尼崎の街で育まれた強靭な精神力
兵庫県尼崎市。工業地帯として知られるこの街で、1998年6月16日に生まれた堂安律は、地元の公園で毎日のようにサッカーボールを蹴っていた。3つ上の兄・憂とともに近所の小田南公園でサッカーをし、何度も負けて泣きながらも「根っからの負けず嫌い」な性格で何度も勝負を挑み続けたという。この負けず嫌いの精神こそが、後に世界を舞台に戦う堂安のメンタリティの基盤となる。
堂安は尼崎市立浦風小学校に通い、4歳から浦風FCでサッカーを始めた。当時から「小学生レベルのサッカーではない」と地元で評判だったが、地元のホルモン鍋店「てっちゃん鍋やすもり」の店主は「それよりも本当によく食べる子だった」と振り返る。素朴で気さくな少年が、世界で活躍するサッカー選手へと成長していく物語は、ここ尼崎から始まったのだ。
才能を開花させた青春時代
小学生時代にはヴィッセル神戸のスクールにも通い、強豪の西宮SSへ移籍。中学進学時にはガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋グランパスの4クラブからオファーを受けたという。その中でガンバ大阪ジュニアユースを選択した堂安は、2012年に史上初となるU-15年代全国3冠を達成。左右両方をこなせる攻撃的MFとして、早くから頭角を現していった。
高校は追手門学院高校に進学したが、サッカーに専念するため通信制の向陽台高校に転入。この決断が、彼のキャリアに大きな影響を与えることになる。16歳11ヶ月18日でJリーグデビューを果たし、クラブ史上最年少記録を樹立した。プロの世界への扉を開いた瞬間だった。
19歳での大きな決断 ―オランダへの挑戦
Jリーグから欧州への飛躍
2017年、堂安はガンバ大阪からオランダ1部のFCフローニンゲンへ期限付き移籍する大きな決断を下す。当時まだ19歳。U20ワールドカップを機に海外で勝負したい気持ちが強くなったという堂安の選択は、一見早すぎるようにも思えたが、彼には確信があった。
オランダでは20歳未満の選手は最低年俸規定が緩和されており、堂安はこのタイミングを生かした。移籍後は苦労もあった。「攻守の切り替え、プレス、パス、走るスピードなど、あらゆる面でのスピード感の違いを感じた」と振り返る。しかし、「身体の強さは思ったより通用している」と手応えもつかんでいた。
シーズンを通じて実力を証明した堂安は、フローニンゲンに完全移籍で獲得され、公式戦31試合で10得点4アシストを記録。その後、2019年にはオランダの名門PSVアイントホーフェンへステップアップを果たす。
ドイツ・ブンデスリーガでの飛躍
PSVでの経験を経て、2022年からはドイツ・ブンデスリーガのSCフライブルクでプレーを開始。ここで堂安は新たなポジションであるウイングバックを任され、守備的な役割を担いながらも常にゴールを意識したプレーを心がけるようになった。
2024-25シーズンにはリーグ戦全試合に出場し、史上初の1シーズン二桁得点を達成。そして2025年8月、アイントラハト・フランクフルトへ完全移籍し、長谷部誠がかつて着用していた背番号20を受け継ぐことになった。移籍後すぐに結果を出し、デビュー戦で2得点を挙げるなど、新天地でも存在感を発揮している。
日本代表10番としての重責
カタールW杯での歴史的ゴール
堂安の名を世界に知らしめたのは、2022年のカタールワールドカップだ。強豪ドイツ相手に値千金の同点ゴールを挙げ、日本が歴史的勝利を収める原動力となった。稲本潤一、本田圭佑、乾貴士以来となる一大会で複数のゴールを決めた日本代表選手として、その名を刻んだ。
現在は日本代表の背番号10を背負い、「自分にしか出せない色を出していきたい」と語る堂安。2024年には代表戦15試合中13試合に出場し3ゴール3アシストをマーク。右ウイングバックとして、攻守にわたってチームを牽引している。
「僕自身、日本代表のエースになりたいと言ってきたが、リーダーにもならなければいけない」。ベテラン選手たちの背中を見て感じた思いを、堂安は行動で示し続けている。
プライベート ―美人インフルエンサーとの結婚

2024年6月、堂安は結婚を発表した。お相手は3歳年上のインフルエンサー・明松美玖。18歳の時にバーベキューで出会い、同じ兵庫県出身という共通点から親近感を感じていたという。出会いから約5年後の2022年に交際を開始し、約2年の交際期間を経て結婚した。
2024年1月に入籍していたが、アジアカップなどもあり、シーズン終了後に公表したという配慮も、プロフェッショナルとしての堂安らしさを感じさせる。明松さんは美容系企業でマーケティング職を務めながら、自身のスキンケアブランドも立ち上げている才女だ。
尼崎を愛し続ける男
世界を舞台に活躍する今も、堂安の心には常に尼崎がある。「尼崎の魅力を世界に伝えて恩返ししたい」と、自身のYouTubeチャンネルで地元を紹介する企画を立ち上げた。帰省のたびに訪れる行きつけのホルモン鍋店では、「尼崎愛にあふれた素直で気さくな兄ちゃんのまま」だという。
母・美幸さんは地元で介護施設を運営しており、堂安は母親の話を始めたら止まらないほど尊敬している。その影響で堂安自身も慈善活動に積極的に取り組み、児童養護施設やコロナ対策への寄付を行っている。尼崎で育まれた家族愛と地域愛が、彼の人間性の根幹を形成しているのだ。
次世代を担うエースの未来
尼崎の小さな公園でボールを蹴っていた少年は、今や日本代表の10番を背負い、ヨーロッパの一流クラブで活躍するスター選手となった。しかし堂安律という選手の魅力は、単なる技術の高さだけではない。
地元への愛情、家族への感謝、そして常に高い目標に挑み続ける強い意志。これらすべてが、尼崎という街で育まれたものだ。2026年のワールドカップに向けて、堂安の挑戦はまだ始まったばかり。「優勝を目指さないでどうする」という言葉通り、彼は最高峰の舞台で日本を勝利に導くために戦い続ける。
尼崎から世界へ
堂安律のサッカーは、夢を追い続けることの大切さを私たちに教えてくれている。


コメント