戦でも勝利して幕内初優勝を達成。この功績により大関に昇進しました。
師匠への恩返し
千代大海にとって特別な瞬間がありました。師匠・千代の富士を引退に追い込んだ貴乃花から金星を挙げた時です。千代の富士は顔を真っ赤にして大喜びし、懸賞金を渡すと、その倍くらいの金額をご祝儀としてくれたといいます。
初優勝の時には、九重親方(千代の富士)自らが優勝旗を渡す栄誉に浴しました。かつて「大分の龍二」として恐れられた不良少年が、師匠に最高の親孝行を果たした瞬間でした。
伝説から名力士へ
九州全域に名を轟かせた「大分の龍二」。ヤクザとも喧嘩をし、警察からマークされ、暴走族を率いた伝説のヤンキー。しかし、母親の愛と千代の富士との出会いが、彼を大相撲界を代表する名大関へと導きました。
大関在位65場所という歴代1位タイの記録、14回もの角番を乗り越えた精神力、そして2016年からは九重部屋の師匠として後進を育成する現在の姿。
千代大海の人生は、どんな境遇にあっても、本物の師に出会い、素直に学ぶ心があれば、人は変われるということを私たちに教えてくれています。
千代大海自身も引退後に「一つ目標を持てば、人生が変わることもある。若い人にそれを伝えたい」とコメントしており、その言葉には重みがあります。
初優勝パレードの際には、かつて追いかけ回した警察官が先導の白バイを運転し、「かつて追い掛け回した奴を今は先導するようになった」と語ったというエピソードが、千代大海の人生の劇的な変化を象徴しています。


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