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畑山隆則の青春と運命の転機〜ヤンチャな中学時代から世界チャンピオンへの軌跡

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破天荒な中学時代〜エースで4番の不良球児

青森県青森市古館で生まれた畑山隆則は、小学校時代から運動神経抜群で「プロ野球選手になる」という夢を抱いていた。しかし、5年生の頃からマンガ「BE-BOP-HIGHSCHOOL(ビー・バップ・ハイスクール)」に影響され、「よっしゃ ケンカしにいくべ!」と言って他校に行き、わざと肩をぶつけてケンカを売るような少年へと変貌していった。

中学時代の畑山は、まさに二面性を持つ存在だった。野球部ではエースで4番の中心選手として活躍し、球速は当時で130km/hとかなり速いボールを投げていた一方で、不良少年で喧嘩は連戦戦勝で、他校にまで喧嘩をしに行く特攻隊長だったという。

家で親とモメると家の窓ガラスを全部割ったり、2階から家具を投げ出したりと、若さゆえの破天荒な行動は凄まじかった。地元では、その名を知らない者はいないほどの有名な不良だったといわれている。それでもグラウンドに立てば、卓越した野球センスで仲間を牽引するエースピッチャーだった。

青森山田高校野球部〜わずか1ヶ月の挫折

投手としてスポーツ推薦で青森山田高校に入学した畑山。野球強豪校への入学は、プロ野球選手への登竜門となるはずだった。しかし、現実は畑山の予想を大きく裏切ることになる。

先輩部員と対立し1ヶ月で退部という結果に終わった。上下関係に馴染めず、わずか1ヶ月で野球部を退部してしまったのである。

なぜ畑山は青森山田野球部を去ったのか。中学時代から徒党を組むことを嫌い、自分のスタイルを貫いてきた彼にとって、厳格な上下関係や集団行動を強いられる環境は苦痛だった。喧嘩では連戦連勝、誰にも屈しなかった畑山のプライドが、先輩への絶対服従という高校野球の文化と激しく衝突したのだ。

プロ野球選手になるという夢は崩れ去った。16歳の畑山は、人生の岐路に立たされていた。

ボクサーへの道〜運命を変えた2つの出会い

実は畑山には、野球以外にもう一つの憧れがあった。同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊の世界戦を見ていたこともあり、プロボクサーも志望していたのである。

そして運命の瞬間が訪れる。テレビで辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級王座を獲得したのを見たのをきっかけに、プロボクサーになることを決意したのだ。輝くリングの上で世界チャンピオンベルトを掲げる辰吉の姿は、挫折を味わった16歳の少年の心を激しく揺さぶった。

「俺も世界チャンピオンになる」

決意を固めた畑山は、高校を中退し単身で上京した。野球で挫折した少年が、新たな夢を胸に東京へ旅立った瞬間だった。

初めにヨネクラジムへ入門するが、大人数の選手や練習生を抱える環境に馴染めず、程なくして京浜川崎ボクシングジムに移籍。そこで畑山は、人生を変える出会いを果たす。韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、二人三脚でプロボクサー人生を送っていくこととなるのだ。

柳トレーナーの「お前を必ずチャンピオンにする」という言葉が、畑山の魂に火をつけた。野球で挫折し、東京でも一度は馴染めない環境から逃げ出した畑山は、ようやく自分の居場所を見つけたのである。

興味深いことに、ボクサーを志して上京した後の畑山は、中学時代とは別人のようになった。上京後に柳和龍トレーナーに出会ってからは、プライベートでどんなに屈辱的な状況になってもボクシングの場以外では絶対に相手に手を出さなかったという。連戦連勝を誇った不良少年が、世界チャンピオンという明確な目標のために、徹底的に自分を律するようになったのだ。

アマチュア経験ゼロから世界2階級制覇へ

1993年6月、17歳でプロとしてデビュー、アマチュアキャリアはゼロだった畑山は、柳和龍トレーナーの指導を受け始めてからわずか3ヶ月後にプロテストに合格。そして驚異的なスピードで階段を駆け上がっていく。

デビューからわずか半年の1993年12月18日に東日本スーパーフェザー級新人王を獲得、その翌年2月には全日本スーパーフェザー級新人王とMVPを獲得した。1998年にはWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得し、2000年には階級を上げてライト級でも世界王座を獲得。日本人4人目となる世界2階級制覇を成し遂げたのである。

まとめ〜挫折から栄光への道のり

畑山隆則のボクシング人生は単なるサクセスストーリーではない。中学時代の破天荒なヤンチャぶり、青森山田野球部での挫折、そしてボクシングとの運命的な出会い。これらすべてが、世界チャンピオンという栄冠への道程だった。

野球部を1ヶ月で退部した理由は、上下関係への不適合だった。しかしその挫折があったからこそ、畑山は新たな道を見つけることができた。辰吉丈一郎の世界戦を見たこと、柳和龍トレーナーとの出会い、そして何より「世界チャンピオンになる」という明確な目標が、かつての不良少年を真のファイターへと変貌させたのである。

青森の街でケンカに明け暮れた少年が、アマチュア経験ゼロから世界の頂点に立つまでの軌跡。畑山隆則のボクシングは、夢を諦めない者への希望のメッセージとして、多くの人の心に刻まれている

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