西純矢投手が打者へ──背水の陣で挑む新たな道
2025年10月10日、阪神タイガースは西純矢投手の野手転向を正式に発表しました。2019年度ドラフト1位で入団した右腕は、佐々木朗希、奥川恭伸、及川雅貴らと共に「高校BIG4」と称された逸材でしたが、プロ6年間で通算9勝に終わり、育成契約での再出発を選択した。
本人は「本当に悩んで、たくさんの方に相談した結果、最後は自分で決めなければいけないと思った。やると決めた以上は打者として活躍できるようにしたい」と心境を明かし、エリート投手としてのプライドをかなぐり捨てて打者として一からの出直しを決断した。
なぜ打者転向なのか──西純矢を追い込んだ肘の故障
西純矢投手が打者転向を決断した最大の理由は、相次ぐ右肘の故障です。2025年シーズンは春季キャンプ中に右肘の違和感で離脱し、2月28日に「右肘関節鏡視下関節鼠摘出術」を受けました。その結果、一軍・二軍ともに実戦登板がないまま、投手として構想外となってしまいました。
投手としての実績を振り返ると、2021年に19歳8か月でプロ初勝利を挙げ、ドラフト制以降最年少記録を樹立。2022年には6勝をマークして将来のエース候補と期待されていました。しかし、2023年以降は5勝、4勝と伸び悩み、2024年からは2年連続未勝利という苦境に立たされていました。
800万円減の年俸3000万円という厳しい現実を突きつけられ、「戦力外がより現実的に感じるようになった」と語っていた西純矢。投手としての道が閉ざされかけた時、彼が選んだのが打者としての再挑戦でした。
西純矢の打撃センス──「野手でも一流になれる」という評価
西純矢が打者転向を選択できた背景には、高校時代から評価されていた抜群の打撃センスがあります。
創志学園時代には高校通算25本塁打を記録し、高校日本代表でも打者として活躍した実績があります。プロ入り後も、2022年5月18日の神宮球場でのヤクルト戦では、高橋奎二投手の150キロの速球を捉えてプロ初本塁打となる左越え2ランを放ちました。通算打率は.224と決して低くはありません。
元プロ野球選手で野球解説者の高木豊氏は自身のYouTubeチャンネルで、西純矢の打撃について「絶対打てると思う。素質はめちゃくちゃある」と絶賛し、岡田彰布前監督に「二刀流にしたらどうなの?」と提案したほど彼の打撃センスを買っていたといいます。
右のスラッガーが不足している阪神にとって、西純矢のパワフルな打撃は魅力的な戦力となる可能性を秘めています。さらに、2027年からセ・リーグにも導入される予定の指名打者(DH)制度は、守備負担を軽減しながら打撃に専念できる環境を提供してくれるため、西純矢にとって追い風となるでしょう。
投手から打者転向の成功例──道を切り拓いた先人たち
プロ野球の歴史を振り返ると、投手から打者への転向で大成功を収めた選手は決して少なくありません。
糸井嘉男──首位打者と盗塁王を獲得した大打者
糸井嘉男は2003年度ドラフト自由枠で日本ハムに投手として入団しましたが、一軍登板がないまま2006年に外野手へ転向。2009年から6年連続で打率3割、20盗塁、ゴールデングラブ賞を達成し、オリックス時代の2014年には首位打者、2016年には盗塁王を獲得するなど、球界を代表する走攻守揃った外野手として活躍しました。
石井琢朗──盗塁王4回、最多安打2回の強打者
石井琢朗は1988年に投手としてドラフト外で大洋に入団し、1年目に初勝利を挙げました。しかし1992年に内野手に転向すると、1993年に盗塁王を獲得。1998年の横浜優勝時には選手会長として貢献し、通算で盗塁王4回、最多安打2回のタイトルを獲得。投手として1勝、打者として2432安打という記録を残しました。
高井雄平(雄平)──外野手でベストナインを獲得
