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峯島喜代とは|東京を買い占めた女が歌舞伎町を創設した理由をシラベテミタ!

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歴史
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渋沢栄一さえも頭が上がらなかった女性―それが峯島喜代です。歴史の教科書には決して載らないこの人物は、明治から大正を生きた日本を代表する女性実業家として、東京の運命を大きく変えました。

東京を買い占めた女と言われる峯島喜代をシラベテミタ!

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峯島喜代のプロフィール

峯島喜代は江戸時代から続く質屋「尾張屋」を営む峯島家の三女として、天保4年(1833年)に生まれました。しかし彼女の人生は、質屋の娘ではありませんでした。

姉が若くして亡くなったため、嘉永2年(1849年)に喜代が4代目当主の再婚相手となります。その後、明治9年(1876年)に43歳で夫が亡くなると、当時は極めて珍しかった女性である喜代が峯島家5代目を継承しました。

「土地を読む女」が仕掛けた投資戦略

喜代の真の才能は、她の投資眼にありました。明治時代、暴落した士族の秩禄公債を大量に買い上げ、急騰時に全て売り払って得た金で東京市内外の土地約20万坪を購入。地価高騰によりさらに利益を上げ、遺産を20倍以上に増やしました。峯島家の東京市の土地所有は岩崎家、三井家に次ぐ広さとなったのです。

この時代、女性が不動産投資で巨万の富を築くことなど想像すら難しい環境でした。にもかかわらず、喜代は「土地を読む女」として知られるようになり、金融実業家としても展開していきます。

大正評判女番附「東の横綱」

「大正評判女番附」という当時の有名女性の番付では、その東の横綱に位置しているのが峯島喜代でした。西の横綱はNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルにもなった広岡浅子、東の大関には日本女医界の先達で東京女子医科大学の創設者である吉岡彌生、西の大関には新渡戸稲造とともに東京女子大学を創設した安井てつなど、そうそうたるメンバーが連なる中での筆頭だったのです。

渋沢栄一さえも頭が上がらなかった理由

渋沢栄一や大倉喜八郎など財界人との交流がありました。渋沢のことを「お前さん」と呼んでいた喜代に対し、渋沢が自分のことを「お前さん」と呼ぶのは峯島喜代だけだと述べたと伝わっています。渋沢は喜代の亡くなった後につくられた銅像に、「峯島喜代子像」と揮毫しています。

これは単なる敬意ではなく、明治の超大物実業家が、質屋出身の女性に対して本当の意味で対等な関係を築いていたことを示しています。

歌舞伎町を創設した真の目的

喜代は1911年(明治44年)に大村家から歌舞伎町の土地を購入し、その土地を住宅地として開発し分譲を進めたことで、歌舞伎町は自然環境に恵まれた閑静な住宅街として人気を博していきました。

しかし、この開発には単なる利益追求以上の目的がありました。喜代さんは女子教育を強化したいという思いから東京府に多額の寄付を行い、女学校の設立を働きかけました。1920年(大正9年)に尾張屋が所有していた歌舞伎町の土地を無償で貸与し、東京府立第五高等女学校が建てられたのです。

当時のお金で50万円を寄付するとともに同土地を永代無償で貸与し、第五高女を開校しました。これは現在の価値にして10億円を超える寄付です。

戦前の歌舞伎町|意外すぎる過去

戦前の歌舞伎町は、今では想像もつかないが、女学生が集い、歴代の総理大臣などが暮らした瀟洒なまちだったのです。喜代が創設した住宅地は、東京の知識人や政治家たちの憧れの地となりました。

現在、ネオンきらめく歓楽街として知られる歌舞伎町は、女子教育と家族向け住宅地として始まったのです。

女性実業家としての遺産

勲七等、宝冠章を授与された喜代は、1918年、86歳で亡くなるまで、尾張屋銀行の経営、尾張屋信託会社、峰島合資会社の創立など、投資家としても知られていました。

その人生全体を通じて、喜代は利益を得ることだけでなく、女子教育と都市開発を通じて日本の未来に投資していました。

なぜ歴史から消されたのか

峯島喜代の功績は、渋沢栄一や大倉喜八郎らと並ぶレベルにあると言っても過言ではありません。にもかかわらず、その名前は歴史の教科書には載っていないのです。

理由は明確です。当時の日本では、女性の経済活動は記録される価値のないものとして扱われていました。男性中心の歴史記述が、この女傑の活躍を意図的に、あるいは無意識に消してしまったのです。

東京の足元に息づく喜代の志

次に新宿・歌舞伎町を訪れたとき、华やかなネオンの奥に、峯島喜代の静かだが力強い足跡が残されていることに気づくかもしれません。歌舞伎町公園に立つ弁財天の前で立ち止まり、この土地を見つめてみてください。

明治から大正を生きた一人の女性が、東京を買い占め、女子教育に投資し、歓楽街の礎を築いた歴史が、確かに存在しているのです。峯島喜代―それは、日本の近代化を支えた無名の女傑の、求められるべき評価の物語なのです。

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