高井雄平は2002年に東北高からドラフト1巡目でヤクルトに入団し、投手として18勝を挙げました。しかし2009年オフに外野手へ転向し、2014年にレギュラーに定着すると3割をマーク。2015年のリーグ優勝にも貢献し、外野手でベストナインを獲得するなど中軸打者として活躍しました。
その他の成功例
阪神にゆかりのある選手では、元オリックス・日本ハムの遠山奨志(昭治)、元広島の嶋重宣(2004年に首位打者と最多安打を獲得)、元横浜の福浦和也(2001年に首位打者を獲得し、「幕張の安打製造機」と呼ばれた)など、多くの選手が投手から野手へ転向して成功を収めています。
投手から打者転向の失敗例──厳しい現実も
一方で、投手から打者への転向は必ずしも成功するとは限りません。阪神でも藤谷洸介や一二三慎太が野手に挑戦した例がありますが、一軍で定着するには至りませんでした。
転向後に苦戦する選手の多くは、以下の課題に直面します。
- 守備位置の習得に時間がかかる:投手経験しかない選手が、外野や内野の守備を一から学ぶには相当な努力が必要です。
- プロレベルの変化球への対応:投手として投げる側だった選手が、打者として多彩な変化球を見極めるのは容易ではありません。
- 試合勘の欠如:投手時代は4~5日に一度の登板でしたが、野手として毎日試合に出場し続ける体力と集中力が求められます。
転向後すぐに結果を出すことは稀で、多くの選手は数年間二軍で研鑽を積む必要があります。西純矢も育成契約からのスタートとなるため、まずは二軍で打撃の基礎を固め、守備位置を確立することが先決です。
西純矢の打者としてのポテンシャル──期待される5つの強み
西純矢が打者として成功する可能性を秘めている理由として、以下の5つの強みが挙げられます。
1. 高校時代から証明されたパワー
高校通算25本塁打という数字は、投手専任ではなく打者としても並外れた能力を持っていた証拠です。プロ入り後も150キロの速球を本塁打にするなど、パワーは折り紙付きです。
2. 投手経験を生かした配球の読み
投手として6年間プロで戦ってきた経験は、打者としても大きな武器になります。配球のパターン、投手心理、カウント別の攻め方など、打席で生かせる知識は豊富です。
3. 高い身体能力とアスリート能力
最速155キロを投げる身体能力の高さは、打者としても大きなアドバンテージです。特にバットスイングのスピードやパワーは、投手時代に鍛えた体幹の強さから生み出されます。
4. 若さという最大の武器
西純矢はまだ24歳。野手としてのキャリアをゼロから始めるには十分な若さがあります。糸井嘉男も石井琢朗も、20代半ばで転向して成功を収めており、時間的な余裕は十分にあります。
5. DH制導入という好機
2027年からセ・リーグにも導入されるDH制は、守備の負担を軽減しながら打撃に専念できる環境を提供します。西純矢のような打撃に特化した選手にとって、活躍の場が広がる絶好の機会といえるでしょう。
西純矢の新たな挑戦に期待
阪神・西純矢投手の打者転向は、プロ野球における大きな決断です。投手として輝かしいキャリアを築くことができなかった悔しさを、打者として晴らすことができるのか。糸井嘉男、石井琢朗、高井雄平といった先人たちが証明してきたように、投手から打者への転向は決して不可能な挑戦ではない。
高校時代から評価されてきた打撃センス、投手経験から得た配球の知識、そして24歳という若さ。西純矢には打者として成功するための素地が十分に備わっています。育成契約からの再スタートという厳しい道のりですが、「やると決めた以上は打者として活躍できるようにしたい」という決意の言葉通り、新たな道を切り拓いてくれることを期待したいと思います。
2027年のDH制導入も見据え、阪神の右のスラッガーとして、西純矢がどんな活躍を見せてくれるのか。プロ野球ファンの注目が集まっています。


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